ヨーロッパの国際美術展に負けじと、こちら韓国では《97光州ビエンナーレ》が9月1日に開幕した。
光州市は、韓国南西部に位置する人口130万人の、同国第4の都市。80年の民主化運動で多数の犠牲者を出した、いわゆる「光州事件」で知られているが、それだけ中央政府や他地域とのライバル意識が強く、自主独立の気運が高い地域といえる。韓国政府がビエンナーレの開催地を光州に決めたのは、こうした光州人に対する懐柔策だったとの見方もある。
会場は、仲外公園内に設けられたビエンナーレ展示館を中心に、市立美術館、教育広報など数カ所にまたがる。今回の総合テーマは「地球の余白」。ビエンナーレ展示館では、その下に「速度/水」「生成/土」「混性/木」「権力/金」「空間/火」の5テーマを設けている。いうまでもなくこれは陰陽五行説に基づいたもの。そのテーマごとに5人のコミッショナーが計102人(組)の作家を人選し、2棟5フロアに分けて展示している。
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展示館を入ると、まずハラルド・ゼーマンがコミッショナーを務める「速度/水」。最初の部屋で、様々な速度を標本のように集めたベン・ヴォーチエの絵や、レオナルド・ダ・ヴィンチの水に関するドローイング(複製)に出くわす。このほか、色鮮やかな海中を映し出すピピロッティ・リスト、水平線をゆっくりパンするゲイリー・ヒルらの映像や、水の波紋を描いたフランツ・ゲルチュの木版画など、かなりテーマに忠実だ。
その上のフロアは、ベルナール・マルカデによる「生成/土」。ここだけ天窓から光が射し込み、全体が見渡せる。中央に、筏の上に棺桶を載せたホアン・ヨンピンの作品が宙吊りにされ、その周囲にポール・マッカーシー、ギルバート&ジョージ、シンディ・シャーマン、森万里子らの作品が並ぶ。現代美術のいちばん華やかな部分を集めたという印象。
連絡橋を渡ると、リチャード・コシャレクの「混性/木」。山梨県白州のアートキャンプの作家たちによるインスタレーションや、ナヴィン・ラワンチャイクルと世界3都市の子供たちがコラボレーションした子供の部屋といったように、このフロアはグループワークが多い。絶え間なく変化し、ますます狭まる地球上で生き抜くための、ハイブリッドな環境づくりを主眼にしているようだ。
下のフロアでは、ソン・ワンキョンによる「権力/金」(ケンリョクとカネではなく、パワー/メタルの意味)。レバノン生まれのモナ・ハトゥーム、ロシア出身のエリック・ブラトフ、コートジボワールのフレデリック・ブリューリー・ブアブレ、フィリピンのマニュエル・オカンポ、中国のシュウ・ビンなど、ここがいちばん多様な地域から作家を集めている。そのぶん全体のまとまりがない。
最後は、パク・キョンによる「空間/火」。パクは、ニューヨークで建築や都市問題を扱うストアフロント・ギャラリーを主宰するだけあって、ここでは作家よりもむしろ都市を主役にしている。ガブリエレ・バジリコの撮ったベイルートの破壊された街景、カルロス・ガライコアによるハバナを舞台にしたアートプロジェクト、エメット・ゴーウィンによる砂漠の中のエルサレムの空撮など、世界中の都市の破壊と開発を捉えた写真やインスタレーションが並ぶ。華やかさには欠けるものの、もっとも意図が明快なフロアだった。
以上、テーマに忠実な展示もあれば、最大限に拡大解釈した展示もあった。こうした国際展におけるテーマ設定は、作品を見るときのひとつの指標にすぎず、あまりこだわることもないが。また出品作家は、やはり欧米が中心ではあるものの、韓国、中国をはじめとするアジア、中南米、アフリカからも選ばれていて、ヨーロッパの国際展とはひと味違う方向性が感じられる。 |
光州市立美術館では、解放後の韓国における視覚文化の軌跡をたどる《日常、記憶そして歴史》展や、シャーマニズムと現代美術の関係を探る《生の境界》展などが開かれている。特に前者は、2年前に目黒区美術館で行われた《戦後文化の軌跡》展とそっくり。展示構成が似ているだけでなく、映画ポスター、漫画、レコードジャケットなどに表されたイメージの多くが、日本のものと対応しているように見えるのだ。韓国は日本の現代文化を受け入れていないにもかかわらず、この酷似ぶりはなんだろう。
教育広報館で開かれている「青年精神」(通称アペルト)展は、韓国の若手作家を集めたもの。日本や欧米でも知られている作家、たとえばユク・クンビョン、キム・スージャ、チェ・ジョンホアらは入っておらず、ほとんどが未知の作家だった。それはそれで興味深いが、展示に物足りなさが残るのも事実。
このほか、光州事件で亡くなった人たちの眠る5・18墓地での「統一美術祭」、仲外公園や市内一帯での公共美術プロジェクト「都市の夢」などの特別展もあるが、ここでは割愛。
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光州市ではいたるところにポスターが貼られ、交通標識にまでビエンナーレへの道順が掲げられているし、オープニング前夜には市の繁華街でパレードも繰り出した。まさに全市を挙げての“お祭り”である。だが、オープニング当日は予想していたほどの人出はなく、翌日はもっと少なかった。平日だったからだろうか、会場にはお年寄りと子供連れの姿が目立ち、いわゆるアートっぽい人たちはあまり見かけなかった。肩すかしを食らった感じだが、美術関係者のための美術展(美術内美術展?)ではなく、一般の人たちに開かれた美術展であることには好感が持てた。
しかしその一方で、地図もタイムテーブルも不完全で、どこでなにをやっているのかがわかりずらいとか、制服を着たガイド(みんな背が高くてきれいだ)はたくさんいるものの、英語を話せる人が少なかったりと、不備も目立つ。また観客のほうも、作品にベタベタとさわったり、映像の前で踊り出したり、作品に接することに慣れてない様子。聞けば、作品解説やワークショップなどの教育プログラムは用意されてないという。これだけの“教材”を前にして、もったいないと思う。
ともあれ、考えすぎて結局やれない(どこぞの国?)より、勢いだけでもとりあえずやってしまったほうが勝ちに決まっている。 |