今回のシンポジウムは、予想どおり、多岐に渉る話題が錯綜し微妙にずれつつ進行したが、そこである固有名が重要な役割を演じたことを、聴衆の誰もが聞き逃さなかったことと思う。すなわち、そこでの主題のひとつが「AKIRA KUROSAWAの(束の間の)復権と、そして断罪」であったことは明らかである。「断罪」とは穏やかでないが、言うまでもなく、黒澤明監督の業績が総体として非難されたわけではない(そんなことはもちろんありえない)。そうではなく、時代劇映画のジャンルとしての特殊性と普遍性を固有のプロブレマティックに浮上させるために、その前提としてKUROSAWAの時代劇なるものの再検討が、戦略的に要請されるということだ。 しかし、KUROSAWAの時代劇こそ、時代劇としては特異なものではなかったか。この点について、記者会見での蓮實重彦の発言は触発的だ(以下は、殺陣について意見を求めた筆者の質問に対する蓮實の回答である)。 シンポジウムの軸であった、様式や技法の受容とそれに対する自己言及や、視覚的要素と説話論的経済との葛藤における歴史的切断等の厄介な問題を有効に論じるためにも、殺陣を核とする時代劇特有の運動イメージについての、比較ジャンル論的または超ジャンル論的な分析が必要だろう。ミュージカル然り。さらに、筆者としては、20年代の時代劇を「悲壮なスラップスティック」と呼びたい誘惑にかられるし、アクションの零度に向かう60年代のある種の時代劇は、そのニヒリズムともあいまって、フィルム・ノワールと比較すべきだと考える。そうした具体的な分析を積み重ねることで、時代劇は「あらゆる映画がそうであるように外国語として」(蓮實)開かれたものになるだろう。
feature ||| 特集
home
京都映画祭
時代劇を世界映画に向けて開くために
――「国際シンポジウム・時代劇と世界映画」
中村秀之
ある固有名
ボードウェル、ジュス、ミュレールがその点については一致していたように、そもそも、欧米の観客にとってジャンルとしての「時代劇」は存在しなかった、日本映画が発見されたのは特定の「作家」によってである(然り。映画がジャンルとして受容される前提は、安定した市場での興行の制度化なのだから)。そうした「作家」たちのなかで時代劇と結びつくのがKUROSAWAだった。他方、事情の異なるエドワード・ヤンにとっても、彼が孫にも伝えたいと絶賛する代表的な時代劇は、やはり『椿三十郎』(1962)なのだ。さらに、欧米の映画に影響を与えた例外的な時代劇がKUROSAWAのそれだったことを、ボードウェルと加藤幹郎が強調した。
時代劇における殺陣
「KUROSAWAの殺陣は、殺陣を人間の動きとしてでなく、物の動きに還元している点で駄目である。例えば、『椿三十郎』における仲代達矢の殺陣など、ポストモダン的処理と言うべきものでしかない。ことによると『ベラクルス』(1954)あたりの模倣かもしれないが、知らなかったとすれば、それは映画史に対する冒涜である。一般的に言って、時代劇において殺陣は重要だと考えるが、それは、(映画における)人間の運動の抽象性に関わるからだ、その点で、例えば伊藤大輔はバスビー・バークレーの先を行っていたと言えるのではないか」。
確かに、時代劇における殺陣は、身体の様式化された運動イメージという点でミュージカルにおける振り付けと比較しうる。筆者の見るところ、殺陣に固有の運動イメージは、立っていることから横たわることへの様式化された移行であり、その促進、遅延、分節化である(運動の帰着点として地面に横たわる身体が不可欠なのだ)。西部劇は、この二つの状態のあいだの移行の様式化が本質的な問題にはならないという点で、根本的に時代劇と異なる。そしてその意味で、まさにKUROSAWAの時代劇は、実は西部劇ではないか。例外的に欧米の映画に影響を与えた理由も、まさにそこにあるのではないだろうか。
黒澤明監督『椿三十郎』(1962)
モノクロ/96分
出演:三船敏郎、仲代達矢ほか
『ぴあ Cinema Club 1995』より
伊藤大輔監督『長恨』(1926)
モノクロ/12分
出演:大河内傳次郎ほか
時代劇の開かれた見方へ
(文中敬称略)
「国際シンポジウム・時代劇と世界映画」
会場:京都・北文化会館
会期:1997年12月13日(土)
パネリスト:デイヴィッド・ボードウェル、
ティエリー・ジュス、マルコ・ミュレール、エドワード・ヤン、
蓮實重彦、中島貞夫、加藤幹郎、
山根貞男(コーディネイター・司会)
問い合わせ: Tel.075-752-4840
top
feature review interview photo gallery
Copyright (c) Dai Nippon Printing Co., Ltd. 1997