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京都映画祭
過去を殺さぬためには何をすればよいか
――「座談会・時代劇づくりの体験を語る」
篠儀直子

懐古するということ

「体験」という語が題名に含まれていることからしても、主題とされているのが東映時代劇の過ぎ去りし「黄金時代」であることからしても、そしてその「黄金時代」をささえた人々が出演者として招かれたことからしても、この座談会が懐古的色彩を帯びることは必然である。もちろんそれ自体は決して悪いことではない。90歳を超えて今も元気な市川右太衛門のことや、すでに故人となった他の何人ものスタアをめぐるエピソードはそれぞれに興味深いし、出演者諸氏の語り口ににじむ敬慕の念が何より印象に残る。千恵蔵、ひばり、「新吾ちゃん」こと大川橋蔵、愛すべき奇人・大友柳太朗、そして、この映画祭が勝新と並んでオマージュを捧げた中村錦之助(萬屋錦之介)の、役者としてのみならずひとりの人間としても圧倒的に秀でていたという魅力。そうしたエピソードの語られるなかで醸成された一種無時間的とも言える幸福な空気に、突然亀裂が入る。それは座談会の終盤に司会者が「これからの日本映画への提言」を求め、それに対して現在70代に入ったところであるひとりの映画監督がそれまでの上品な口調を崩すことなく、このように答えるときである。若い人たちに頑張ってほしい。もうわたしたちには撮れません。撮りたくても撮れないのです。
 桃源郷にただよっていたわれわれはこのとき、時空間感覚の失調を不意にただされうろたえる。その発言が、先ほどまで誰よりもサーヴィス精神豊かな語り口でわれわれを楽しませていた人物によるものだけになおさらである。そしてもちろん、なお穏やかな表情を見せているこの映画監督が実際に背負っているだろう失意と諦念の重さに、われわれは慄然としないではいられない。ましてやその監督というのが1950年代・60年代にかけて数多くのヒットを飛ばし、それらの作品のスピード感ある演出は現代の若い観客をも必ず楽しませるであろう、沢島忠(現・正継)その人だとあっては。桃源郷からの慰撫のごとく、そんなことないよ頑張って、という声が期せずして客席からかかり、拍手が起こりさえするのだが、沢島がとらわれている底深い暗さが「リアルなもの」として露呈してしまった以上、ノスタルジアの無力さはすでにどうしようもなく明らかだ。

祇園会館
座談会会場の祇園会館
回顧するということ

では、東映時代劇の「黄金時代」をふりかえることは、その伝統の継承は、現在の「リアルなもの」に対し、なんら力を持ちえぬものなのか。このように問いを立てるとき、舞台上に置かれたテーブルの一方の端、司会や沢島の反対側の端に座っていたひとりの人物のたたずまいが、卓抜な批評性をまといはじめる。その人物、中村嘉葎雄は、名を呼ばれるまで宙を見つめて考えごとをしているかと思えば、他の出演者の発言を絶妙のタイミングでフォローしてオチをつけ、美空ひばりとの思い出を求められると「歌が大好きです。ぼくはひばりさん以外の歌は聴きません。あとはダークダックスですね」とケムにまいたりする。ところが同時に彼は、出演者のなかで現在おそらく最も実働機会の多い人物でもあって、ゆえに、今日の映画製作について最も実際的かつ刺激的な発言を提示する人物でもあったのだ。同一シーンをアングルを替えて何度も撮りなおしたりモニターだけを見て監督が演出したりといった現象を総括して彼は、今の映画作りの現場からは「皮膚感」が失われていると指摘する。この簡潔な一語の喚起するイメージの豊かさ! 沢島の開いた闇の暗さに、唯一抵抗しうるのはこの「皮膚感」に対する感受性ではあるまいか。たとえば、空気を全身で受けとめながら、現場で思考し、行動すること。現場での、出来事の一回性を大切にすること。そのようにふるまうことは、同時に、東映の、あるいは日本映画の、黄金時代の遺産を継承する行為でもあるはずだ。数年前病に倒れこの日出演者として舞台に上がった東千代之介の役者としての再起もぜひ、そうした感受性にささえられた場で実現されてほしいと思うのである。

(文中敬称略)


座談会
時代劇座談会の模様
「座談会・時代劇づくりの体験を語る」
会場:祇園会館(京都)
会期:1997年12月7日(日)
出演者:沢島正継、櫻町弘子、東千代之介、中村嘉葎雄、
山内鉄也(司会)
問い合わせ: Tel.075-752-4840
写真:篠儀直子

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