この記事は、中村ケンゴ氏がnmp-international 3/25号のartist file掲載のためにインタヴューしたものである。
――まず日本に来たきっかけを教えてほしいのですが。
ピーター:父親が50年代に朝鮮戦争で日本の佐世保に従軍していたんです。そのときに撮影した写真を見ると、まだ昔の日本が残っていてとてもきれいな景色や町並みが写っていた。
それで父親はそのとき新婚だったということもあるんだろうけど、すっかり日本びいきになって「日本はとてもいいところだ」という思い出話をよく聞かされたんです。そんなこともあって日本はミステリアスで伝統のある美しい国という印象がありましたね。図版でしか見たことがなかったけれど古典美術の美しさにも魅かれました。それで学校を卒業した後、5週間くらい日本を旅行していろんなところを見てまわったんです。いろいろと行ったなかでもとくに飛騨高山の祭りがすばらしかった。その後イギリスにもどってギャラリーの仕事をしていたんだけど、やはり日本に行きたいという思いがあって、89年から東京に住んで大学で英語を教えています。
――東京の印象は?
ピーター:眼の天国だった。何もかもが見たこともないようなものばかりだったから。
京都なんかは伝統的なものも残っているからイギリスと共通する部分もあるんだけど、東京は本当に特異な都市だと思う。ただ、見えるものが非常に未来的でありながら人々の考え方は案外古くさいというのにも驚いた。
――眼に見えるものは新しいけれどもそこに生活する人たちの考え方は古くさかった(笑)。
ピーター:そう。全ての人がそうではないけど、そういう感じはすごくしました。そのギャップがすごかったですね。不思議だよ。
美術館で入場料を払うというのも驚いた。イギリスはただで見られますよ。美術作品は国の宝だからね。まあ、今はお金を取るようにはなってきているけれど。いつかヴァン・ゴッホの展覧会を見に行ったときに、入場料を払ったうえに絵の前はたくさんの人だかりでちゃんと見られなかったことがあった(笑)。お金を取られるのにもびっくりしたけど絵もちゃんと見られないなんて信じられなかったよ(笑)。あと、デパートが展覧会をやるのにも驚いた。
――日本のデパートはどこでも美術館というかギャラリーをやっていますよ。
ピーター:それが不思議。それがビジネスになっている。
――デパートに買物に来たお客が、そのデパートの経営している美術館にまで入場料を払うということですね。
ピーター:ヨーロッパでは聞いたことがない。考えられないことだよ。
――そうした日本で感じた美術対する考え方、扱い方に関する違和感というようなものがピーターの作品になっていますね。
その作品についてもいろいろ聞きたいのですが、ロンドンにいたときからアーティストとして活動していたんですよね。
ピーター:そう、マグリットの作品からインスパイアされたペインティングを制作していました。まだイギリスにいたとき、アーティスト・イン・レジデンスで地方の学校に行ったことがあったんです。そこで何をやろうかと考え悩んでいたんだけど、とりあえずマチスとかの模写をやり始めた。簡単だと思ってやり始めたらとても難しい。それでわざわざ大嫌いだったマグリットの作品にも挑戦したら、難しいながらもこれが結構おもしろかった。
その時からマグリットの作品にあるような言葉と言葉、絵と言葉の関係なんかの問題を自分なりに解釈して作品をつくるようになったんです。
――マグリットのスタイルを現代においてシミュレートしたわけですね。東京に来てからは作品の内容は変わりましたか。
ピーター:始めはロンドンで描いていたものの延長だったんだけど、日本の現代の文化に触れて感じたことも含めてだんだん作品の中に日本語を加えていくようになった。
――ロンドンでは英語だけだったのが、東京に来てからは日本の現代の文化全般を見据えながら英語と日本語から受けるイメージの関係やギャップもテーマとするようになったということですね。
東京、銀座の路上を使って行なわれたアートプロジェクト、「銀ブラアート」(アーティスト中村政人が企画)参加の作品が日本で最初に発表されたものですが、先ほど言ったように日本で感じた美術に対する考え方、扱い方に関する違和感というようなものが題材になっていますね。
ピーター:そう。この作品のタイトルはモネの作品から引用した「インプレッション・サンライズ」。つまり僕の日本の印象ですね。これは日本独自の美術作品の発表形態、貸画廊について言及したものです。それをラブホテルの看板を模したかたちで表現してみた。アーティストが作品の発表ができるのはその人の才能ではなくて経済の問題にある。このシステムは本当に変だと思うよ。これでは本当の作家が育たない。
――お金さえ払えば誰もが一定期間展覧会ができる。
ピーター:そう。私がアサヒイブニングニュースでライターをしているときも書いたけれども、貸画廊はラブホテルと同じようなものだよ。
――そうですね。カップルがセックスするためにお金を払って2時間くらい部屋を借りる。 ラブホテルっていうものもピーターにとっては不思議なものですか。
ピーター:とても不思議だよ。売春じゃなくてもセックスは商売になる。「お金さえ払えばここで何してもいいよ!」ってちょっとダサイいよ。便利だけど(笑)。
――その後は主に広告のイメージを扱った作品が多いようですが。
ピーター:「USO(ウソ)」展では広告から発せられるイメージの嘘と本当、日本語という言葉が持つものごとをはっきり言わないあいまいさを題材にした。
日本には街中にもメディアにもあまりにも広告が氾濫しているから、人々もいちいち注意を払って見ていない。だから先ほど話したラブホテルの看板を模した「インプレッション・サンライズ」も誰も気づいていなかったからよかった(笑)。
だけど外国人の私にとってはちゃんとよく見ないと何が書かれているサインかわからないから、街に溢れるサインをひとつひとつ一生懸命見ましたよ。よく読んでみたら「ランジェリーパブ」とか書いてあったりしてびっくり(笑)。
――僕たちにとってはあまりにも日常的なゆえに気づかないことを、外国人の眼からじっくり見ていくと「これはおかしいな」と気がつくわけですね。
ピーター:そう。それでそういった広告やサインをシミュレートした作品をつくっているんです。
――そういった中でもとくに薬の広告に興味があるようですが。
ピーター:薬は日本語で「kusuri」です。薬屋にはカタカナで「kusuri」と書いてある。反対から読むと「risuku」です。つまり英語の「リスク」と同じ発音になる。これをあえてカタカナで「クスリ」と書いてあるからおもしろいと思ったんですね。実際に体にとって薬はリスクが高いにもかかわらず日本人はあまりもそのことについて無防備です。例えば病院に行っても「先生」の言いなり。
風邪をひいて病院に行ったら「じゃ、注射でも打ちましょうか」って(笑)。ただの風邪なのに注射するの!?ってびっくりしましたよ。診察後に3種類のクスリを10日間分渡されて飲むように言われた(笑)。イギリスだったら病院に行って風邪だって言ったら「早く家に帰ってアスピリンでも飲んで寝ろ」と言われるだけですよ。
――たしかにそうですね。でも僕も病院にいったら何も疑問を持たないでハイハイって医者の言うこと聞いてしまうと思う。
ピーター:どうしてそれが必要なのか説明してもらえばいいのにね。
薬局で薬を買うとときどき「これ新商品なんですけど、よろしかったら使ってください」なんて言って新しい薬をサービスしてくれる(笑)。驚きですよ。実際に薬が原因で人が亡くなったりしているのに。
――薬を扱った作品の中でも滋養強壮剤(いわゆるドリンク剤)を素材にしたものがおもしろいですね。
ピーター:この商品の存在自体が不思議。
――え!?イギリスでは売ってないんですか?
ピーター:ないですね。
テレビを見ているとそのドリンク剤のCMをやたらとやっている。だいたい出演者がガッツポーズなんかして「パワー」というイメージを強調している。なんでビタミン補給したらパワーが出るんだ?(笑)。
――最近は日本も不況になってサラリーマンのお父さんも早く家に帰るようになりましたが、ピーターが東京に住み始めた頃はバブル経済による好景気で大変忙しい時代でした。作品のモチーフにもなっているドリンク剤の当時の宣伝コピーは「24時間戦えますか」。このコピーに象徴されるように薬まで飲んで働かなくてはならない、という雰囲気がありました。そしてそれが格好いいという時代でもありました。
ピーター:そうです。日本人は自分の身体をコントロールできていないんですね。だから薬に頼る。たとえば、お米は精米して食物繊維をはじめとする栄養豊富な胚芽を取って食べる。すると、そうした食習慣で不足するものを補うための市場が形成される。便秘や下痢の薬のCMもやたら流れてるでしょ。本当に不思議だよ(笑)。ドリンク剤にしてもそうだけど、自分の中にパワーがないと思ってて外から、つまり薬からパワーがもらえると思っている。
――「クスリ」と書かれた金太郎飴の作品もありますが。
ピーター:そう。その飴に日本語のカタカナで「クスリ」と書いた。これも言葉の裏切りというか、ネーミングと現物の関係が作品のテーマになっている。
――「クスリ」と書かれたキャンディを素直に食べられるか、ということですか。
たしかにさまざまな食品にビタミンやカルシウムが添加されていると宣伝されていますが、それと広告が伝えるイメージの因果関係がはっきりしていないですね。それが実際にどういった効果があるのか、もしくは危険があるのかはっきり言わない。「一粒にレモン百個分のビタミン」とか言ってるキャンディとか売ってるし、ビスケットにも「カルシウム入り」とか。どう考えても不自然ですね。でも健康にいいってことで宣伝しているわけです。
ピーター:他にも日本に新しくできたプロサッカー・リーグ「Jリーグ」のネーミングについて扱った作品などもあります。「Jリーグ」のJはJapanのJですが、これが流行するとあらゆる商品の頭文字にJがつく。しまいには国産の牛肉が「Jビーフ」と名付けられて売られている(笑)。先ほどのドリンク剤の宣伝コピーの「24時間戦えますか」も含めて隠されたナショナリズムを感じます。
ビジネス・スーツ姿でテニスをするスポーツ選手が登場するドリンク剤のCMのコピーは「ビジネスはスポーツだ」。でも日本の状況はむしろ「スポーツはビジネスだ」ですよ。
――そういった日本人である僕たちがあまりにも日常的であるがゆえに気がつかないメディアから発せられている、そして世の中の隅々にまでに侵食しているイメージを取りだす作業を作品を通して行なっているわけですね。
しかしそうしたメディア・リテラシーの問題を扱うアーティストは日本人ではあまりいませんね。
ピーター:そう。アサヒイブニングニュースの仕事で取材しているときにもそういったアーティストには出会わなかったですね。しかしアートというのは何かしら社会的なアプローチが作品の中に含まれているものだと思う。ただきれいだ、というだけでは現代美術とは言えない。
――現代美術とは何かしら政治的な意味をはらむものということですか。でもそういったアプローチは日本人が苦手とする分野かもしれないですね。
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