この記事は、中村ケンゴ氏がnmp-international のartist file掲載のためにインタヴューしたものである。
――開発さんは大学の先輩(多摩美術大学)でもあるので在学中からアグレッシヴに活動されていたのは知っていたのですが、専攻は油絵でしたよね。
開発:そうです。油絵専攻の立体コースでした。大学に入る前から多摩美には立体コースがあるのを知ってて、そこに行こうと思ってたんですよ。予備校生の頃からインスタレーション作品をつくっていたので。
――学生のときはオブジェ作品をつくっていたという印象がありますが、最近ではパフォーマンスも作品の中心を成すようなっているようですね。
開発:僕がパフォーマンスを始めたのはまわりでやってたものがおもしろくなかったというのがひとつあったんですよ。だったら自分でやろうと。それで、大学時代は立体作品を中心に制作していたんだけど、展覧会が終わったら倉庫に入ってしまうようなものばかりではなくて、常に作家自身が作品と一緒に行動するということをやり始めた。展覧会中もいろんなところにその作品に関連したプレゼンテーションしたりとか。それが僕にとってのパフォーマンスだった。
――造形物だけではなくて作家が常に作品と寄り添う、というようなスタイルですね。
開発:作品をつくっていく過程、コンセプトに合わせたパフォーマンスですね。基本的に僕、ゼロからものをつくるの苦手なんですよ(笑)。あるものとあるものを組み合わせて何かおもしろいものをつくるっていうか。
――パフォーマンスというのは、ギャラリーで発表するのにもなかなか難しいかと思いますが。
開発:そうですね。例えば画廊を借りて発表するという形態があって、その借り賃を稼ぐために一生懸命働いて年に1、2度スペースを借りて発表するというやり方は大変なんですよ。結局、自分のやりたいペースに追い付かない。
――ちょっとそのことについてフォローさせてもらうと、日本には貸画廊という独自のシステムがあって、誰でもお金さえ払えばある一定の期間(だいたい一週間から二週間)ギャラリースペースを借りることができる。
だいたい最初はみんなお金を払って画廊を借りて発表する。うまくギャラリーのディレクターに認められたり、メディアから注目されると画廊が個展を企画してくれたり、グループショウに選ばれたりするというサバイバルのスタイルがある。
開発:そう、それで僕はずっと銀座のギャラリーで発表して最終的には美術館に収蔵されるということがアーティスト・サバイバルの王道だと思っていたんですね。でも僕はそんなコースに乗れるかどうかわからなかったし、あるときそういうピラミッドを登って行くというコースはつまらないなと気がついたんですよ。
僕はつくるペースが早くて発表したい作品はたくさんあるんですけど場所の方が追い付かない。画廊が企画してくれるときもあるし、自分で借りるときもあるけど、それだけだとある程度限界がある。そうしたときにそういった場所じゃないところで作品を提示することを考えたんです。それで「365大作戦」というプロジェクトを行ないました。
――365個の組み立て式のオブジェを日本全国の協力してくれる一般の人から美術館、ギャラリーなどにそれぞれ送って任意の場所に設置してもらい、そこに1年間かけて一軒、一軒訪ねていくというプロジェクトですね。
開発:なんでもないオブジェだし、最後には燃やしてしまうんだけど、その人が1年間なりずっとその作品と関わって記憶に残してもらうというのが大事なんです。日常とともに作品が存在することによって、いつか美術館やギャラリーで見た作品のように忘れ去られたりすることはないと思うんですよ。彼等がこのプロジェクトに関わったことの記憶があれば、そのオブジェ自体がなくなっても、日本中に僕の作品があることになるんです。それを僕は「見えない彫刻」と呼んでいます。
――1年間かけて作品を置いてくれた日本全国の人を訪ねて行くわけですよね。体力的にも精神的にも大変ですね。
開発:とにかく最後までやりきらないと作品として成立しないと考えていたから、最後の3日間くらいはとてもハードでしたね(笑)。
――どのようにしてそんなにたくさんの協力者を集めたんですか。
開発:知り合いには全部頼んだし(笑)、パソコン通信なんかも利用して協力者を募集したので、本当に日本全国です。それから全国の美術館にも打診して5、6館が協力してくれました。なので普通の一般家庭にも公的な美術館にも同じ作品が置かれたわけです。例えば「山口美術館と同じ作品が家にもあるよ」っていう感じ(笑)。あと岡山から東京に出張に来た人が偶然路地で作品を見かけたりとかいろいろおもしろいことがあった。
――地方をまわってみて、そしてそこから東京を見て何か感じたことはありますか。
開発:例えば愛媛とかで『美術手帖』とか『フリークアウトとか読んでみたりすると、結局全部東京の情報なんですよ。だから、ごく一部で行なわれている美術があたかも日本全国の美術であるかのように扱われていることがよくわかった。地方では地方でちゃんとしっかりとしたものをやっていたりするんですよ。
――その他の作品についてもお聞きしたいんですが。
開発:僕は「アート開発会社」(略してADF)という作品上での会社をつくっていて、その社員達が会社によって洗脳されて最終的には死んでしまうというストーリーをつくりました。
――それは日本の会社員、つまりサラリーマンの置かれた状況についての物語なんでしょうか。
開発:そうです。ひとりの人間が何か大きな力によって死すらも選んでしまう状況があるということ。この作品のシリーズを発表した後に起こったオウム真理教事件なんかもそうでしょう。
――サラリーマンの働き過ぎによる過労死なんかの問題もある。
開発:そうですね。「もはや脳味噌停止展」というシリーズなんですが、日本における「会社」というものの位置づけや、体は大人でも精神的には子どものような人々、というようなコンセプトがあるんです。
――赤ん坊の格好をしてビジネス街を徘徊したり、幼稚園児と一緒に授業を受けるスーツ姿の大人といったようなパフォーマンスですね。
開発:この赤ん坊の格好の写真は、月曜日の朝の東京駅前。一番いやな時間だね(笑)。
――ひとたび彼等のスーツを剥がしてしまえば、こういった精神世界が現れるということでしょうか。サラリーマンの世界というのは開発さんにとって重要なモチーフなんですか。
開発:僕の作品はすべて「グレイ」という色のコンセプトに集約されているんですよ。白と黒の間のあいまいな色という意味、白人と黒人の間という意味。あとサラリーマンのスーツの色とか、オフィスに置いてあるものの色、デスクとか、そういうのもグレイでしょ。
だから僕はいつも全身グレイの服を着てるんですよ。お坊さんのように自分の趣味、着たい服があるのも抑圧してまでコンセプトに合わせた格好をしているんです。アートに身をささげている証しとして。起きてから眠るまで作品ということを実践しているわけです。昨年はそのものズバリ「グレイ」というタイトルの個展もやりました。
――開発さんの作品は、今伺った「アート開発会社」の社員のパフォーマンス、「365大作戦」を始めとして、印象としてはかなりバカバカしいのが多くて好きなんですが、実際やっている本人は体力的にも精神的にもかなりハードでストイックな行為としてやってるんだなあと改めて感じました。
(東京、多摩美術大学近くの彼の勤めるオフィスにて)
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