この記事は、中村ケンゴ氏がnmp-international 4/25号のartist file掲載のためにインタヴューしたものである。
――東恩納さんはいわゆる日本の現代美術の流れから見ると世代としてはポストもの派あたりになると思うのですが、そういったスクールとは全く関係ないところで作品をつくってらっしゃいますね。
東恩納:(作家活動を)始めたのがすごく遅かったからね。
――もの派でもポストもの派でもいいんですが、僕にとっては直接的、意識的には影響をあまり感じていないんですね。ところが東恩納さんの作品を初めて見たとき、世代としては大きく離れているにかかわらず、変な言い方かもしれませんが非常に大きなシンパシーを感じたんです。だからあまりこういったことを世代の問題に回収してはいけないんでしょうが。
東恩納:ただ、今までそういう分け方はあったよね。でも僕も同世代よりも下の世代の方から影響を受けていますよ。
――実際、同世代の作家、というか美術の動きにに対してどういったイメージを持っていましたか。また78年に多摩美術大学を卒業されて、初めて作品を発表するのが87年、このブランクについても聞きたいんですが。
東恩納:(同世代の作家たちによる美術の動きについては)もちろん知ってはいたけれど、現代美術に対してそれほど興味もなかったし、関りようもなかったんですね。とにかくやる場がなかったし、当時、日本のアバンギャルドと言われていたまわりの現代美術っていうものが全く自分に合わなくて、何かつくるということはやっていましたが……。とにかくもの派とか、嫌いなんですよ。
――例えばBT(美術手帖)のインタヴューでは、日本のアバンギャルド、例えば「具体」とかは前衛というよりは土俗ですよ、と言ってらっしゃいましたが。
東恩納:西洋でいうモダニズムって意味でのアバンギャルドっていうものが日本にちゃんとあるのか、という疑問はあります。
作品を発表するきっかけという話ですが、状況的には80年代に入って、関口(敦人)君がでてきたあたりからかな、まわりの状況が変わってきた。
――80年代の「ニューウェーブ」以降の状況が現代美術に対してアプローチするきっかけになったということですか。
東恩納:ニューアカ(ニューアカデミズム)とか、そういったものも含めてポストモダンと言われたような全体的な状況ですね。その前まではクソ真面目なモダニズムしかえらくないっていうのがあったから、それだともう何もできない、というかとっかかりがなくて……。
ただ、状況が変わったからといってすぐにとっかかりができたという感じでもなくて、やっぱり違和感もあった。「ニューウェーブ」と言われたアーティスト達が何をやっているのかよくわからなかったし。ニューペインティングにしてもああいった一見、表現主義的なものは全く信じていなかったし。そういった状況から一歩引いたところから始めたという感じかな。
――表現主義的なものを信じていなかったというのはどうしてでしょうか。今振り返ればニューペインティングが表現主義的かどうかというのは異論もあるでしょうが。
東恩納:まあ、それはあるでしょうけど、とにかく「表現」というものをあんまり信じていないんですよ。
――例えば人間の内面から沸き上がる表現への欲求、とか……。
東恩納:そう、そういったロマンチックなアイデアはね。とくにあの80年代いうのは「ヘタウマ」とか、イラストレーションのブームも含めてにわかに信じがたいものが多かったから。
だからいつもあんまりフィットする場所というのがなかったんですね。逆にそれが作品をつくるモチベーションになってるのかな。
――それで87年の初個展になるんですが、素材に既製品のプリント生地にペイントするという作品を発表されていますね。こういたスタイルになったのはやはりなるべく直接的な「表現」から離れようとする試みの現れなんでしょうか。
東恩納:今から考えるとわりとポストモダン的な手法だと思うんですが、消去法で考えていったんですよ。表現主義でもなく、抽象表現主義でもなく、あれでもないこれでもないっていう感じで。ペインタリーなものというか、自分で描くのが嫌だったんです。
そうやるなかでどうやったら絵画として成立するのか。それでプリント生地というパタン、つまり装飾的な、絵画というものよりも低いと思われているものを利用するという方法。極端に言えば平らなものにイメージが張り付いていれば絵画と言っていいんじゃないかと思ったんですね。一番言えることは、表現したいもの、描きたいものがなかったということです。
――よくわかります。僕の作品も、例えば"CONPOSITION TOKYO"であるとかは基本的にはそういったスタイルです。僕は作品の中に自分がいるわけではなくて、むしろ作品の外側に自分がいるんだ、というふうに説明しているんですが。
東恩納:僕にとってもケンゴ君の作品はすごくわかりやすいよ。
――でもそういった手法はちょっとアイロニックな感じがしますね。
東恩納:うん。どうしてそうなっちゃうんだろうね(笑)。
別にアイロニカルな立場を取ろうとしている訳ではないんだけれど。
――オールオーバーな絵画のような画面の作品もありますが。
東恩納:これはデザイン屋さんなんかで売ってるパターンブックってあるでしょう。あの中に罫線集のようなまのがあって、この作品に使ったのはカリグラフのパターン集かな。それを2冊分くらいスキャンしてその線を重ねて作ったんです。抽象表現主義絵画に対するアイロニカルなコメント、といったものでしょうか。別になにもしていないんだけれど、これでも絵画と言っていいんではないかと。
――そうですね。フォルマリストが見れば、この作品の中に構成とか空間とか色彩とかを見いだしてくれるかもしれない(笑)。
東恩納:日本で今でもたくさん描かれている抽象絵画って、すごく神秘化されていて、だから作品つくってる側も観る側もことばで語る側の人達もみんなでヨイショして何もないところに空中楼閣をつくっている感じがするんです。若い人達までそういったな絵を描いていて、それがコンクールで賞を取ったりしている。
――たしかに今でも美術大学に行くと多くの学生達がそういったなんだかよくわからない抽象画を描いていますね。それで例えば「この作品は何を描こうとしているんですか」って聞くと「これは自分の内面を云々……」ということを言ったりする。君の内面なんて見たくないって(笑)。
作品の話にもどりますが、既製品のプリント生地の他にもレースのカーテンや、バラの花、家具や建売住宅のイメージも引用されています。
東恩納:それはモダニズムの男性優位主義的な、一種の何て言うのかな、教条主義のようなものがすごく嫌だということがあって、それで日常的なちょっと女の子っぽいモチーフなんかを引用しているんです。
――そういった一連の作品を見ていると、デビッド・リンチの映画「ブルーベルベット」のイメージなんかを感じたりするんですが。
東恩納:一見、日常的見えるんだけれども、なんとなく変だとか怖いといったイメージだよね。まあ、あれはよくわかるんだけど別にリンチみたいなことをやりたいわけじゃない。
――バラの花を使って指紋の形を作った作品ですが、これはそれまでとちがってメッセージ性も感じますね。
東恩納:それまでの作品は、柄自体は意味はなかったんですね。画面上の操作自体、方法論自体の方に意味があったわけです。作品になぜ鳥が描かれているのか、それについては意味がないわけです。
それに対してこのバラの花の指紋の作品は、ある種のパタンを引用するというのは変わらないんですが、イメージに意味を持たせようと考えたわけですね。それまでのポストモダン的な手法はもうやめようと思って……すぐにはやめられないんだけど(笑)。
ポストカード屋さんでよく見かける花柄のカードとかがあるでしょ。そういった一見ファンシーなものなんだけれど、よく見てみると指紋の形が見えてくる、そういうアイデアから始めました。指紋の形という部分でポリティカルなメッセージを受け取ることができる。
――外見と内容が相反しているような感じでしょうか。
東恩納:そう、バラと指紋は別に関係がない。バラの花というのもいろいろと深読みできるものだしね。指紋についてはやっぱりどうしても暗いイメージがあるでしょ。犯罪とか……。
――日本では外国人登録のさい、指紋押捺の決まりがありますよね(nmp_i編集のTom - イギリス人- が指紋が押された外国人登録書を見せてくれる)。ああ、嫌なものです ね。
それにこの作品の指紋はさまざまな人種、国籍、年齢のひとから提供を受けたものと いうことですが。
東恩納:ええ。ただ、そこまで説明しなくともいいのかもしれないけれど。
――その次に発表された建売住宅や家具のシルエットのシリーズについてですが……。僕の家に限ったことではないんでしょうけど、どうやって住所を調べたのかわかりませんがよく通信販売のカタログが送られてきます。まあ、いろんな商品、家庭で使うものが多いんですが、なんか妙ですよね、ああいうのって(笑)。また、新聞にもたくさんそういった広告が一緒に挟まって配達されてきますが、そこからイメージを引用されているわけですよね。
東恩納:ああいうのって何か気恥ずかしいような、なんとも言えない居心地の悪さっていうか、そういう感じがありますよね。きっと居心地の悪さっていうのは半分は自分も共有しているからだと思うんです。だからすごくよくわかるんだけど、反面すごく嫌だなと言ったような。
――そのシリーズの延長線上にもあると思うんですが、ご自分の制作場所で行ったスタジオショウあたりから空間を意識した展示という見せ方になっている感じがします。その後のプレイビルでの展示も含めて。今までのストイックな見せ方とはちょっと変わってきたというか。
東恩納:そうですね。
スタジオショウの方はもともとギャラリーではないわけですから意識せざる得なかったんですが。プレイビルでの展示では、少し壊してみようかなと思ったんですね。ごちゃごちゃにするというか。まあ、空間が狭いところだからできたということもあるんですが。
――作品の中にノイズが発生してきた、という感じを受けます。
東恩納:それまでわりとわかりやすく提示してきたんですが、別に僕はわかりやすいことを言いたいわけではないんだろうなと思って、だからコンセプトはあるんですがちょっと混沌とした感じで見せてみようかなと。ただ、混沌とさせるのではなくて、もともと混沌としているんだと思います。
説明しようと思えば説明できるんだろうけど、そこに回収できないものがたくさん残っていた方がおもしろいかなと思うし、そのときどうしてそういう作品をつくったのかわからなくとも後から他人の眼を通してもいいし、自分が変わっていく中でもいいし、わかっていくということがあっていいと思うんです。
(東京、大田区のアーティストのスタジオにて)
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