この記事は、中村ケンゴ氏がnmp-international 4/25号のartist file掲載のためにインタヴューしたものである。
――初期の頃の高柳さんの作品というのは一見レディメイドに見えるような、でも奇妙としか言いようのない、そしてフェティッシュな「特殊な物体」といったような印象があります。そもそもこういったスタイルの作品をつくられるようになったのはどういうきっかけがあったんですか。そして学生時代はどのような作品をつくっていましたか。
高柳:私が学生だった頃というのは80年代の後半で、まわりではインスタレーションと、それに伴った物語性を感じさせる作品が流行していました。それで私もそういうのに影響を受けていろいろやっていたんです。大学での専攻は絵画だったんですが、最初は描くことに対して考え込んじゃうタイプだったんですね。ひたすら文様描いたりとか(笑)。でもやっぱり絵があんまりうまくなかったってこともあったし、パネルの上だけじゃなくて、どうやってもいいんだなとだんだん思いだして、(作品が)3次元になっていったんですね。ですから学生の頃は非常にインスタレーションぽいこともしていました。
――いわゆるそのときの、80年代の美術のムーブメントにそった作品をつくっていたということですか。あの頃はなんでもかんでもインスタレーションって感じで、そういった表現形式の飽和状態という印象もありましたが。
高柳:そうですね。でもまず言えることは大学ではそういうことを学べる授業が無いんですよ。
――つまり、今、ここ、という同時代の美術について美術大学は教えてくれない。
高柳:そう。それで自分で『美術手帖』を読んだりとか、そいうことしか無いわけです。大学では唯一、現代美術を扱うゼミがあってそこぐらいでしたね。具体的に今やっている展覧会についての話なんかがあって、刺激を受けられたのは。だからやっぱり、そういった雑誌やゼミで知った当時の流行が私にとってはインパクトがあったんですね。大学院に入ってからは、それまでやっていたインスタレーションのようにまわりの状況とか空間を考慮に入れて(作品をつくる)、というのではなくて、ひとつのものとして、それがどんなところに置かれようとそれ自体が語れるというものにしたいという意識がでてきました。
――88年に大学院を修了されて90年から1年間、イタリアに留学されていますね。
高柳:イタリアに行くきっかけになったのは、大学院で入ったゼミがそのときイタリア現代美術研究をやっていたんです。それでとくに詳しくはなかったんですけれど、一緒にゼミにいた友人がイタリア語習うっていうので、じゃあ私もというかんじで。それでせっかく勉強したんだから行ってみようかな、と。それで試験を受けて給費が出たんです。それに、作品に対する意識の変化があった中で、古いものが見たいっていうのも結構あって、イコンとか、そういう平面でありながら非常に重みのあるというか……。
――視線を吸い付けるような力というか。
高柳:そう。緻密さというか、そういったものをその頃見たかったんです。とにかくまわりと関係なく、それがあることによってその強さというものがある、というようなものをつくりたいと思っていたので。それでイタリアに行くことになって、ルチアーノ・ファブロがいるミラノのアカデミアに入ったんですけれど、彼は向こうでもとても人気があって有名な人だから、授業が取れなくて。それは残念だったんですけど、まあ他の教室に入って、あとはほとんどいろんな美術作品を見てまわってました。それで古いものが見ておきたいということは消化できたと思います。イタリアではそれができたことがよかったかな。
――イタリアと日本を比べてみて、社会の中でのアーティストの扱われ方の違いみたいなことについて何か感じましたか。
高柳:違うな、と思ったのは普通の一般の人達が美術家に対して、売れてるとか売れてないとか年齢とかに関係なく敬意を払っている、そういう感じは受けました。羨ましいことです。
――作品の話にもどりますが、「現実をもとにさらに効果的にアレンジされてきた幻」、「その偽物のようでもあるものが目の前にあらわれていることで、正確な現実をしめしてくれたように」と93年の展覧会のパンフレットに書いていらっしゃいますが、これは高柳さんの作品を見るうえで手助けになるおもしろい言葉だと思います。そしてその作品なんですが、結構いろんな素材を使っていますよね。でも実は素材に対する思い入れってないんじゃないかと思うんですが。
高柳:ないですね(笑)。
――だから、例えば作品が一見手技的な感じがするけれど、それは一種のシミュレーションと思ったほうがいいということですね。
高柳:そうですね。ただ、シミュレーションだけだとつまらないんですよ。そのシミュレーションする精神性というのかな。そういうことも一緒に表現したい。
――そういった表現にならざるを得ない時代的、社会的状況を含めて。
高柳:そうです。初期の作品というのは、何らかのうわべ、がわ(つまり表面、表層)を持った、一時的にあるイメージを持ったものを見せたい、ということがあったんですけれど。
――何かを喚起させる、しかし無意味な形態があって、その表面にベロアとかゴムとか人工芝とかが覆っているわけですよね。そういう意味では、その頃の作品というのは、わりと工業製品的なイメージがあるんですよ。ところが最近の作品になると素材が卑近な感じになってきているというか、つまり籘とかキルトとか木であるとか、しまいには粘土、雑巾、糸くずとかになったりしてきているでしょ(笑)。工業製品的なものから工芸的、日常生活的な素材に移行してきていますよね。これは素材自体に対する感情移入があるというより、その素材の扱い方、扱われ方に興味があるということですか。
高柳:そう。素材が持っているイメージ、それがおもしろいわけです。素材がそうやって変わってきたのは、93年の展覧会あたりからなんですが、何が足りないのか、何をもっとやりたいのかというところから、それはもう感覚的、直感的にそう思って変わってきただけなんだけれど。
――たしかに、質問している僕が言うのも何なんですが、アーティストにどうしてこんな作品思いついたの? なんて聞いてもそんなの何とも言えませんよねえ(笑)。
高柳:そう。たまに考えるとね、ああ、こういうことだったんだってすごく明快になることはあるんだけど(笑)。とにかくどんどん深みにはまってる感じなんですよ(笑)。初期の頃はそんなに意識はしていなくとも、私はこう考えたからこういう作品にした、そしてそれを見てほしい、ということがあったんですね。説明しようと思えばできるかもしれないというやり方だったんです。
――たしかに初期の作品はそのあたりを推し量ることはできますよね。でも最近のは本当に突き抜けちゃってて……(笑)。
高柳:そうなんです。そういうことがだんだんもの足りなくなってくるんですね。それで回転する作品をつくり始めたりとか、粘土の作品にしても、とにかく変化するじゃないですか。そういう非常に不安定なおもしろさというか。回転するキルトの作品なんかも手縫いとかしちゃって、すごく一生懸命につくるんですよ。非常に時間をかけてつくるわけです。それをこともなげに回してしまうっていうのが(笑)、私にとっては快感なんですよね。
――普通なら何らかのイメージを持って感情移入してしまうような素材や手技が、高柳さんの作品の場合、それが拒否されてしまうというか、突き放されちゃってむしろ笑ってしまうというような感じなんです。
高柳:そうかもしれないですね。もうつくることが人間の精神力の可能性の問題というか(笑)、自分で一生懸命つくって自分でつぶしてしまうという、そういう楽しみというか、喜びというか。
――先ほども言いましたが素材が粘土、雑巾、糸くずと、どんどんフニャフニャに(笑)なっていってるんですけれど、表現の強度というのはますます突き抜けたものになっていっていますね。
高柳:そう言っていただくと嬉しいですね。
――ですから美術館やギャラリー、批評する側が、もう作品に追い付いてないんじゃないかとも思うんです。今でも数々のグループショウに出品されていますが、結構「彫刻」にカテゴライズされて選ばれていたりするじゃないですか。あと「女性」であるという文脈での批評、そういうことに違和感を感じませんか。
高柳:もちろん感じてはいます。自分のつくっているものが「彫刻」だと思ってないですし、単純に使っている素材などから「女性」という枠をはめられてしまうのでしたら、そういう見方はおもしろくないな、とは思いますね。自分のつくっているものがどういった範疇に入るかということはあんまり考えなくていいだろうと思っています。
――最近作品がどんどん小さくなっていますが。
高柳:それは素材の関係ですね。大きさのことを言うと、例えば大きくてもその大きさでものを言ってないほうがおもしろいと思うんですよね。大きさとか重さとかと関係ない次元で表現したい。昔よく思ってたのは、作品が宇宙空間にポコッとあるような感じ。そうなると相対的にも大きさとか重さも見られないし、見る人の気持ち次第でどうにでも変化するわけでしょ。そういう作品がつくりたいんですね。
(東京、渋谷のカフェ、ドゥ・マゴにて)
展覧会予定
VOCA展'99
1999年2月20日〜3月7日
99年2月頃(詳細は未定)に宮崎県立美術館にてワークショップを行なう予定 |