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Interview ||| インタヴュー
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中山ダイスケ 中村ケンゴ

昨年の11月の終わりから、ACC(ASIAN CULUTURAL COUNCIL)のBlanchette H.Rockefeller Fellowship部門の奨学金で、ニューヨークに滞在中の中山ダイスケ氏。続いてポーラ財団のグラントが決まり、さらに彼の地での滞在が延長された彼に中村ケンゴ氏がE-mailによるインタビューを行なった。

――昨年の渡米前のnmpによるインタヴューでは、たとえニューヨークで順当にいっても東京にもどってなんとかしたいと言ってましたけど、その気持ちは今でもかわりませんか?ニューヨークに行った作家達は、日本よりもアーティストとして活動しやすいということで、そのまま滞在を続けてしまう人達も結構いると思うのですが。

ダイスケ:こっちへ来てすぐに仕事が始まったので、仕事をするにはどこにいても同じって感じかな。もちろん、こっちのほうがやりやすいこともやりにくいこともあるから、どちらがいいとも言えないんだけど。それにまだあまりギャラリーとかも見てないんだよね。だから今はもうしばらくここにいたいって感じだよ。それに今こちらでの他のプロジェクトと並行して、東京でのショウの準備をしたり、新企画のプレゼンをかけたり。できるんだよね、どこにいても。今もこうやってインタビュー受けてるし。

――そちらにいても東京の状況というのは気になりますか。また、東京の状況について把握するように努力していますか。

ダイスケ:個人的に気になる事とかは、アートに限らず手に入れてる。「中田の移籍問題」とか、「ともちゃんの新曲」とか。東京のアートシーンに関しては、たまに日本から来る関係者から聞いたりはしています。面白いのはね、「情報」をこっちから取りに行くって感覚。大半がインターネットなんだけど、自然に入ってくるのではなくて、能動的にね。
このあいだ映画監督の山本政志さんと飲んでたら、2人ともネットの「日刊スポーツ」のファンでね。くわしいの芸能ネタに。日本にいるときよりも、そういうことを気にしたりして。そうやって見てると、情報の摂取の方法が特殊な感じがする。「青酸カレー事件」とかさ、すごいよ。文字で読むと余計に強烈でね、シンプルなデータほど余計に想像力を刺激してくれる。野球やサッカーも数字で毎日見ることになるから、経済面の外国為替状況と同じ感覚。数字のみで阪神の堕落ぶりをみてると腹も立たないし(笑)、逆にすごくエキサイティング。

――ニューヨークでのISP(International Studio Program)の活動とその印象を聞かせてほしいのですが。

ダイスケ:ここは、日本ではあまり知られていないけれど、ヨーロッパの作家には特に人気があるみたい。基本的なシステムは、各国の財団なんかのスポンサーから援助をされてる作家が、その財団を通してスタジオを一定期間使用できる。滞在期間も1カ月から1年など様々で、中には自分の本国のメインギャラリーから派遣されてる人や、国から派遣されてる人なんかもいて、その国の事情なんかもいろいろ分かって面白い。日本人は初めてだったから詳しいことは分からないまま入ったんだけれど、ここは制作っていうよりもプレゼンテーションの場という感じ。スタジオ自体は、僕のようにいろいろと器材を駆使するタイプの作家には非常に使いづらくて、どちらかっていうとぺインター向きだと思うんだけど、とにかく来客が多いんだよ。キューレーターやギャラリストをゲストに呼んで、各作家と引き合わすっていうプログラムもあったり、来ている作家それぞれへの来訪も多い。もちろん、制作が思うようにいかないっていうジレンマはあるけれど、「アーティスト」っていう人種がごまんといる街で、そうやって関係者に会える機会が多いのはすごく得 。オープンスタジオも定期的にあるし、僕にとってはスタジオ食堂のインターナショナル版って感じかな。たまに人の作品手伝ったりしてね。

――ということはアーティスト同士のコミュニケーションもさかんに行なわれているということですか。

ダイスケ:そうです。作家によって滞在期間がバラバラなので、みんなできるだけいるうちに仲良くしようとしてます。 いろんな国のなまりがある英語が飛びかっていて面白いです。

――渡米直前にレントゲンクンストラウムで発表された作品(中山ダイスケ個展《HUG》1997年10月10日〜11月8日)はそれまでの攻撃的な立体作品と打って変わって繊細なペインティング作品でしたが、そちらに滞在してさらに作品の変化というのはありましたか。

ダイスケ:う〜ん、ここへ来たからって訳ではないと思うけれど、あの《HUG》あたりから、いろんな事を無視できるようになってきた。いい意味でね。それがタイミング良く場所まで変わったから、余計にフリーになったみたい。確かにこっちでの作品は一見ずいぶん変わったように見えるみたいだけど、大切な事がはっきりしてきたからいいと思う。いろんな表現手段にも楽に手を出し始めたりね。

――いろんな事を無視できるようになってきた、というのは具体的に言うとどのようなことなんでしょう?

ダイスケ:自分自身に知らず知らずに出きあがっていた価値観や、アートに対する考え。
自由にやっていたつもりだったけれど、正直にはそうではなかったかもって気がついてね。 それは自由とか不自由とかでは表現できない自分自身の資質の問題かも。そしてそれ自体を無視できるようになったのかもね。 そうなると具体的には使用するメディアの枠がはずれちゃって、写真でも音でももういろいろ使い始めた。今まで感じたことのないぐらい、どんどん自分に近づいていってるって感覚で、間口は広がってく一方。 不思議なんだけど今までの自分の性格だったらどう道をそれようが、そういうものを「得意のパターン」に強引にまとめて、余計なものを排除しながらシンプルにやってたはずが、「もっと、もっと」ってもうめちゃくちゃ(笑)。
でもそれが楽しくて、なんだかやっと「生活」と一致した感じ。思い描いた通りに物事が進むってことは、実はあまり日常にもなくて、寄り道だったり、ハプニングだったりそういうものが結局「生活」自体のほとんどを構成してるって言ってもいいぐらいでしょう。だから作品制作そのものの計画から外れたものを逆に楽しんじゃうって言うか、プロセスにしか興味を持てなくなったのね。
それで、あらためて自分のこれまでの作品やカタログを見てみると、前の作品が今までよりも好きになれた。やってたんだよね、気づかないところでの脱線。「なんだ、俺って前からそうなんじゃん」って。 そのことが、作家としての進歩なのかどうかはわからないけれど、なんか人間としては得した気分だね。

――滞在中すでに2月にダイチ・プロジェクト(ジェフリー・ダイチのギャラリー・プロジェクト)で新作のインスタレーション、6月にRARE(ギャラリー・レア)で写真&ビデオの新作、同時にオルドリッチ美術館(Aldrich Museum、コネチカット州)でのグループショウなど精力的に作品を発表していますよね。展覧会をやってみて、ギャラリーとのコミュニケーションや業界、観客の反応はいかがでしたか。またどういったところが東京で活動していたときと大きな違いを感じましたか。

ダイスケ:難しい質問だけれど、全部が全く違うって感じかな。別にコンテンポラリーアート自体が、こちらではメジャーかっていうとそうではなくて、ただ圧倒的に関わってる人間の数は多くて、それがマーケットってものを構成してると思うし。あとは「批評」ってものがきちんと存在してるのが一番の違い。素人批評家も沢山いてね、「うるせーなあ、もう」って思うのも事実だけど、みんな厳しいよすごく。僕がやったショウの反応なんかは「これまでの日本人のイメージとはなんか違うぞ」的な意味では受けてるみたいだけれど、だからって『NEW YORK TIMES』にでかいレヴューが出るわけではないし。Deitchのショウの時に小さい紹介が『NEW YORK TIMES』に出たんだけれど、「中山は日本では危険な作家として評価されてるらしいが、これのどこがアブねーの」なんて書かれた。この間のRAREでのショウはいいレヴューが出たけれど、それでも評価っていうのには早すぎる。それに批評家やライターも作家と同じで、くだらない奴は生き残れないから、きちんと見て、責任もって書いてるし。それが日本との大きな違いだよね。書かれる内容をいちいち気にしてはいないけれど、書かれるか、書かれないかは重要。批評が客を動かしたり、評価を変えたりするんだから、恐ろしいことだけどすごいよね。
ギャラリーとの関わり方についてはまだ2カ所だけれど、それぞれだね。Deitch Projectsはさすがにプロフェッショナルだった。見せ方や、作品の選択、値段の設定まで、きちんとギャラリーが意見を持ってるし、立場を主張してくる。今やってるRAREは逆に作家と一緒にショウを作っていくって感じ。東京と違うって意味でも、経験って意味でも、Deitch Projectsは新鮮だった。またチャンスがあればいっしょにやってみたいって思ってる。ただね、ニューヨークだからって、なにも全員がプロフェッショナルな訳ではないっ て事。ものすごい数のどうしようもない人もいて(笑)、それもすごい。

――ところでダイスケさんは台北ビエンナーレに日本のアーティストの代表のひとりとして出品されたわけですけれど、欧米の国際展とはまた違った雰囲気は感じましか?最近では韓国の釜山を始め、アジアでも国際的な展覧会が多く開かれるようになりましたけど。

ダイスケ:今回のビエンナーレは「欲望」ってテーマがピッタリだなって感じた。作品も熱かったし、空気も暑かった。
でもヨーロッパやアメリカのグループショウは気楽にやれるのに、なぜか、アジア系のグループショウの方が緊張するんだよね。特に作品が出そろってみるとすごく落ち着かない。これは僕だけかもしれないけれど、他のアジアの国のアートになんか違和感を感じるんだよね。今回のビエンナーレは国を越えた部分で作家個々の差異が表に出ていたと思うけれど、でもなんとなく国別に醸し出してる雰囲気って感じる。僕もアジア人の一人なのに少し変だけど、なぜか特に中国や台湾の作家の作品に対して「オリエンタリズム」を感じてしまう。正直な感想なので仕方ないんだけれど、やっぱり70年代から90年代と日本で育った僕の感覚は、欧米、特にアメリカ人の感覚に近いんだね。これはまったく僕の個人的な意見だけれど、総合的に見て今回の台北でも日本人作家の作品は他の国々の作家とは絶対に違う方向を向いているような気がしたよ。

――今後、東京にもどって来てアーティストとしての活動を行なうさい、東京のアートシーンの中でどのようなことを主眼に置いて状況を切り開いていきたいと思っていますか。

ダイスケ:それについては、今まで考えてる事と何も変わらない。こっちに来て再確認できたけど、東京にニューヨークやロンドンのマネを求める事自体がナンセンス。東京にいる時もずっと思ってた。作品の評価は国境を超えると思ってるけれど、社会との関わり方はその場所によって違って当然でしょう。だから東京ではきっとまた個人活動以外のことをやると思う。でもね、東京はいちいちうるさい奴が多いからね。なんにもしないで中傷ばっかり「批評」っぽく言う奴が。だから、今度やるならもっと強くやりたい。もっと好き勝手に。

――それで聞きたいんですが、ダイスケさんはスタジオ食堂の代表として、自らの作品制作と並行してさまざまな企画プロデュースを行なってきましたよね。決して良いとは言えない東京のアートシーンの中で多くの試行錯誤があったと思うんですが、今そういった活動を振り返ってみてどのような評価を自らに与えていますか。

ダイスケ:これだけは言いたい。スタジオ食堂はね、別に完成形じゃないんだ。ただ僕らが東京で作家をやるために必然的にああなっただけで、あんなこと世界中にあるし、いっぱい見てきた。ひとつのコミュニティーはひとつの理念によって出きあがるのが世の常で、スタジオ食堂もその例外ではない。僕の役割はその理念を進めることだっただけ。その理念っていうのも別に大それたことではなくて、ただアートを「もっと自分たちのものに」、そして「もっといろんな人に」ってだけだった。今のプロデューサーの菊地君がやろうとしてることも別に特別な事ではないんだ。
人によって自分の「アート」をどこに留めておきたいかって事や、誰に見てもらいたいかって事はちがうのは当然だから、いろいろ批判を浴びてもしょうがないけれど、文句を言われる筋あいはないね。それに「作家は作品だけ作ってればいいの」なんて言ってる関係者は何にも現実を分かってないよ。そんな人はどうせ毎日アートしか見てないんだろうし。あと作家それぞれへの評価と、スタジオ食堂ってものへの評価を同じにするのは何故なのか分からない。みんな仲間だけれど、作家として全員を好きなわけではないよ。
アートシーン自体がないに等しいんだから、かえっていろんな人がいろんな方法を試せる。そう意味では幸せだよ。食堂の事だけじゃなく、P-HOUSEだって村上隆さんたちの事だってそう。いろいろあるから面白い訳でしょ。結局自分のスタンスでしか行動は起こせない。

――そういった意味でダイスケさんが知る限り、東京においてアーティストたち自身による新しい状況づくりというのはでてきていると感じていますか。

ダイスケ:まだまだだと思うよ。ちょっとみんな臆病になってるんじゃないかな。こうやって、「何かやれば非難される」って状況を見せつけられるとしかたないとも思うけど。それか実はみんな、種は植えたいし育ちたいけれど、畑は誰かが耕してくれるって思ってるのかも。その考え自体がそもそも戦後の日本のアートシーンそのものだと思うよ。それとかね、僕の知ってるもっと若い世代の人たちは、はなから「東京」や「日本」なんて眼中にない人が多いよね。そうやって才能は流れていくんだよ。それもいいと思うけれど、ただ、いい訳にはして欲しくないなって「東京がつまんないので、ここへ来ました」なんていうね。 枠からはみ出すぐらい面白いものと、逃げてきたものとは違うからさ。

連絡先
Kaori Kamisawa Art Cocoon (上沢かおり)
158-0097 東京都世田谷区用賀4-11-17-6301
tel.fax. 03-3700-4247
e-mail: kamisawa@mxg.mesh.ne.jp


中山ダイスケ
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HUG
スタジオ食堂にて




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