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ストローブ=ユイレ映画祭
――全作品連続上映によるレトロスペクティヴ
阿部一直

ショット数の極端に少ない徹底して切り詰められた映像によって知られる、映画作家ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレ(以下S/H)のレトロスペクティヴが始まっている。ミニマルでありながら異種なる多様性が開けてくるこれらの作品群に、もはや映画というフィールドがふさわしいのかどうか。いいかえればそれは、最も源初的な映画経験でもあるかもしれない。その意味ではむしろ映画研究家やマニアだけでなく、コンテンポラリーアート全般に関わるあらゆる領域の人に見られるべきものであるだろう。

今回は、神戸ファッション美術館の画期的全作品コレクションを基にした神戸と東京での上映である(最新作『ロートリンゲン!』『今日から明日へ』は昨年の東京国際映画祭で上映された)。S/Hの作品が集中的に、しかも全作品上映されるのは、昨年春のパリでの上映に次ぐ世界的にもまれな催しである。日本では以前、わずかに2作品が小期間公開され、あとはドイツ文化センター、アテネ・フランセ文化センターで数作品が自主上映されただけで、大半の代表作は今回が初上映である。筆者はドイツ統一を前後して『アメリカ(階級関係)』からは公開時にリアルタイムで見ることができ、ヘルダーリン3部作の歩みを実感することができたが、全作品を短期間に連続的に見ることによって発見される強度は、それとはまた違った経験である。また、ほぼ自主プロデュースかそれに近いこれらの作品群が、ウーゴ・ピッコーネ、レナート・ベルタ、ヴィル・リュプシャンスキ、アンリ・アルカン、キャロリーヌ・シャンプチエら、ヨーロッパ有数の突出したカメラマンの撮影による共同作業から生まれている謎を実感できるかもしれない。上映にあわせて刊行された、細川晋による、これまた徹底して即物的な資料編集によるカタログ『ストローブ=ユイレの映画』も、どのようにこの題材が選ばれ、次に何が選択されたかを探っていく意味において、貴重な経験を提供してくれるだろう。現代史/歴史というモチーフを何故か欠きがちな日本のコンテンポラリーアート・シーンにあっては、まさに異質きわまりない作品群だからだ。

S/Hの特筆すべきアプローチに、同時撮影同時録音を貫いているということがあげられる(『モーゼとアロン』とわずかの挿入音楽を除く)。しかもあらゆる素材は、何らかの歴史的照準によって徹底して選択されている。この手法は、短編のロケであればそれほど問題はないが、それがシェーンベルクのオペラ『今日から明日へ』ともなってくると、オケをも現場に立ち会わせカットごとに演奏/撮影するという無謀な試みとなってくる(普通はサントラにあわせて画だけを後撮りすれば済む話だ)。
 このシェーンベルクのユダヤ教改宗前後に創られた奇妙な室内オペラの映画化でさらにおかしいのは、例えば最終景で2組のカップルが対面しているシーンで、1組は何故か律儀に90度角で右を向いたり左を向いたりしているのだ。思い当たる解決は、要するに一方は劇の相手のカップルを見、もう一方は指示を出す演奏上の指揮者を見ているということになる。常識的には指揮者は劇の上では存在しないわけで、歌手は見て見ぬ振りをするわけだが、(S/Hにとっては指揮者を見るのも覆うことのない同格の現実であるから)ここでは2人が厳格に視線をそろえて、何もいないはずの手前へ絶対的な眼差しが投げられ、サーチライトのようにそれが幾何学的に振れる様が映像化されている(さらに壁にはサント・ヴィクトワール山が)。
 そこに、音と映像の存在の相互の従属はない。S/Hにおいては、演奏/撮影される現在という強度、映像と音が共有される空間の強度が問題なのである。室内劇上演という現在の共有=空間の波長と、シェーンベルク個人が巻き込まれていた社会的時制=テキストの波長がもつれ合いながら、歴史への侵入口がフィルムの映像/音に開けられている。また例えば、コルネイユの史劇を車の騒音が飛び交う現在のローマのパラティーノの丘で古代風に上演撮影した『オトン』では、フランス語習得中の素人に各配役を、スタイルもテンポもバラバラに、時に機械的に演じさせることによって、言語が記憶に浸透する多様な過程が露出する。さらに各人の訛りが修正されないことで、個人を背景にしたヨーロッパ史がそこに流出してくるのである。演劇の、繰り返しによる人間の練化に対して、S/Hは映画の撮影という一回制/拘束において、むしろ重層的に現れるリアリスムの強度を即物的に示すのである。それは、ブレヒト的異化にすら抵抗がまぎれこんだとでもいうべきか、フィルムというメディアが徹底してそぎ落とされた姿で、そこに、提示されているといえる。

S/Hは、すでに60年代半ばに『妥協せざる人々』で、3世代の時代の推移を1時間にシャッフルしハイパーテクストを予見するかの構成をあまりに見事に示していたし、『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』ではレオンハルト、アーノンクールといった言語とレトリカから音楽構造を再読していくアーティストの先鋭性を音楽評論家より先に見抜いていた。こうした先見性と即物的眼差しの貫徹は、揺るぐことがない驚くべきフィルモグラフィを創出している。

映画祭
作品紹介

歴史の授業
『歴史の授業』


ヘルダーリン3部作
『エンペドクレスの死』
『黒い罪』
『アンティゴネー』


『ストローブ=ユイレの映画』
細川晋/編
フィルムアート社刊 65;2,700
1962年の処女作『マホルカ=ムフ』から96年の最新作『今日から明日へ』まで35年のストローブ=ユイレの全作品(20本)を詳細に解説。

黒い罪
『黒い罪』

すべての革命は
『すべての革命はのるかそるかである』

写真:神戸ファッション美術館
   アテネ・フランセ文化センター



映画祭
上映作品
ストローブ=ユイレ映画祭
会場:神戸ファッション美術館
   アテネ・フランセ文化センター(東京)
会期:1997年11月21日〜11月24日(神戸)
   1997年11月28日〜12月13日(東京)
   1998年3月頃追加上映の予定(東京)
問い合わせ:Tel. 078-858-0050(神戸)
    Tel. 03-3291-4339(東京)

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