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実験と日常の狭間で
《荒川修作+マドリン・ギンズ展》
暮沢剛巳

まずはあり得べき誤解の払拭から。荒川修作+マドリン・ギンズ(以下A+G)による本展は「新しい日本の風景を建設し、常識を変え、日常の生活空間を創りだすために」と題されており、ついわれわれはこの長く面妖なタイトルから突飛なガーデニングやランドスケープ・デザインを連想してしまうのだが、A+Gの意図はそのようなところにはまったくないことを断っておかねばならない。本展は、A+Gの旧作の成果を踏まえつつ現在進行中の「宿命反転都市」の計画案を展示した、れっきとした新しい都市計画――ふたりの言葉を借りれば「住宅革命」――のプロポーザルなのである。
 そのように書けば、まず思い起こされるのが昨夏グッゲンハイム美術館ソーホーで開催された「Reversible Destiny」展である。東洋人としては、同館における初の個展として注目された(もちろん快挙には違いないが、A+Gの仕事をそのような“功利的”な言説で評価してもほとんど意味がないだろう)同展は、60〜70年代の絵画「意味のメカニズム」と、近年の都市計画プランとを対比したものであった。残念ながら未見なのだが、同展がなぜかつてはデュシャン的な問題系のなかで(あるいは、それと対峙するために)絵画を描いていたとされるA+Gが、いつしかその問題系から離脱して建築による環境上の実験へと移行していったのか、その軌跡をたどり、見取り図を描く意図によって構想されたことは容易に想像がつくし、同様の構図は、今回の本展にも当てはまるはずである。
荒川+ギンズ1
「宿命反転/センソリアム・シティ
(東京湾)全体計画案」
1991年−現在進行中
確かに建築とは、絵画には不可能な問題系を導入し、また解決できる表現形態なのだろう。絵画を描いていた当時、A+Gにとって最大の課題は「近代」の知覚図式=制度と対決することであった。なかでも「見る」という行為は、cogito ergo video( われ思うゆえにわれ見る)というゴダールの言葉を引き合いに出すまでもなく、その中枢を占める知の制度であり、であればこそA+Gは、一連のダイアグラム絵画によって、遠近法に代表される近代的な視線の特権性を解体しようとしたのだ。以前A+Gの絵画展が「見るものが作られる場」と逆説的に命名された所以もここにあるのだが、しかしふたりは、同時にこの試みが所詮は網膜上の知覚しか扱うことができない限界も強く意識していたはずで、ふたりにとって絵画から建築への移行はもはや必然だったのである。そのことは、A+Gの建築において「知覚の降り立つ場」や「イメージの降り立つ場」といった身体的な知覚がとりわけ重視されていることからもわかるだろう(多くの論者が、A+Gの建築をJ.J.ギブソンの「アフォーダンス」と結びつけるのはこのためだ)。90年代の日本で着手された「奈義の竜安寺」や「養老天命反転地」は、この身体的な知覚が十全に感得される実験の場となっている。
荒川+ギンズ2
「宿命反転/センソリアム・シティ
(沖縄)地上鳥瞰図」
1991年−現在進行中
「意味のメカニズム」以来のA+Gの孤独な歩みにはただただ呆然とするばかりだが、それでもただひとつ、なぜふたりは実験を実験のままとどめておくのかという一点だけは附に落ちなかったのだが(何しろ、展覧会場はもとより、奈義にしろ養老にしろごくたまにしか訪れない、日常とはほど遠い場なのだから)、本展によってその疑念は氷解した。本展における主役は、およそ8×6メートルの「センソリアム・シティ」、すなわち現在東京都臨海地区にて造成が計画されている「宿命反転都市」の巨大模型である。会場では壁の両脇に粘土が盛られており、緑色の大斜面の上に集合住宅が迷路状に連結されているこの巨大模型を俯瞰することができるのだが、冒頭のタイトルからもわかる通り、A+Gはこの都市計画をあくまでも日常の生活空間として構想しているのである。そしてこの事実は、本展のキーワードである「建築的身体」とも密接に関連しているだろう。この10年来建築に携わっているA+Gだが、この「建築的身体」という概念が登場したのは比較的最近で、私の知る限りでは、昨年の藤井博巳との対談(『建築文化』97年4月号)あたりからではなかったかと思うが、その対談や本展カタログのテキストを一読すれば、この「建築的身体」が日常の知覚との並行関係から導かれたことがわかる。もちろん、今回のプランは唐突に出現したのではない、今までの蓄積を踏まえたものであり、壁に貼られたCG図面などで、過去の実験に対する敬意も払われているが、本展において何よりも重要なのは、A+Gが今まで追求してきた独自の知覚図式が、従来の「実験」の枠を超え、「日常」にまで踏み込もうとしていることだろう。今までの仕事の集大成という側面が強いこの「宿命反転都市」は、A+Gの建築的営為が最終局面に近づいたことを物語っているのだろうか。イタリアからは、ヴェネツィア市長にして建築史学の論客でもあるカッチャーリが、A+Gの都市計画に賛同して島をひとつ提供しているいう話も伝え聞くが、無論、実現の契機を得られなければ、この「宿命反転都市」も所詮は実験の域にとどまったままである。
荒川+ギンズ3
「宿命反転/豊洲埠頭
(築地移転計画)地上鳥瞰図」

荒川+ギンズ0
荒川修作/マドリン・ギンズ
ポートレート

CG:Architectural Body Research Foundation
写真:NTT ICC
最後にもう一点。本展の構図を十全に理解するためには「意味のメカニズム」にまで遡りたいところなのだが、諸々の制約や構成上の問題もあって、残念ながら旧作の絵画は展示されておらず、代わりに、ほぼ同時期に制作された2本の映画『Why Not』『For Example』が上映されている。知的探求の側面が強い「意味のメカニズム」を補う目的で、情動的な側面を前面に出したというこの2本の映画もまた、本展理解の一助としたいところである。
特別上映作品
NTT ICCシアターにて
『Why Not』1969年、110分
『For Example』1971年、95分
荒川修作+マドリン・ギンズ展
会場:NTTインターコミュニケーションセンター
会期:1998年1月24日〜3月29日
問い合わせ:Tel. 0120-144199
e-mail: NTTインターコミュニケーションセンター

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