4月の初め、スウェーデンで日本のアートについてレクチュアする機会を得、コペンハーゲン、ストックホルム、ヨーテボリで60人あまりの若いアーティストたちの作品とスタジオを見て回った。彼らの多くはテクニックとセンスに優れ、順調に活動を続けている。だが、その一方で、先のヴェネツィア・ビエンナーレでも話題をさらったヘンリク・ハカンソンら何人かの突出した存在を除き、近年では移民問題などを抱えてはいるが、大戦も体験せず、福祉に守られた平均的ではあるかもしれないが(金銭的にではなく)豊かな生活のさなかに生まれ育った彼らの作品には、どこかで超克しなければならない現実と直接に対面することのない一種の無菌状態が共通して感じられた。
だがそれは、私にとって親しい感覚だと言わねばなるまい。90年代の日本の若いアーティストの作品には、同様のプロダクティヴな感性はむしろ強調されていることが多いからである。
以前のヤノベケンジの作品にもそれがあったことを私は否定できない。以前のヤノベ作品は、まず彼自身のために制作された手作りマシンであり、彼が偵察台や電車、戦車など幾つものマシンによる部分的な描写によって浮かび上がらせる「サヴァイヴァル」の冒険物語は彼の妄想として(もちろん、核戦争は同世代の男の子の間では共通のイメージ言語たりえるのだろうが…)位置づけられ、例えば水戸芸術館で92年に行なった「妄想砦」のヤノベ基地は個人の世界観のヴィジュアライズとして稀なほどの完結度をみせていた。それはさながら核戦争の未来を扱うSF映画の、それもヤノベしか登場しない映画のためのセットだった。
今回、新作では約5年ぶりにヤノベの展覧会を見たことになるが、「ルナ・プロジェクト」はその後のヤノベの根本的な変容を明らかにしている。展示されているのは、ガイガー・カウンターを装着したアトムスーツ、それを着て世界各地を訪れた際の写真、やはりガイガー・カウンターを搭載したアトムカーなどだ。
この4年ほどをドイツに暮らした彼の胸中は想像の域を出ないが、作品上の彼の変化を決定的なものにしているのは、おそらくアトムスーツを着てチェルノブイリを訪れたことにあるだろう。「ルナ・プロジェクト」は“史上最後の遊園地”(日本の実在の遊園地の広告コピーに酷似しているのは偶然?)をモチーフにしており、ヤノベが廃虚となった遊園地を訪れた際の叙情的な(と筆者の目には映る)写真も展示されている。永遠に動かない遊園地の乗り物、永遠に止まった観覧車。
彼が妄想のなかで提示していた核の脅威と抱き合わせの未来は、そこであまりにも現実である現実と接点を持った。展示会場では、観客はやけにきれいな流線型のアトムカーに乗って放射線を10回キャッチするまで走ることができる(車が止まるのが案外すぐであることに観客が驚くであろうことをもヤノベは当然意図しているに違いない)。そう、原宿にさえ放射線が日常的に降り注いでいることも、その現実の一端である。だが、それはヤノベひとりのではなく、もはやわれわれの現実なのだ。(スウェーデンでのレクチュアでも、ヤノベの幾つかの作品を紹介した後、彼がチェルノブイリを訪れたことに触れると、日本よりもはるかにかの地に近い彼らの日常的な危機感と反応してかかなりセンセーショナルに受け止められたことも書き添えておく)。
ヤノベの妄想する未来は、かくして現在のものとなりつつある。彼のマシンはフィクションを相手どってではなく、現実に機能し始めた。「ルナ・プロジェクト」は未来の廃虚?
いや、それは現在の廃虚である。だが、そのことをヤノベは自分からは言わないだろう。それを思い知るためには、遊園地の乗り物=アトムカーに百円硬貨を数枚投入しなければならない。それは、観客の、未来への能動性を試すヤノベ独特の諧謔なんだろうか?
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