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色彩は世界を分節し直すか
《現代アメリカ版画の40年・巨匠たちと版画工房ULAE展》
伊東 乾

伝説的な創業者タチアナ・グロスマンを擁する版画工房、ユニヴァーサル・リミテッド・アート・エディションズ(ULAE)の40周年記念展が、1997年ワシントンDCのコーコラン・ギャラリーで開かれた。その出品作品を中心とするセゾン美術館の「現代アメリカ版画の40年」展を観ながら、私はふと夭折した認知科学者デイヴィッド・マーの仕事を思い出した。彼の遺作「ヴィジョン――視覚の計算理論と脳内表現」(1982)が80年代以降のヴァーチュアル・リアリティ環境技術全般に与えた影響は今更強調するまでもないだろう。57年にスタートしたULAEの歩みは、そのまま60年代以後の現代美術での版画リヴァイヴァルの経緯と重なりあう。特にその黎明期の諸作品を見直すとき、「版画」という技法の持つ特殊性、多くの手順を踏むプロセス、ある意味では制約とも言える様々な要素が、制作の行為としての側面と同時に、個々の作品の成立を通じて作家の思考そのものに決定的な影響を与えていることが、今日の視点からは極めて新鮮、かつ重要と思われる。これはとりわけ展示の冒頭から圧倒的なジャスパー・ジョーンズの作品群に顕著だろう。彼はリトグラフの「メタモルフォース」的な状況、つまり石版の上のイメージが刷られ、変化し、また刷られるという事実を意識して最大限に利用する。この「版を重ねる」ということ、別の色版、別の基底がスーパーインポーズされるという事実と、マーが色覚の問題を扱う際に引用するレティネックスの理論とが、よく符号していることに気がついたのだ。色覚が網膜上に分布するRGB(赤・緑・青)の三色に対応する桿細胞からの刺激分布を計算して得られるという特性は、例えばカラー・ヴィデオ・モニターの動作原理など今日多く利用されている通りだ。E. ランドとJ. マッキャンのレティネックス説は三色の各チャンネルを独立に扱いつつ反射率の分布を平面で扱うものだが、それをギブソン的な視点から3次元光情報として捉えなおすことは、VRケイヴ等のヴァーチャリティに一つの基礎を与える。視覚世界を単一強度の濃度勾配として捉え、代理表象させれば、モノクロームの写真や、ゴダールの『気違いピエロ』のフィルター画面のような結果をもたらす。そこに別の版、別の強度を持ち込むことが、いかなる世界を切り開くのか、あるいはいかなる世界の分節を可能とするのか、その諸相がジャスパーの仕事の上には直截すぎる程ストレートに実現している。更にそこへ重畳される心理学者ベッテルハイムの論文から引用される錯視図形、壷と人間の横顔の二重のフィギュアは、クレメント・グリーンバーグ流の贋の平面性に押し込められることなく、ジャスパーが色と形と双方を横切って「視ること」に内在する襞へと深く降りてゆく様をそのまま作品の上に示して、さらにVRアートが横切れずにいる線型性の足枷のようなものからも遥かに自由に振る舞っている(例えば「四季(春)The seasons(Spring)」(1987)など)。彼のホルバインへの興味なども、正しくこれと一致するものだろう。ジャスパーのエリアを抜ける間断もなく、観者は次にロバート・ラウシェンバーグの大画面に圧倒される。画面というよりむしろ壁面という感じが相応しい「ソヴィエト/アメリカ Soviet/American Array」(1988-89)などの前に立つとき、むしろ筆者はメディア・アート作家たちの同時期の脆弱な仕事を思い出さざるを得なかった。

デジタル・ベースの画像処理の本質的な特質はその操作の自在さにある筈だが、60年代以来のマニュピュレーテッド・フォトグラフィ、あるいは作業途中で割れてしまったリトグラフの刷石〈「アクシデント Accident」(1963)〉程にアクチュアルなデジタルの仕事を、不幸な筆者は未だ多く知らない。この先も会場にはジム・ダインやクレス・オルデンバーグ、あるいはバックミンスター・フラーの「テトラスクロール Tetrascroll」(1975-77)などの重要な仕事が贅沢に並ぶだろう。また、キャロル・ダンハムやキキ・スミスら、戦後生まれの世代による90年代の仕事は、技術や素材の変化に伴って、制作の新たな行為性を開拓しているように思われる。プリンターとの不断の共同作業を通じて高度な成果が得られるのは評価すべきだろう。だが一方で画面の「絵画化」とでもいうべき洗練過剰の傾向が感じられたのは、単なる筆者の思い過ごしだろうか。メディアとしてのフォト・グラビュールやシルク・スクリーンがまだ若かった頃、画面に漲っていた何ものか、それは時代の要請で、今日の状況はかけ離れてしまっているのだろうか。昨今、未だ多くのデジタル・メディア・アートが「技術展示」もしくは安手の思いつきの域を脱しないのを見るにつけ、60-70年代の作品が強力に予言的であったことを思わずにはいられない。80年代以後に確立された、デジタル・ベース認知科学に立脚するテクノロジーが、アートシーンでの自らの役割を理解していない今日、未だ見えざる可能性の交差線上に重要な予兆が感じられた。
 残り少なくなったセゾン美術館の仕事の中でも、見応えのあるエギジヴィションであったように思う。


セゾン美術館展示風景
展示風景

セゾン美術館展示風景
《現代アメリカ版画の40年・巨匠たちと版画工房ULAE展》
会場:セゾン美術館
会期:1998年2月27日〜4月6日
問い合わせ:Tel.03-3272-8600(NTTハローダイヤル)

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