現代マンガはその始まりに一人の天才を持っている。手塚治虫である。彼は1947年にR. L. スチーブンスン『宝島』をヒントにした『新宝島』を単行本で描き下ろし、終戦直後の劣悪な経済・出版状況の中で40万部のベストセラーとなった。彼は当時19歳の医学生であった。『新宝島』にはマンガの新しい統辞法の萌芽があり、後にマンガ家になる少年たちに大きな影響を与えた。彼は1987年に亡くなるまで現役作家であり、『鉄腕アトム(Astro Boy)』などの人気作を生んだ。 1960年代後半、マンガ世代が大学生になった時、現代マンガは飛躍点を迎えた。大学生が求める娯楽・芸術としてのマンガが、この頃登場するようになった。盛んになった学生運動がこの新興のメディアを歓迎した。この時期に日本の現代マンガはほぼ完成した。 1980年ごろ、マンガ制作の技術はさらに緻密になり、マンガ誌の多様性も現在と同じようになった。マンガはほぼ万能の視覚メディアとして、ギャグやメロドラマやSFなどの娯楽昨、小説や紀行などの文芸作、教育や啓蒙のための解説本となって、広範な人に親しまれている。
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マンガの国 日本−1
日本現代マンガの概観
go tchiei
呉 智英
日本マンガの流れ
諷刺画や線描によるユーモラスな風俗画は日本でも12世紀には確認できるし、19世紀初め浮世絵作家の北斎がそうした作品を得意とした。1868年、近代的な国家が成立すると、近代的な意味での新聞や雑誌の発行も始まり、マンガも掲載されるようになった。しかし、本格的にマンガが発達するのは第二次大戦終結後である。1945年以後のマンガすなわち戦後マンガが現代マンガである。現代マンガには半世紀の歴史がある。
『新宝島』
1984年
講談社
『鉄腕アトム』
1956年
光文社
1975年
朝日ソノラマ
1992年
講談社
大戦後10年ほどは、手塚以外にも多くのマンガ家が輩出し、マンガはブームになった。しかし、マンガはまだ子供のものであった。そのマンガを生まれた時から見ていた世代は、成人後もマンガを手放さなかった。この人たちは戦後世代であり、これより上の世代の人たちとマンガに対する考え方が断絶的なまでに大きくちがっている。
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