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岩井俊二『四月物語』
北小路隆志

手放しの絶賛から罵詈雑言まで……岩井俊二の映画はとにかく人を饒舌へと駆りたてるところがあるけど、ただ批評的言説だけは奇妙なことに例外的な沈黙に陥っている気がする。これは例によって映画批評の自堕落さによるものだが(典型的なのが、岩井作品はテレビもしくは映像にすぎず映画ではない……といったほぼ意味不明のハスミ的悪口だろう)、たとえば、最近の映画祭などで出会う台湾や香港の若手映画作家の作品の多くに“イワイ症候群”が進行しているのだから驚かされる。
“イワイ症候群”とはなにかといえば、“もし私が別の場所で別の環境に囲まれるかたちで存在しているとすれば……”といった発想に基づくパラレルワールド(可能世界)的な想像力と呼びうるものだと思う。むろんそうした想像力の乱用が安易な物語の量産を招く甘い罠である事実も指摘しておかなければならない。実際“イワイ症候群”に感染した映画はだいたい退屈なのだから……。 岩井自身の述懐によれば、新作『四月物語』は大作『スワロウテイル』と小説『ウォーレスの人魚』完成後にある種の息抜きとして撮影された“自主製作映画”で、約1時間の尺に収まる中編だけど、そのぶん、“岩井マジック”が効率よく凝縮された好編であり、来るべき本格的な岩井俊二論のために格好の素材を提供してくれる映画だと思われる。
 あなたは四月の訪れとともに胸に芽生えるあのときめきを記憶しているだろうか? もちろんこれはケースバイケースで、むしろ憂鬱な思い出に苛まれてしまう人だっているに違いないが、ともかく、入学、新学年、就職等々の人生の節目がこの時期に刻まれ、それに伴って引っ越しなどの住環境の変化が具体化する。さきほど岩井俊二はパラレルワールドにこだわる人だと指摘したが、(日本における)四月という時期ほどそれが身近なものとして、誰にでも訪れる可能性としてあらわになる時期はない。四月は多くの人が“別の場所で別の環境に囲まれて暮らす別の人格”に跳躍できる格好の機会なのだ。

北海道から楡野卯月(松たか子)という女性が東京にやって来る。時は四月。彼女は大学入学のために故郷を離れ、一人暮らしを始めようとしている。賑やかな四月のキャンパス。バカバカしいほど形式がかった入学式や自己紹介などの儀式。あるクラスメートが唐突に卯月に問う。どうしてこの大学を選んだの? 卯月は口ごもる。高校時代の憧れの先輩がこの大学に入ったからその後を追って……とは初対面の連中の前でさすがに公言しにくい。彼女は前もってその先輩がバイトしていると調べのついていた本屋に自転車で出かける。最初は無反応だった先輩もやがてどこかで見た顔だなあ、と気づき、二人はまるで偶然に再会した恋人同士のような様子で向かい合う……。
 卯月は東京という別の場所で、別の存在として、つまり後輩ではなく恋人として、元の先輩の前に出現しようとしている。そのために、先生から無理だといわれた志望校合格を目指し猛烈に受験勉強をした(彼女は合格を“愛の奇跡”と呼ぶ)。それもこれも、まるで偶然であるかのような彼との再会をはたすために。岩井的なパラレルワールドの性格がここにコンパクトに示される。それは、努力を重ね、策略を巡らしたうえに出現する「偶然的な世界」だ。卯月と先輩との出会いはあくまでも「偶然」や「奇跡」でなければならなかった。気づいてもらうまではやきもきしながらそしらぬ顔をし、私は先輩に会うためにここまで来ましたなどと察知されないようにする。私はあくまでも偶然別の世界に移動した別の「私」を装っていたい……。そうした欲望がなぜ生じるのか? それは別の機会に論じたいと思うが、この映画の舞台になる東京郊外の住宅地はその閑静さや無味乾燥さ、その典型的な人工性の発露において、ほとんどSF的なパラレルワールドであり、もちろんそうした感触は彼女の故郷である北海道ともある種の平行性を示すだろう。彼女はほんの一歩の跳躍を試み、しかしそのことで別の人格=キャラクターに生まれ変わる。SFXやエイリアン等々の大仰な仕掛けを使用せずに、別の世界に住む別の「私」を出現させること……それが岩井マジックの目覚ましさであり、四月物語の特権でもある。日本人のSF的想像力の貧窮にいつもため息をついてきた私たちは、その脳天気さにいささか呆れながらも、マジックの冴えにどうしようもなく魅了されてしまう。

Shunji Iwai present
円都通信
http://www.swallowtail-
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『四月物語』




松たか子
楡野卯月を演じる松たか子
岩井俊二『四月物語』
会場:シネ・アミューズ
上映:1998年3月14日よりロードショー公開
問い合わせ:Tel.03-3496-2888

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