4月18日から5月22日にかけてTN Probeにおいて、ラングランズ&ベル展が開催された。
ラングランズ&ベルは、ベン・ラングランズとニッキ・ベルの二人がロンドンで1978年に結成したユニットである。今回の展覧会には出品されていなかったのだが、ラングランズ&ベルが結成当初の1978年に制作した「キッチン」という作品がある。それは隣り合わせに二つのキッチンが作られたものである。一つのキッチンには生活によって使い古されたことを思わせる壊れた椅子やぐらついたテーブル、汚れた食器などが散乱し、黴の匂いを発散している。そのキッチンの窓を通してもう一つの新しいキッチンが見える。新しいキッチンは古いキッチンに正確に対応した鏡像となっているのだが、そこに置かれた家具類はガラスやスチールでできており、人間の介入を拒んでいるかのようである。
人間の行為によって濃厚に意味づけられた家具による人間的な世界と、使用から隔絶され人間の行為の介入を拒む純粋な家具の世界。後者は、あるいはもはや家具とは呼び得ず、したがってキッチンとも呼び得ないかもしれない不可侵の世界である。こうした二つの世界が、窓を介して鏡像関係のもとに地続きに接続しているわけである。この鏡像関係の空間は、私たちの行為とその行為が行なわれる空間とのあいだの捩れた関係を浮き彫りにしているように見える。当然のことだが、キッチンという空間は人がそこで調理をし、時に食事をすることを目的に設置される空間である。調理という行為が繰り返されることによって制度としてのキッチンという空間が生まれたのだとすれば、行為の結果として空間が生成したのだと考えることもできるだろう。しかし行為を欠いた空間、人間を欠いた汚れることのないキッチンの存在は、制度としてのキッチンという空間の奇妙な空虚さ、空間がそれ自体で存在することの異様さを露呈してはいないだろうか。建築空間と人間の行為との関係の再編成がなされはじめている現代建築の文脈においても、この作品は示唆的だと思う。
今回の展覧会で展示の中心となっていたのは、"Maisons de force(1991)"と題された作品である。権力を表象する制度的な空間7つが意図的に選ばれ、その縮減模型がガラスケースと化した椅子の座に埋め込まれたものである。建築のヒエラルキーの中での下位要素としての椅子の中に超越的な空間が埋め込まれているという倒錯。漂白されたかのような無機的な空間の中で、ここでも私たちは二つの異種な世界が接合された場に立ち会うことになる。建築の縮減模型と椅子が接合される時一体何が起こっているのか。私たちは空間の中で内在的な視座を取る限り、私たちを取り囲む空間の全体を把握することはできない。全体を把握することができるためには、現実を抽象した縮減模型を見るように俯瞰の視座を必要とする。模型は現実世界を指示する記号であり、ものとして存在しつつ透明な記号として現実の空間を指示する。だから模型はそれ自身見られるものである前に読まれるものとしてある。ちょうどイコンが神の模型であるように。模型は経験とは独立した抽象の世界に属する。
それに対して椅子とは身体性と現前の領域にあるものであり、行為とワンセットで成立する道具である。この作品において椅子を使用すれば模型は模型として機能しなくなる。つまりガラスケースとしての座が覆われそれを読むことができなくなる。ここでは超越的な空間と人間の行為とが両立しえないままに接合され、椅子として形象化されているわけである。また、二つの椅子が軋みあうように接合された美しくも強度を孕んだ作品("Burnt Interlocking Chair"1997)がある。これを奇をてらった使用不可能な椅子だとは考えないようにしよう。ここに座る二人の人物を想像してみること(ラングランズとベル?)。二つの世界が複合した世界像を想像すること。世界は絶えず二つに引き裂かれている。ラングランズ&ベルが提起するのはこの単純な事実であり、そしてこの椅子は、そのような世界像をリアルに想像するための道具なのである。
Langlands & Bell
http://www.langlandsandbell.demon.co.uk |