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クロニクル、展示/蒐集−1
愛はお金と引き替えにできるか
UAF ユーアーエフ
(Un Air de Famille)

現代美術を扱う画商として名高い、パリのイヴォン・ランベールが私蔵する400点以上の収集品の内から、132点を展示した《芸術家との対話――イヴォン・ランベール・コレクション展》が4月11日から6月21日まで横浜美術館で開催されている。
 1960年代、まさに現代美術の中心がパリからアメリカに移動しつつあるとき、そしてパリの現代美術市場が沈滞のさなかにあるとき、ランベールは当時まだフランスにおける評価が定まっていなかったミニマル・アートコンセプチュアル・アートなど英米の作家たちを積極的に扱い、フランス現代美術界を牽引してきた。毎年パリで開かれるFIAC(フランス現代美術フェア)でも、正面の特権的な場所を宛われているランベールのパリ美術市場における位置づけは、このイベントが「画商による美術作品の展示」というより、「美術作品による画商の展示」と見なすべきことを考え合わせるならば、推して知るべしといったところであろう。
 とはいえ、今回横浜の展示では、ボーブールにあるランベールの画廊やFIACで見られるランベールのそれと些か趣を異にするコレクションを見せている。その差違は今回横浜の展覧会に集められた作品群には、紙の作品に対する嗜好が認められるといったことに留まらない。自らの画廊を中心にランベールが見せる画商としての顔とは違う、蒐集家としての顔がそこには窺われるのだ。
 明確な価値評価基準をそれ自体の内に持たない現代美術の領域で、売買を通して作品に経済的指標を与えるという点で、芸術作品の価値確定における画商と蒐集家の役割りを切り離し、両者の社会像を明確に分けることはできない。またピカソの画商として知られるカーンワイラーが作家であり出版者であるのみならず、ドイツ美学をフランスに輸入するのに一役買ったように、その影響力が美術市場の枠を超えて言説の場に及ぶこともあり得る。ランベールは「売ることと自分のために買うことは、密接に結び付いた二つの活動である」と言う。そこで強調されているのは売ることと私蔵することの連続性(「密接に絡み合った」)なのだろうか、それとも分離(「二つの」)なのだろうか。画商であり、蒐集家であるということはランベールにあってはどのように折り合っているのだろうか。

ランベールの蒐集物の中には画家からの寄贈も少なくないが、自らの画廊で開かれた画家の個展に際し、購入したものも多い。注目する作家を画廊で売り出すと同時に私蔵する。ランベールの眼を惹き付ける対象は、彼が画商であるときと蒐集家であるときとで殆ど変わらない。例えば1994年には、ジュリオ・パオリーニの個展を画廊で二度開催し、FIACでもこの画家を前面に押し立てながら、自らのコレクションのための購入を行なっている。それでは、ある作家の作品を手放すか、手元に残すかというまったく相反する二者択一の判断基準はどこにあったのだろう。ある芸術家を特徴づけるとされ、画商に最も多くの利益をもたらすであろう作品と、蒐集家が秘かに抱く所有欲の対象となる作品。ある芸術家の個展に並べられた作品の中から一部天引きすることは、その芸術家の価値を決定する上でどのような影響をもたらすのか。売るべきか売らざるべきかという選択の積み重ねであり、市場の論理と個人の偏愛との葛藤の表象に他ならないランベールのコレクションをつぶさに見ることは、市場における価値と美術史や美術批評など言説や理論の水準で認められる価値とが複雑に絡み合った芸術作品の評価体系を見直すきっかけとなるかもしれない。

ところでランベールの蒐集品は、近年、ドミニック・ボゾの助言などにより公開されることが決定した時点で初めてコレクションという体裁をとることになった。これらは今回の横浜に先立って1994年にヴィルヌーヴ・ダスク現代美術館などで展示され、2000年にアヴィニョンに設けられる予定の現代美術館に委託展示されることになっているが、非公開のまま長く山積みされた蒐集品の中から現在も発掘中で、本展のために初めて額装など展示の手続をとった作品も少なくない。クシシトフ・ポミアンは、単なる物品の集積からコレクションを識別する要素として、蒐集品が一般的な営利活動の流通経路を外れていること、特別な保護の下におかれていること、そして視線に晒されていることを挙げる。ランベールによって蒐集され、その画廊の横で保管されている芸術作品の山は、目下第三の要件、恒常的な視線に晒されるための準備が進行中というわけだ。
 美術館に入ることがすなわち芸術作品の価値確定であるという通説に従えば、美術市場の変動する相場の側にあった作品が、アヴィニョンの新しい美術館に収められる直前に見られることとなった今回の展示は、そうした作品が芸術の場においてある位置づけをされるまさに〈水際〉を押さえたことにもなる。が、レイモンド・ムーランが現代美術界についてなした分析を信じるなら、イヴォン・ランベールという名前がすでに作品の価値決定において高い指標を得ていることとなり、その蒐集物にパリ市立美術館の〈アトリエ〉やポンピドゥー・センターの現代ギャラリーで行なわれる若手芸術家たちの展示から受けるような先取りの感覚、価値評価が定まりつつある場に立ち会っているかのような錯覚に基づく新奇さは期待できないはずだ。
 今回の展示では、そのタイトルにあるようにランベールと作家たちの対話を思い起こさせる作品も数多い。1969年にランベールの画廊で行なわれたリチャード・ロング展の光景を写した写真は、これまで知り得なかった交流の軌跡を記している。横浜の展示を訪れることがある種の新鮮さの体験を可能にしているとするならば、ランベールの秘められた所蔵庫を抜け出した作品群が〈コレクション〉という新たな集合、新たな関係性を形成しつつあるまさにその現場に我々が立ち会っているからに他ならない。さらに、自らの偏愛の対象が〈コレクション〉として組織されることで新たに結ばれるイヴォン・ランベールの像。横浜の展示が我々に示すのは、まさに今立ち現われつつあるこれら二つの存在であるのではなかろうか。

ある特定個人の所有物が公衆の前に現われ出る、それが本来の意義であるはずのコレクション展は、近年一種の流行となっている。今現在もこの「イヴォン・ランベール・コレクション展」と並行して、「アンドレ・マルロー美術館マランド・コレクション展」(メルシャン軽井沢美術館)やジョン・ケージを始めとする「川村龍俊コレクション展」(八王子、純心ギャラリー)などが開催中である。「バーンズ・コレクション展」では「門外不出」、「二度と見ることができない」などといった常套句が集客の点で極めて有効に機能した。あたかも「視線に晒される」可能性の希少さ、展示に関しての処女性が作品の価値を一層高めるかのように。あるいはまた、かつてランベールがそこに潜り込んで、作品を手に持って眺めては楽しんでいた収蔵庫に収められた作品のようにまったく公衆の視線に晒されることがなくとも、作品は価値を有し得るのだろうか。今回の展示は眼差しと美的判断、市場価値をめぐり、多くのものを問いかけているように思われる。

イヴォン・ランベール・
コレクション展

●ミニマル・アート作品
出品作家
ブライス・マーデン
ロバート・ライマン
カール・アンドレ等


●コンセプチュアル・アート作品
出品作家
ソル・ルウィット
ドナルド・ジャッド
ブルース・ナウマン
荒川修作
河原温
ニエル・トローニ(BMPT)等


ジャッド
ドナルド・ジャッド
5個あるいはそれ以上の箱
1968-73年
フェルトペン、鉛筆、紙
55.6×43.5cm




サイ・トゥオンブリ
サイ・トゥオンブリ
ニンフィディア
1982年
油彩、パステル、ペン、紙
100×70cm




マッタ=クラーク
ゴードン・マッタ=クラーク
借家人のための芸術存在
――穴の旗印
(ボブー通り27-29)1975年
ゼラチン・シルヴァー・プリント
48.7×33.2cm
(3点組のうちの1点)





ナン・ゴールディン
ナン・ゴールディン
フランス、マルセイユのノートル=ダム・ドゥ・ラ・ギャルドにて
イヴォン・ランベール
《芸術家との対話――イヴォン・ランベール・コレクション展》
会場:横浜美術館
会期:1998年4月11日〜6月21日
問い合わせ:Tel.045-221-0300
クロニクル、展示/蒐集−

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