『マンガ・日本経済入門』は、普段マンガを読まない読者には好評を以て迎えられたが、マンガ愛好家たちは一様に冷笑を以て迎えた。そもそも、この第一巻は石丿森章太郎の名が明記されていながら、石丿森がペンを執っていないことが明白な描線であり、第二巻以後は明らかに石丿森の描線に変わっているのである。その理由について、次のように推測できる。
この仕事の依頼が来た時、石丿森章太郎は全然乗り気ではなかった。なぜならば、日本では描き下ろし単行本のマンガが当たったためしはなく、しかも経済入門ものマンガなど一流作家のやる仕事とは思われていなかった。子供向けの学習マンガは現役を引退したマンガ家のやるひま仕事だった。それで、依頼を受けた石丿森は、アシスタントに仕事を全面的に委託し、自分の名義だけ貸した。ところが、予期に反しベストセラーになった。続篇の依頼も当然のように来た。今度は自分でペンを執らざるをえなかった。こうして、第一巻は他人による代作、第二巻以後は名義作家自身の作品という奇妙なベストセラーが出現した。これが逆に、ベストセラーになったため第二巻以後が代作ということなら、時々ある。しかし、『マンガ・日本経済入門』は、きわめてまれな例となった。
マンガ愛好家たちは誰もこの作品を評価しなかったにもかかわらず、情報マンガというジャンルを成立させた点においては、この作品は正当に評価されてよい。それは次の2つの点においてである。第一はマンガ全体の社会的認知度が向上したことである。第二は、第一線を退いたマンガ家たちに仕事の機会を作ったことである。この二つの点とは、要するに産業としてのマンガという視点である。くりかえしになるが、情報マンガは、内容的にも技術的にも、成熟していたマンガの応用にすぎず、表現としてのマンガの発達に寄与するものは何もない。
石丿森章太郎は1938年に生まれ、高校卒業とともに上京、伝説のトキワ荘アパートに住んだ。椎名町にあったこのアパートには、手塚治虫の仕事部屋があり、漫画家のタマゴであった藤子不二雄、赤塚不二夫、水野英子、石丿森らが住んでいた。彼らは60年代には、興隆する現代マンガを支える柱となった。
石丿森章太郎は才人で、コマ割りや物語の展開に、カットバックやフェイドアウト、白黒反転など斬新な手法を用い、内容的にはブラッドベリ、フィニィ、ウィンダムなどの影響の濃い知的な作品を描いた。1960年代までは、マンガにそのような作品が描かれることは珍しかった。
1970年代以後、石丿森章太郎は通俗作品を多作する人気作家となった。そして80年代には情報マンガの先鞭をつけた。常に時代の先端を行く作家ではあった。 |
石丿森章太郎作品一覧
代表作
1960年代
「快傑ハリマオ」
「サイボーグ009」
「ジュン」
「佐武と市捕物控」
1970年代
「さるとびエッちゃん」
「仮面ライダー」
「変身忍者嵐」
「人造人間キカイダー」
「星の子チョビン」
「がんばれロボコン」
「秘密戦隊ゴレンジャー」
「がんばれ!レッドビッキーズ」
「ジャッカー電撃隊」
1980年代
「章説・トキワ荘・春」(小説)
「HOTEL」
「マンガ日本経済入門」
「マンガ日本の歴史」
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