田中隆博と立木泉――かたや、この5年来東京のギャラリーを中心に活動する、白と銀色を基調とした単体を作り続けてきた作家であり、かたやパリでクリスチャン・ボルタンスキーの薫陶を受けた後に渡米してカル・アーツに学び、その教育課程を修了以後もアメリカを拠点に活動している作家である。作風も背景も全く異なるこの二人の若手作家の共通項として思い浮かぶことといえば、ともに若手作家の貴重な発表の場として知られる水戸芸術館の〈クリテリオム〉で個展を開催したことぐらいだろうか。“業界”のちまちました人間関係にことさら神経質になる必要はあるまいが、かといってさしあたり両者を直接結びつける接点が存在しないことも事実であり、敢えて私がこの両者の名前を並置する以上、それなりの根拠が求められることになるだろう。そして、タイトルを一読していただけばわかるとおり、私がその接点として考えてみたいのがミニマリズムなのである。
一般に、ミニマリズムは抽象表現主義の後に位置付けられる美術運動である。抽象表現主義は従来の絵画的コンポジションや色彩の対比を批判し、(クレメント・グリーンバーグばりに言えば)「純粋知覚」を追究しようとする運動だったが、50年代後半から60年代前半にかけて、その運動はさらに先鋭化し、カラーフィールド・ペインティングやオブジェクトとして実体化されていった。具体的には、この時代のドナルド・ジャッドやアド・ラインハートの作品がそうした動向に対応していたわけだが、一見極めて純度の高い芸術運動のように思われるミニマリズムも、それよりわずかに遅れて出現したフランスの「シュポール/シュルファス」やイタリアの「アルテ・ポーヴェラ」との類似を見るにつけ、当時の時勢との密接な関係を生きていたことがわかる。「純粋知覚」が、実は見る者の視線が物体を作品へと昇華させる契機へと対応しているのだとすれば、それは何とも「政治の季節」にふさわしいアンガージュマンであったと言うほかはない。
ほぼ同時期のミニマルな芸術運動としては、“物体”と“素材”の違いこそあれ、60年代末の日本の「もの派」もまたその一翼を担っていたはずである。見る者の視線(それを「もの派」の作家たちは志向性と呼んでいたのだった)によってのみ素材は作品として成立するという彼らの主張は、現象学を理論的支柱としている点でも他の運動と共通しており、この動向が――世界的規模で――同時代の時勢と並行していたことがあらためて了解される。しかし、少なくとも「もの派」に関する限り、「ノエシス=ノエマ」や「世界内存在」といった鈍重な概念規定といい、「純粋知覚」とはほど遠いウェットな感情がこびりついた作品群といい、結局のところその成果は、ミニマリズムと大いに異なってしまったように思われる。語呂の悪さはともかく、ミニマリズムはあくまでもミニマリズム、決して「最小主義」などという翻訳概念が定着しなかったのも、そのような経緯と無縁ではないだろう。
ということで、事後的に「もの派」やその背景を知ってからというもの、私はミニマリズムは日本の風土とはなじまない、本格的な展開は不可能な領域だと思ってきた。「もの派」の強い影響力(というよりは後遺症?)は、この“業界”に関わっている人間ならしばしば実感することであるし、彼らとまったく異質の問題提起は、これまで(これまた日本的な?)ポップやコンセプチュアルといった分野の作家しか展開し得なかったからである。だからこそ、ほぼ同時期に、複数の若手作家が「もの派」的な湿っぽさと無縁のミニマルな作品を発表していたのは、何とも新鮮な驚きで、目から鱗が落ちる思いであった。
後は手短かに作品そのものについて述べておこう。今回の田中の展示は、手で抱えるのにちょうどよい大きさの、銀色の容器を壁に立てかけたものである。パウンドケーキや羊羹の入れ物を彷彿させるその蓋付きの容器には何を収めるべきなのか、見る者の想像力を刺激するところであり、またそれぞれの容器が固有の物語を引き受けるべきことが、小さく刻まれた通し番号によって示されている。容器の光沢も、灰色の壁や床に散乱するセメントの粉との対比で一層鮮やかなのだが、あるいは、この空間で味わうシャープな覚醒感もまた「純粋知覚」の一形態なのかもしれない。
一方で、ディテールはともかく、一貫してミニマルな単体を作り続けてきた田中に対して、以前はウサギの着ぐるみやぬいぐるみのようなレンタル・スカルプチャーを作っていた立木が、ミニマルな形態の作品に取り組んだのは私の知る限り今回が初めてだが、ひとたびギャラリーへと足を踏み入れると、Show Roomと題された今回の作品が以前と同じ問題意識によって作られたことがよくわかる。黄土色に着色されたスチロール製のミニマルな単体は、工業製品のプロトタイプを模したものらしいが、実はこの単体だけで作品として完結しているわけではなく、見る者がこれに別途展示されている色見本を組み合わせることで、初めて作品の最終形態が成立するように仕組まれている。以前のレンタル・スカルプチャーからもわかるとおり、立木は作品のインタラクティヴィティに強い関心を持っているのだが、ミニマル・アートによるその探求がいかなる成果をもたらすのか、今後の展開にも注目したいところである。
68年の学生運動が「もの派」の背景にあることは、この場で確認するまでもなく当事者の作家たちが認めている事実でもある。それ以降、まったく異質のミニマリズムを展開する作家が出現するまでに要した30年という年月は、果たして長かったのか短かったのか。 |