チェルシー地区、もっと正確にいえばチェルシーの西端、ニューヨークのマンハッタンを縦に走る10番街と11番街の道路に挟まれた地帯に、ギャラリーが集まってきたのはごく最近のことである。90年代の前半、アート関係の建物ではDIAファンデーションの広大な展示スペースがあるだけのこの地区は、老朽化した倉庫や工場が立ち並び、それを取り囲む舗装道路は穴ボコだらけで、日中でも人気があまりなく、荒れ果てた雰囲気を漂わせていた。また、アップ・タウンとソーホーのギャラリーや美術館の集中する地区から遠く、地下鉄の便も悪いことも手伝って、DIAの展覧会を見に行くという目的でもなければ、アートに関心をもつ人が訪れるところではなかったのである。そんななか、DIAのある22丁目の通りに植えられた街路樹に寄り添うように、ボイスの『七千本の樫の木』の石の太い棒が地面から突き出ている様子は、そこだけアメリカの文化から切り離された異質な世界を垣間見させて、なかなか興味深かった。
そうした印象も薄れかけ、ボイスの作品も風景にすっかり溶け込んでしまったここ数年のうちに、DIAのまわりに次第にギャラリーが出現し、それが22丁目ばかりでなく他の通りにも進出して、ソーホーに似たギャラリー街を形成しつつある。96年末の時点では、パオラ・クーパー、パット・ハーン、モリス・ヒーリー、グリーン/ナフタリなど十に満たなかったギャラリーの数が、その後マシュー・マークス、メトロ・ピクチャーズ、303など立て続けにオープンし、98年5月私が訪れたときには、ちょうどオープンしたばかりのギャラリーを含めて、すでに50以上ものギャラリーが営業していた。さらにこれから、アンドレア・ローゼン、ルーリング・オーガスティンといった有力なギャラリーが加わる。
ところで、チェルシーをソーホーと比較したのは偶然ではない。というのも、チェルシーにできたギャラリーの多くが、もともとソーホーで活動していたからである。これらのギャラリーは、ソーホーがカルチャー・ゾーンとして有名になるに従って騒がしくなり、アートを静かに観賞する環境でなくなったこと、そして街が賑わうにつれ、スペースの賃貸料が高騰し利益を確保できなくなったことを理由に、チェルシーに移動したのである。DIAは、そのための触媒の役目を果たした。
チェルシーも、いずれはソーホーのようなスノッブなカルチャー・ゾーンになるかもしれない。私が、70年代に訪れたソーホーは、ギャラリーとアーティストのスタジオがあるうらぶれた感じの倉庫街だった。しかしそこには、人間が生きていることを実感させる落ち着いた親密な空気が流れていた。私は、そこでウォーホルの個展を見たり、オール・ナイトで開かれたガートルード・スタインの本の朗読会を聞いたりしたのである。もちろん現在のチェルシーには、そうした牧歌的な雰囲気は皆無である。その意味で、ギャラリーがチェルシーへ大量に移動した動機の一部には、アートを差異化することが含まれているのだろう。それは、大衆文化との差異化ばかりでなく、同じ現代アートの内部での差異化をも目指す。この文化の戦場で、ソーホーからの移籍組ばかりでなく、新しくオープンしたギャラリーは趣向を凝らし、各々の特色を際立たせてアートの世界で勝利を得ようと挑戦してくる。
チェルシーのギャラリーは、南は15丁目のギャヴィン・ブラウンから、北の26丁目のティームまで広範囲に散在し、複数のギャラリーが入居しているビル(20丁目、22丁目、26丁目)もあれば、またソーホーより広いスペースを占有しているギャラリーもあって、その多様性はソーホー以上だといってよい。間違いなく、次の新たなウェーブはこの地区から現れてこよう。しばらくは、この界隈の動向から目を離せないのではないだろうか。 |
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チェルシー地区(ギャラリー街)
グリーン/ナフタリ(26丁目西526)
作品展示とレクチャー風景/リースベス・ビクとジョス・ヴァン・デル・ポルのコラボレーション
マシュー・マークス(24丁目西523)
エルスワーズ・ケリー個展
303(22丁目西525)
エルケ・クリステュフェク個展
ギャヴィン・ブラウン・エンタープライズ(15丁目西436)
ギャラリストをバックにしたリクリット・ティラヴァニャの作品 |
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