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シルヴィ・ギエムへのオマージュ
多木浩二

今年、ダンス愛好家にとってなによりの贈り物はギエムが何度も日本で公演することである。ふだんはモダンを見ている私でさえ、古典全曲を踊るギエムをもう二度も見ている。最初は『白鳥の湖』で次は『ロミオとジュリエット』である。今月(7月)末にはバレエ・フェスティヴァルで見られるし、10月から11月にかけてはベジャール振付けでお馴染みの『ボレロ』をもって北は北海道から南は九州まで縦断する。
誘惑的な身体−『白鳥の湖』

まず『白鳥の湖』から書いておこう。彼女の身体は細いが、鍛え抜かれており、しかもその能力で全ての動きをコントロールできる。爪先で立ち、真っ直ぐに体を伸ばし、両手を挙げたポーズを観ただけで、息を呑むような身体の輪郭があらわれる。ギエムの四肢のすべては雄弁である。脚は苦もなく顔の側にまで振り上げられる。ほっそりしてはいるが強靭な彼女の全身は、スザンヌ・ファレルのエキゾチックな魅惑や神々しさはない。鋭角的であり、明快である。弾けるような強さ、風のごとき軽さ。小さな風の渦が次々と連続して繋がっていく。その連続は分節できなくはないが、本当に魅せられているのは、その分節を溶解してしまうエロスなのである。ダンサーの身体から発散する魔的な魅惑は人を狂わせる。どんなダンスの核心にもエクスタシーがある。そんな意味ではギエムは白鳥より黒鳥のときの方が面白い。ダンスがそこにほんとうにこの世ならぬ異界を生み出す。私ははじめてダンスの秘密を、身体の生み出す神秘を知りたいと思った。

少女の可憐さをにじませる身体の形

『ロミオとジュリエット』の場合は、ギエムは一変する。あの可憐こそ身上のジュリエットの、その可憐さをギエムは見事に踊る。もともと『白鳥』より『ロミオとジュリエット』は遙かに演劇的であり、それだけに演出も問題になる。第一場から演出家ケネス・マクミランは、騒然とした市場の雰囲気を巧く出していた。かなり猥雑な感じも出ていたが、ルネサンスとは上品な世界ではなく荒っぽく血の気が多いし、性的な露骨さもあった時代であることを知っている者としては納得できた。なかなかバレエではやりにくい演出を大胆にやってのけたのは賞賛に値する。第二場はがらっと変わる。少女ジュリエットの魅力に溢れた場面が展開する。ジュリエットの恋は愛らしさに満ち、ギエムのジュリエットからは恋する少女の喜びも切なさもにじみ出ている。しかしなによりの魅惑はどうしてこんなに美しい形がありうるのかと思うほどギエムの身体の形が美しいことである。ギエムがジョナサン・コープ(ロミオ役)にリフトされて移動するときはこの世のものではないほど美しい。『白鳥』のときは可憐というより、はるかに誘惑的な身体で登場した。今回は違っていた。まさしくジュリエットの幼さに相応しく見えた。しばしば市場の騒然とした雰囲気を挾み、殺し合いの場面も入れながら、恋は破局に向かって進む。面白いと思ったのはプロコフィエフの音楽は、間奏曲は退屈なのだが、バレエが踊られるときには、実にダンスにぴったりとし、劇的な場面を構成するのに役立っていることだった。それがプロコフィエフの一面なのだろうか。
 物語は破局に至る。一時的に仮死の状態にある薬を飲んだジュリエットを死んだと思い込んだロミオの自殺。そして死せるロミオを見て絶望のあまりに自殺したジュリエット。ベッドから上半身を垂らして死んでいくジュリエットの最期は悲しくも美しい。その場面を見ながらギエムの身体は役によってどんなにでも変化し、それに応じた身体の形を信じがたいほど美しく見せることのできるダンサーであることを思い知ったのである。97.7.18

シルヴィ・ギエムThe dancer who likes to say 'Non'
http://www.dmu.ac.uk/~jafowler/etinterv.html

Sylvie Guillem 写真
http://www.dmu.ac.uk/~jafowler/sylvieg.html
『ロミオとジュリエット』
シルヴィ・ギエム&英国ロイヤル・バレエ
会場:NHKホール
日時:6月22日(日)5:30pm開演
問い合わせ: Tel.03-3725-8888 日本舞台芸術振興会

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