reviews & critiques ||| レヴュー&批評 |
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なぜ集合住宅なのか ―《モダン・ハウジングの実験場》展 |
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柏木 博 | |||
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日本の公団や都営による集合住宅のデザイン計画はいったいどこからそのイメージを生み出したのか。そのイメージの源泉のひとつは間違いなく、ドイツのジードルンク(集合住宅)であるといっていい。ドイツのジードルンク計画は1920年代に、数多く行なわれている。バウハウスの校長であったグロピウスによるデッサウのジードルンク計画、エルンスト・マイによるフランクフルトのジードルンク計画等がよく知られている。 そして、フランクフルトの計画が実施されたのと同じ年、1927年、ドイツのワイセンホーフでジードルンクの実験計画展が行なわれた。この計画は、そのまま使えるジードルンクを、当時の建築家による実験的なアイデアによって実現させ、展示するというものであった。バウハウスのミース・ファン・デル・ローエを企画委員に、ペーター・ベーレンスやグロピウス、ル・コルビュジエやブルーノ・タウトらがジードルンクの新たなアイデアを提出し、実際に建設された。その実験的試みをあらためて、そのジードルンクが残されているシュツットガルトで1987年に、展覧会が開催された。その展覧会の巡回展が現在、新宿センタービルの17Fで《モダン・ハウジングの実験場》展として開催されている。 そのいずれも、水平垂直・陸屋根のインターナショナル・スタイルを提案していたという共通点を持っている。また、空間とは空間同士の関係性によっているのだということを、当時の建築家は共通の認識にしていたことがわかる。 |
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ジードルンクの展覧会で、通常、わかりにくいのは、なぜ集合住宅が計画されるようになったのかという基本的問題である。このことは、これまでの展覧会では語られることは少なかった。たとえば、今回の展覧会においても表示されたブルーノ・タウトであるが、タウトの展覧会は《ブルーノ・タウト回顧展》(1984年6月9日〜8月1日、セゾン美術館)が行なわれている。この展覧会では、初期の作品から、表現主義的な作品、そして1930年代後半の日本での工芸指導所での工芸デザインの活動にいたるまで、タウトの活動を歴史的に追ったものになっていた。しかし、《ブルーノ・タウト回顧展》の場合、なぜジードルンクなのかという問いには答えるものではなかった。つまり、タウトの展覧会で不思議に感じたのは、なぜ近代の建築やデザインがユートピアを構想しようとしたのかということの要因、つまり前提の説明がなされていなかったことである。そうした意味でも、ジードルンクを理解する上で今回の《モダン・ハウジングの実験場》展は興味深いものとなっていた。 | |||
ジードルンク計画のアイデアの原型のひとつは、ハワードの田園都市論、『明日――真の改善への平和な道』は1898年に出された(後に1902年『明日の田園都市』として出版された)である。ドイツ田園都市協会がつくられたのは1902年である。同協会の設立も、もちろんハワードの影響によっていた。1913年、同協会のファルケンベルク計画のためにタウトは招かれたいる。 ワイセンホーフのジードルンクの実験もまた、集合住宅をいかにデザインするべきかという提案を、ミースやコルビュジエ、タウトやグロピウスに求めたものである。ハワードの影響下に始まったドイツの計画を理解するためには、19世紀の都市問題に目を向けておく必要がある。 19世紀に構想されることになる都市計画とそこにおける建築やデザインは、19世紀が生んだ社会問題、言い換えれば資本主義が生み出した矛盾の発見から始まっていた。そのもっとも、具体的な現象は貧困とスラムだったといえよう。つもり近代の都市計画は19世紀における絶望的貧困の発見に始まったと言えよう。たとえば、貧困の発見はエンゲルスの『住宅問題』に指摘されているとおりである。 そうした近代の問題をいかに解決するかということが、ジードルンクの実験的作業の中に含まれていた。今回の《モダン・ハウジングの実験場》の展覧会ではそうした問題をあらためて考えるきっかけを与えてくれる。この展覧会は、そうした集合住宅の問題を再び問う良質の展覧会であるといえよう。 |
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写真:ギャルリー・タイセイ | |||
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