![]() reviews & critiques ||| レヴュー&批評 |
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第2回東京国際写真ビエンナーレ | |||||||
![]() 「Ten years in the American Navy」シリーズより |
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八角聡仁 | |||||||
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今日的な多様性のなかで
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二つの極を示す多様性
個々の作品に詳しく言及している余裕はないので乱暴な図式を許してもらえば、その多様性は二つの極を示す。一方では、その日常性を積極的に引き受け、プライヴェートな対象をできるかぎりナチュラルに捉えることによって、見る者の視覚と被写体をダイレクトに結びつけるようなドキュメンタリー性、現実再現性におけるリアリティーを強調するやり方がある。公募部門で言えば、セルフポートレイトらしき写真を中心に身の周りの断片的イメージをちりばめた木田綾「Happy Birthday to you」や、母親との旅行をスナップショットで記録した湯浅弘子「母写真」はその典型だろう。そしてもう一方にあるのは、山手線の車窓から長時間露光で撮影した風景を各駅の区間ごとに圧縮して「東京」を映し出そうとする葛西秀樹「バーコード記号に変換された東京の風景」のように、写真を日常的な再現性から切り離し、何らかのコンセプトを導入することによって、個別のイメージの持つ雑駁さを統御しつつ普遍的な主題へと向かう作品である。 |
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日本人応募作に見られる両極の中間的作品
総じて海外の作家、とりわけ深刻な民族問題や宗教問題を抱える国の作品においてはアクチュアルな主題を明確に持った作品が多く、それに対して日本人の応募作には、被写体と批評的な距離をとりながらも「意味」を回避することで洗練へと向かう「風景」写真が目立つ。世界各地の都市を匿名的に均一な視点で捉えた小野博「World Camera」は、いわば前述の両極の中間的なものとして「風景」を配置した意欲的作品だが、その戦略が単に美学上の様式にすぎなくなる危険を孕んでいるように見える。おそらくそれは「日本的」とも言いうるような「間主観的ネットワーク」(作者がコメントに引用している言葉)の危うさでもあり、そこから決定的に逸脱しうるのもまた写真というメディアの性質の一つであるにちがいない。 |
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