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ガンモ
――モデルをもたない孤独な古典性に満ちた映画の襲来
北小路隆志

深夜とか早朝のTVになぜか流れてるアメリカ発ローカル・ニュースの類でいちばんエキサイティングなのは、ハリケーンや竜巻に襲われてほぼまるごと崩壊した名前も知らない田舎町の惨状を映し出す映像だ。どこかのハイスクールで少年が銃を乱射して多数の死傷者が出たといった類のニュースよりもはるかに根源的=ラジカルにアメリカという国の成り立ちを告げてくれる気がする。その理由は、と聞かれてもイマイチ説明不可能だったが、いまでは幸いなことに、ハーモニー・コリンの真に驚嘆すべきデビュー作『ガンモ』を見ろ、で片がついてしまう。
 彼は映画の冒頭で、舞台になるアメリカ中部のオハイオ州ジーニアが20年前に強力な竜巻の襲来を受けた町であることを、物静かなトーンで語ってくれている。だから、僕たちはその後に延々と続くその町のクレイジーさを竜巻のダメージからいまだ立ち直っていないからだ、ととりあえず納得できてしまう。少年たちは竜巻で全壊した自分の家を脳裏に思い浮かべながら、ハイスクールで友人や教師を標的に銃を乱射するのである……おそらくは……。それにハーモニーはアメリカの定義を巡るこんな美しいモノローグだって物している。「アメリカは木でできた国だ。清教徒たちが旧大陸から渡ってくるには木で船を作らなければならなかったし、丸太小屋を建てたり、列車のレールを敷くのに必要な枕木を準備するのにも木が必要だった……」。

1974年生まれで、映画学校なんか洟もひっかけないでヘルツォークやゴダールに熱狂していたハーモニー・コリンに長編映画を撮る機会が与えられた。それは、もちろん弱冠19歳でラリー・クラークの『KIDS』(1995)のシナリオ・ライターに抜擢された経験ゆえだ。だけど『GUMMO』を見た今となっては、『KIDS』がオジサンの視線で見たガキの世界であったことが悲しくなるほど明確になってしまう。あるいはこれは単に監督の才能の違いにすぎないのかもしれない。が、ともかく『GUMMO』は『KIDS』の老婆心的な物語構築を竜巻によって粉々に崩壊させてしまう。といって「映画の解体」とやらを叫ぶ必要があるほど彼はオヤジじゃない。竜巻には竜巻なりの内部構成が存在するように(?)『GUMMO』にはこの映画に固有の構成が備わっているのだ。
 だから、これはガキにしかわからないガキによる映画なのだ、といった居直りを拒否する必要があるだろう。エスコフィエのカメラの功績もあり、この映画はむしろ参照しうるモデルをもたない孤独な古典性めいたものに満ちている。ガス・ヴァン・サントはハーモニーの登場をタイガー・ウッズのそれにたとえるが、どんなオヤジだってウッズのプレイに感嘆を禁じえないように、とりわけ、カウンターカルチャー等々の文学臭さに囚われがちなサントのような映画作家にとって、ハーモニーの映画作りは羨望の的であろうし、絶対に到達できないゴールでもあるだろう。まあしかし、世間はハーモニーにウッズほどの富や名声を与えたりしないだろうが……。
 期待の新人、という使い古された言葉がある。だが、いったいだれが、ウッズや竜巻の襲来を期待しえただろうか? もちろんこの映画を見る前に人が抱くかもしれない期待は『GUMMO』によってしたたかに裏切られる運命にある。ハーモニーは期待の新人ではなく、期待の外部にある。期待通りの凄さではなく、期待を裏切る悪意が、この映画の凄みだ。最後に個人的な感慨を書くと、このところアメリカの若手監督の作品といえば、(PCに配慮したサンダンス臭い?)映画学校の優等生的な映画ばかりであることにほとんど絶望していた僕にとって、『GUMMO』のように「気合いの入った」映画の予期せぬ襲来はホントに驚きだ。この時代、映画を見る作業はとかく後ろ向きになりがちで心が重いが、前を向いて進む勇気をもたらす映画に出会えたのだ。

ガンモ
ガンモ1
バニー・ボーイ
ジャコブ・セーウェル


ガンモ2
ソロモン
ジャコブ・レイノルズ


ガンモ3


ガンモ4


ガンモ5

写真提供
ケーブルホーグ
ガンモ
今秋シネマライズにてロードショー公開
問い合わせ:ケイブルホーグ TEL.03-3423-0558

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