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静止した「時間」のなかにある母と子の静謐なドラマ
―アレクサンドル・ソクーロフ『マザー、サン』
北小路隆志

ソクーロフは巨匠か

一昔前アート界でキーファーを取り巻いていたものと似た性質をもつ懐疑や議論が、今日の映画界においてアレクサンドル・ソクーロフを巡り取り沙汰されているように思われる。すなわち、このロシア人映画作家は本当に巨匠であり、真に独創的な存在と見なしうるのだろうか?
 彼が真に独創的な作家であるとの評価に加担する人々のなかにソンタグやジェイムソンら左派アメリカ人論客の名が見出される事態は何となく冷戦の残滓(?)めいたものを予感させるが、いずれにしても彼らはソクーロフを、亡命先で客死したタルコフスキーが創出した美学を継承し、発展させつつある偉大な「マジック・リアリズム」(ジェイムソン)の作家であると賞賛する。他方否定派の立場は、ソクーロフとはマイナーな存在にすぎず、たかだか「独創的な」作家なのだとする見解につきるだろう(浅田彰氏他)。私はといえば、最初に見たソクーロフ作品で、ストルガツキー兄弟の原作に基づく映画『日陽はしづかに発酵し……』によってもたらされた衝撃から数年経た今も癒えずにいる。端的にいって、ヴェンダース的なロードムービーへの嫌悪や反駁の表明とでも呼ぶべき響きと怒りに満ちた映画……。ヴェンダースの登場人物たちは移動の際に自らの足下に広がる大地の確かさを信じきっている。ところがソクーロフの映画の場合、静かに移動し、歪みが生じ始めるのはむしろトルキスタンで撮影された異様な気配漂う大地の方なのだ。ただその後日本でも公開された一連の近作は確かにマイナー度を加速させている。『日陽……』と比較して、色彩、運動、物語等々の諸要素の引き算に忙しく、貧しさが率先して選びとられようとしている。それでも素晴らしい点を多々認めることもできようが、ヴェンダースを軽く越える才能なはずの彼の映画が湛えるべき破天荒な面白味がやはり芸術の名の下に(!)排除されてしまう危険性は否めない。要するに私はソクーロフが巨匠であるか否かの問いに関して、判断停止の状態にあるのだ……。



ちらし
「最初の」カラー映画

そんななか、彼の新作は肯定的な意味で予想外の驚きをもたらしてくれる映画だった。物語らしきものはない。海辺からもそれほど隔たってはいない、人気のない森の中らしき場所に建てられた家屋で暮らす病身の母親と一人息子が送る一日を淡々と描く。ただし、色彩や運動に対する禁欲的な引き算の姿勢からの転回が試みられようとしている。自分が「カラフルな人間」であるとの自身の主張の正当性を立証するために? そう、『マザー、サン』はソクーロフ自身が認めるように、彼にとって「最初のカラー映画」であるかのような感慨を私たちにもたらす。さらに、家に閉じこもりがちな母親を戸外のベンチにまで連れだした息子が、そこでおそらく既に死んでしまった彼の父親が母親に送ったものであろう手紙を読んで聞かせる様子を執拗に追う物語中盤での長回しのカメラは、ソクーロフ映画で久々に回復されたダイナミックな動きといってよく、圧倒的だ。

参考文献

スーザン・ソンタグ
『InterCommunication14』所収インタヴュー
(NTT出版)

フレドリック・ジェイムソン
『ユリイカ』総特集ソクーロフ「ソヴィエトのマジック・リアリズムについて」1996年8月臨時増刊
(青土社)

前田英樹
『映画=イマージュの秘蹟』
(青土社)
ソクーロフの映画作法

ヴェンダースと異なり映画史と呼ばれる大地に一切信頼を寄せないソクーロフはしばしば(モダニズム芸術としての)映画が芸術的に未熟であるとの苛立ちを表明する一方、絵画や音楽への羨望を隠そうとしない。『罪と罰』の翻案である『静かな一頁』ではフランスの廃墟趣味の画家ユベール・ロベールが参照されていたが、今回はドイツ・ロマン派の画家フリードリッヒの絵画をモチーフに画面構成を行っている。つまり先に触れた例外的に貴重な動きが認められるとしても、彼の映画が一貫して「静止」への志向を見せる事実に変わりはない。ただし前田英樹氏も指摘するように(「存在の静止について」)、彼の映画(モーション・ピクチャー)における「静止」は写真への回帰とはならず、むしろ絵画への根拠を欠いた跳躍となるだろう。もちろんヴェンダースらが示す映画の前史としての写真へのノスタルジック愛着とのあいだでここでも興味深い対照を示すことになる。
 ソクーロフによると、映画作家にとっての最大の敵は「時間」である。タルコフスキーやアントニオーニにとって「時間が流れている」が映画作りの基盤となるが、彼は「じっさいには、時間は一定のところにとどまっている、ひとつの点の周辺を回っているように思えます」と異論を唱える。つまり彼にとって時間は「不動である」。こうした時間把握の仕方が、彼の映画をどこか「独創的」な場所へ導いていくのだが、ここではただ「中編」とでも呼ぶしかない絶妙な上映時間内で繰り広げられる母と子の静謐なドラマを、デヴュー作『マリア』から続く作家の母性回帰的な志向(母なるロシアの大地!)に結びつけるよりも、むしろ母と子という異質な時間で育まれた二つの「文明」の浸透もしくは交渉のドラマとして鑑賞すべきであろうとだけ告げておく。

人物





山道





遠景
『マザー、サン』
会場:渋谷ユーロスペース
上映日時:1997年9月6日(土)〜10月半ば
     21:00〜レイトショー
問い合わせ:パンドラ Tel. 03-3555-3987

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