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教育にコンテンポラリー・ダンスを
――ジャン=クロード・ギャロッタのワーク・ショップ

「フランス文化政策研修」から
熊倉敬聡

新たな知的植民地主義か?

1992年からフランス文化省は、自国の文化政策の紹介・普及のため外国の専門家を対象に数々の研修・視察プログラムを実施している。私はそのうちグルノーブルで行われた2週間の研修に参加した。
 ラテン・アメリカ、東欧、北欧、北アフリカ、アジアなど計14カ国から招かれた文化行政担当者たちが、国立文化政策研究所の作成したプログラムに基づき、レクチャーないし視察を通して、フランスの文化政策の哲学から具体例までを学んだ。そのプログラムは誠に綿密に組まれており、国・地方・県・市町村というフランスの行政の四つの基本的位相間の制度的・予算的・人事的・実践的力学を、文化のあらゆる領域に渡って浮き彫りにするものであった。確かに、フランスの、特にミッテラン政権が82年から推進した「地方分権化decentralisation(地方自治体への権限委譲)」と「地方分散化deconcentration(中央機関の地方への分散)」を軸とした文化政策は、国家予算の約1%をしめる文化省予算とともに、世界が範とすべきモデルの一つを提示しているにちがいない(また、そのような認識がフランス文化省にあるからこそ、このような研修のプログラムをわざわざ自国の予算を使って行うにちがいない)。しかし、翻ってみれば、このようなフランス政府の対外文化政策そのものが、実は一つの新しい形の植民地主義と解釈される危険性もそこには充分あった。ところが、私の印象はややそれとは違っていた。確かにレクチャラーのなかにはそのような知的植民地主義をあいもかわらず無意識に行使する輩もいなくはなかったが、すぐに参加者たちからそれに対する批判が出たし、またレクチャラーの中にフランスの知的植民地主義がもはや決定的に失効しつつあることを自覚し、その自覚の上に自らの文化的・芸術的活動を展開している者までいた。その代表が、グルノーブル国立舞踊センター・ディレクターでエミール・デュボワ舞踊団のコレグラファーであるジャン=クロード・ギャロッタであった。

身体・ダンス教育の必要性

昨年、東京でも四つの作品を上演したギャロッタだが、彼は最近、単なる作品の制作・上演だけでなく、小学校から高等学校にかけてのカリキュラムにおけるダンス教育の重要性に関心を寄せている。そして昨年からは、グルノーブル市のあるイゼール県の小中高校の生徒と教員を招いて、自分のグループのダンサーたちの指導するワークショップを精力的に行っている。私は丁度研修中にそのワークショップに出くわし、早速見学しに行った。
 グルノーブル「文化の家」(Maison de la Culture)、通称Le Cargoの様々なホール・スタジオに小中高校生が分かれ、約2時間のワークショップが繰り広げれたが、私はそのメソドそのものよりもむしろ青少年の一般教育における身体・ダンス教育にギャロッタが積極的に関与しているという事実自体を高く評価したい。しかもその関与が単に彼個人の意志であるのみならず、フランスの文化・教育政策の一環としてなされていることは、例えば日本における同様の政策の決定的な欠如を省みれば、まさにうらやましい限りである。
 現代の子供たちは、その身体を、自覚なきまま、様々なデジタル機器や加工食品などにより電子工学的にまた生命工学的に変形・変質されるがままになっている。身体は、今まで人類が知らなかった可能性へと開かれるとともに、ある種の野生への強度ないし愛をますます忘却しつつあるように見える。そして「教育」は(少なくとも日本に関する限り)そのような忘却をますます助長する方向に進んでいる。このような現代の青少年の教育状況にあって、身体の潜在力への注目そしてその解放はとりわけ重要である。
 ギャロッタは今年完成した静岡舞台芸術センターのダンス部門のディレクターに就任している。はたして彼は、ダンスカンパニーの養成、作品制作・上演のみならず、この国の身体・ダンス教育においても一石を投じてくれることになるのだろうか。私は大いに期待したい。

Japan Performing Arts Net
日本の舞台芸術案内
http://www.jpan.org/guidance/index-j.html


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