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インゴ・ギュンター《ワールドプロセッサー'97》
モデルを介して読み取る「情報のプロセス」
四方幸子

《ワールドプロセッサー》は、日本では90年にP3においてインゴ・ギュンターの日本初の個展として発表されたもので、今回の展覧会では、その前後に起こったソ連・東欧の変動をふくめ、ここ数年の地球のさまざまな傾向が可視化されている。それぞれの地球儀は、政治、経済、環境・社会問題などにおける分布・移動図を表示しているだけではない。それら諸要素が互いに影響を及ぼしあっていること、いやそれらが緊密につながりつつ流動している状態こそが〈世界〉であることをわたしたちにあらためて気づかせてくれる。
 地球というものを対象化することによって意図されているのは、情報への客観的視点、つまり先進国優先的ではないグローバルな視点だろう。これら地球儀において可視化されているものの多くは、白書や新聞など公共化された統計情報からギュンターが任意に選んだもの、もしくは本人自ら収集し解析あるいは意図的にデフォルメしたものである。またいくつかのものは、ギュンター特有のユーモアによっている(「企業vs国家」「だれもが自分の世界に生きている」など)。
たとえば数値では実感されにくい統計データを視覚化することによって、人々に現在の地球の状況をわかりやすく実感させることができるという解釈がある。しかしここで重要なのは、単純化・視覚化された地球モデルをわたしたちが生活する地球に対する安易なシンパシーへと結びつけてしまうのではなく、そのような実体化を慎重に避けつつそこに作動するプロセス自体を注視していくことだといえるだろう。
 暗闇の中に整然と浮かび上がる地球は、カラフルで美しい(ファスシネーションFascinationはファシズムFascismと重なる語である)。それを見るわたしたちは、これらが地球にまつわる情報が任意に選択されマッピングされ、着色された球体でしかないことを忘れてはいけない。ここに何重ものフィルターがほどこされていることを。そもそも統計による数字は、それを行なった主体とそのポジション、意図そして方法によってまったく異なってくる。また人工衛星の画像が任意に着色されたものであることが意識されることはあまりない。それは地図の表記法においても同様で(たとえば「地図投影法 100の問題」)、いやそもそも地球儀というもの自体、特に疑問ももたれないほど一般に内面化された世界表記モデル(=ひとつのイデオロギー)としてある。地球や世界を表記可能な実体としてとらえよう(そしてそれが可能と信じる)とするわたしたちの欲望自体が、ここでは問われることになる。
わたしたちが得るもの・見るものは、すでにリアルとフィクションの混淆体であり、それぞれが数えきれない可能性の一つでしかありえない。ここではリアル/フィクションの境界よりも、いかに情報においてリアルがさまざまなフィクションをともなって浮上しうるかということが問題となってくる。ギュンターは、これらデータの相対性にあえてあからさまな編集・視覚化を加えることで、作品として提示する。
 ここであらわれうるものは、さまざまなフィクションをまとったリアルであり、あらわれているのは、さまざまな表象可能性の中から任意に選ばれたいくつかのヴァリアントとしての世界モデルである。存在自体やリアルそのものをつかみきることは不可能であり、わたしたちは断片および表層としての知覚可能なモデル(=表象)に頼らざるをえない。それはアートだけでなく科学や社会全般においても同様である。これらモデルを介して読み取るべきなのは、描かれた表象や情報ではなく、現象つまり情報のプロセスそのものであり、それを作動させる人間の欲望のプロセスなのではないだろうか。

ギュンター
WORLD PROCESSOR'97
(c)Ingo Gunther
インゴ・ギュンター《ワールドプロセッサー'97》
会場:P3
会期:1997年9月19日(金)〜11月16日(日)
問い合わせ:Tel. 03-3353-6866
  eメール: info@p3.org

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