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『東京日和』
――荒木経惟写真集のなかで見た光景
北小路隆志

かなりの観客を動員していると聞く『東京日和』は確かに「センチメンタルなラブストーリー」であるだろうが、しかし全編にわたりどこか不穏なぎこちなさ漂う映画だ。まず観客がある種のぎこちなさや居心地の悪さを覚えずにいられないのは、単純にそこで描かれる「ラブストーリー」が私たちにとっていまだ生々しく「近い過去」でありすぎるからだろう。もっとも、いかにも竹中直人らしく「島津巳喜男」(日本映画の二人の巨匠の名の合成)と名づけられた主人公の写真家はことさら私たちが熟知している「アラーキー」のイメージを再現しようとはしない。つまり竹中と中山美穂が演じるカップルは、意図的にモデルとなった荒木経惟と陽子夫妻とのあいだに距離を設定しようとしている。だけどそれは当然のことながら焼石に水なのだ(だからラスト近くで電車の車掌役として出演する荒木経惟その人が自分をモデルにした写真家のすぐ脇に立ってニコニコ笑ってみせる演出はこの映画の成り立ちそのものに対する優れた自己言及になる)。たぶん製作のプロセスで試行錯誤があったと伝えられるのは、そうした実在のモデルや物語との距離の置き方に関わる困難さだったのだと思う。
映画を見ながら観客が味わうあの不穏なぎこちなさの感覚に戻ろう。それは少しばかり荒木経惟の写真を前にした私たちの感慨と似た部分があるのではないか。他ならぬ陽子さんの死を扱う『冬の旅』や、父親の入れ墨をした死体を被写体にした有名な作品……。荒木の写真にはどこか(時間としても関係性としても)近すぎる何かへの切迫に由来する挑発行為めいた要素があり、そうした距離的な侵犯が私たちをある種の居心地の悪さ、不穏さを前にした当惑等々へと導く。そうした感覚を映画『東京日和』の観客が共有するのだとすれば?(たとえば、映画の中で地下鉄の乗客にカメラを向ける写真家のなかにオバサンが察知したある種の不穏さ!)
 私の考えでは、写真の奇跡はカメラを手にした人物が捕獲する決定的瞬間に必ずしも由来しない。つまり写真家が一回限りに何かを目撃する営みそれ自体ではなく、その光景を定着させ、その一回限りの光景がその後別の視線に晒される可能性を開くこと、それが写真の第一の手柄だろう。私たちが百年前の東京や、自分が生まれる前の母親等々の写真にある種の興奮を禁じえないのは、百年前の東京や若いがゆえに未知の母親の面影が再現されることへの驚きもあろうが、そうした映像を過去において目撃し、シャッターを切った別の視線=存在と、自分の視線が途方もない時を経て重なりあうからだと思う。バルトのいう“それはかつてあった”への眩惑は確かにあるだろう。が、同時に写真は“それはかつてあった”を目撃した別の視線の存在の証拠物件でもある。あえてバルトの『明るい部屋』の別の箇所を引用するなら「『写真家』の透視力は“見る”ことによってではなく、その場にいることによって成立する」。かつて写真家は確かにその場にいた、したがって私たちはその写真家の視線を共有できる……。だから写真は少なくとも二度見られなければならない。というか、二度見ることの可能性を開く必要がある……。映画はかつての新婚旅行先を再訪する夫婦の姿をクライマックスに置く。そして私たちは写真集のなかで見たあの光景がまさに(映画において)実存することにある種の感慨を禁じえないのだ。
 印象的なエピソードがある。精神の安定を欠く妻が訪問客の名前を言い間違え、その日のホームパーティーが気まずいムードに陥る光景。このほんの些細な冒頭近くのエピソードが映画のラストで唐突に思い起こされる。長い歳月を経て、すでに妻もこの世を去った後のある日、写真家はかつて妻が間違って客に告げたその名前の書かれた古ぼけた紙が台所に貼られているのを――まるで古いアルバムから懐かしい写真を掘り起こすように――発見し、あの時その名前を無意識のうちに彼女が口にしたのだと悟る。あらゆる時間の流れや距離を隔てて、それでも別の誰かが同じ光景(この場合は紙)を再び目撃する可能性を開くこと……。『東京日和』が優れた写真論となる瞬間だ。
東京日和1


東京日和2
中山美穂と竹中直人

『東京日和』
会場:シネマ・カリテ/シャンテ・シネほか全国東宝洋画系映画館
上映:1997年10月18日〜12月19日(シネマ・カリテ)
   11月22日〜1月上旬(シャンテ・シネ3)
問い合わせ:シネマ・カリテ Tel. 03-3354-5670
      シャンテ・シネ3 Tel. 03-3591-1511

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