数年前から噂には聞いて、楽しみにしていたロサンゼルス現代美術館の企画による世界巡回展
"At the End of the Century:One Hundred Years of Architecture"
が、1998年7月に東京現代美術館を皮切りにスタートした。
本展覧会は、「建築の20世紀」を大きな物語として回顧するのではなく、分散した多様な流れから描きなおす試みである。展示は全部で21のセクションに分かれており、東京現代美術館の3階から地下までを使うほどに膨大なものだ。実際、筆者もゆっくり見ていたら、6時間以上かかってしまったし、もう一度は行こうと考えている。おそらく、これだけの図面や模型が世界中から一堂に会するのは珍しいことだろう。むろん、日本にもこれまで少なからぬ建築の展覧会はあった。いわゆる巨匠の展覧会(コルビュジエ、ライトなど)、モダニズム(バウハウス、未来派など)、建築家の個展(ヌーヴェル、ピアノなど)は随時行なわれていたが、今回はこうしたテーマをすべて再編集し、部分的に組み込んでいる。ゆえに企画展であるにもかかわらず、その集大成的な意味あいから、ここが一時的に20世紀建築博物館の常設展示になったかのような錯覚にとらわれる。
しかし、本展は、古い教科書が好む様式や流派の交替によって「建築の20世紀」を整理しているわけではない。当然、お約束になった人気の展示もあるけれど、そこから逸脱した部分では、アメリカの近代建築史研究の新しい動向が素直に反映しているからだ。例えば、コロニアリズム、フランクフルト・キッチン、戦争時の防衛住宅、ケーススタディハウス、新首都の建設、エコロジーなどを扱うセクションは、近年注目をあびているテーマである。たぶん終戦50周年の研究プロジェクトのほかに、最近のジェンダー研究の興隆やポストコロニアリズムへの関心が影響しているだろう。こうした成果は同時に刊行された展覧会アドバイザーによる論文集『建築の20世紀』(デルファイ研究所)でも、うかがい知ることができる。ちなみに各作品には解説もあるのだが(筆者はその翻訳に関わったのだから間違いない)、会期のはじめでは展示物に添える作業が間にあっておらず、内容の良さが伝わりにくくなっており残念だった。世界巡回展の最初であることを考慮すれば、立ちあげにおける少々の不備はいたしかたないことなのだけれども。
展示の特徴には、巡回展の開催地やスポンサーも影響している。例えば、フォード社がスポンサーであることと、自動車を考察するセクションを設けたことや、世界博覧会のフォード社パヴィリオンの資料提供は無関係ではあるまい。しかし、これは決して否定的にみるべきことでもない。むしろ20世紀の建築と都市に対する自動車の影響は、これまで軽視されすぎていたきらいもあるからだ。また展覧会の開催地となる、ラテンアメリカの実践や西海岸に由来する建築文化も、比較的多く紹介されている。おかげでわれわれはF.
ゲーリーやE. O. モスのみならず、R. シンドラーやR. ノイトラの作品を日本で拝見する機会を得たし、商業パースによるディズニー施設やラスベガスも展示の対象になっているのだ。逆に言えば、アジア建築の紹介が少ないといった不満も出るかもしれないが、これは来世紀初めにアジア主導で建築展を企画して解消すべき問題となろう。
最後に補足的な展示ながら、興味をひいたものを挙げておこう。東京展では、会場の吹き抜けにミース・ファン・デル・ローエによる煉瓦の田園住宅計画(1924)を1/2のスケールで制作し、林立する壁面に今世紀の建築家のマニフェストをちりばめている。この言葉の迷宮を遊歩するのはなかなか面白い。また各セクションに設置されたビデオでは、重要なプレハブの建設過程や家事研究の様子など、幾つか貴重な映像を鑑賞できる。そしてMITで制作されたCG作品「未構築」は、ドライブイン・ハウスや第3インターナショナルなど、実現されなかった建築を巧みな演出と圧倒的な技術力によって紹介する。こうした映像も20世紀建築といかに関わっていたか、そして21世紀建築といかに関わっていくかは、今後さらに追求されるべきテーマであることを思えば、展示のあり方自体を根本から変えていく可能性を秘めている分野だろう。
なお、オープニングの東京展が終了した後、これはメキシコ、ケルン、ブラジルなどの各地を巡回し、世紀の変わり目の頃、アメリカのニューヨークとロサンゼルスで開催される予定である。
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