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「コンピュータグラフィックスと衣服」のあいだに
出来事は起こり得る、という予兆へとむかって
原 久子

とても魅力的なテーマを掲げた展覧会だった。そのぶん期待するものが大きかった。文字通り、コンピュータグラフィックスと衣服とのあいだになにがしかの出来事を、原田大三郎と津村耕佑という二人のクリエーターの視点からつくり上げた結果を見ることができる場であろうと思い展覧会場へと向かった。デビュー以来、トップランナーとしていつも注目され続けてきた二人は、これまでそれぞれの活動領域で、数々の功績を残してきている。そんな彼らが参加する二人展なのだから、さぞかし驚きと、予期せぬ発見をわたしたちに与えてくれるものになることだろう、という期待はきっとだれしも持ったはずだ。ある種のコラボレーションのようなものが行なわれたのでは、とも想像していた。
 しかし、わたしたちの前に提示されたのは、会場の右半分に原田、左半分に津村の作品を展示するという、なんとも納得しがたいものであった。二つの個展をひとつの空間で見せられた、そんな感想をまず持った。ひとつの空間を共有することで発生する相互の交換や、両者の関係性を測ることのできるものを、見いだすことがとても難しかった。

原田大三郎のコンピュータグラフィックスで作成した動画ビデオは、結局のところ最新技術がいかに用いられたかというところにとどまり。カタログを読むとつくりこまれた身体を包み込む突起物を“衣服”と呼ぶのかどうかについては、本人もためらっているようなきらいがある。まるで身体が異化し、不思議な突起物が生えてきたようにも見えた。「AIR WARE」という作品のシリーズで、原田がつくろうとしていたものは彼のことばをかりると自分という存在は皮膚までではなく、両手を広げた長さを直径とした球体が作り出す領域ぐらいを含めて成り立っていて、その領域とその領域の中心に位置する人を含めて、包み込む装置として作動するものなのだそうだ。作品はその領域内に描かれてはいたものの、最終的に彼が望んだ造形が、展示されていたものだったのかどうか疑問が残った。既成の衣服というものの概念に、彼は無意識のうちにとらわれていたのではないかと思った。
 技術的な作業手順としては、モーション・キャプチャーと実写を合成したものであるという解説があったが、実際の身体のモデルとなった生身の肉体以上には、造形も動きも増幅させることが困難だったように見えた。仮想の空間に、身体はサウンドにのって快活に動いていた。しかし、映像をみていると、天から与えられたものに支配され続ける窮屈な人間を改めて認識せずにはおれなかった。新しい方向への解放がコンピュータグラフィックスを使った表現だからこそ出来たように思うのだが、これは浅はかな私の幻想だろうか。

一方、津村耕佑の作品についてだが、彼の服は個人的にはとても好きだし、自分に似合うのであれば着てみたいと思うことすらある。彼の作品をはじめて知ったのは、94年にスパイラルビルの1階で「FINAL HOME」を展示したときだ。宇宙飛行士のツナギ(作業服)のような衣服に、しっかりしたジッパーがストライプのように付いていて、ジッパーを開けるとポケットのなかに何でも収納してしまえるというつくりになっている。今回もこの作品のコーナーがつくられていた。ポケットというのは私たちにときには夢もくれる。津村がこの作品に“サバイバル・スーツ”なんて名前をつけなかったのは、とても正しい選択でありかつ重要なことだと思う。「FINAL HOME」と並んで過去のコレクションの一部が展示され、今回の展覧会のための作品「JELLYFISH」(“くらげ”の意)へと展示の流れは移っていった。
「JELLYFISH」は、アイロンで熱を加えると変形していくポリエステル(合成繊維)を用いた服のシリーズだ。例えば、同じ裁断の服であってもどんどん造形的な変化を起こしていくことに興味を覚えた。オープニングのパフォーマンスとして、舞台の上で津村が自らアイロンを手にとって、モデルの着ている服を変形させていく。それは、襞とも皺ともつかないかたちで変化していく布をみていると、人間の皮膚を連想する。津村はこの作品を「AIR WARE」ということばからイメージを膨らませて作ったという。
「JELLYFISH」にたどりついて救われた思いがした。この展覧会は、“コンピュータグラフィックスと衣服とのあいだ”の出来事ということだったが、直接はコンピュータグラフィックスではなくコトバがメディアとなった。しかし、私はこのことを否定的にとらえようとは思わない。原田がつくるコンピュータグラフィックスも、もとをたどれば彼の頭の中でさまざまなコトバによってイメージが構築されていくはずだからだ。
「0 モードの死、それが二十世紀の終わりのモードとなった。〈最後のモード〉、それが最新のモードである。」(鷲田清一)このテキストが空間の中のあらゆる差異を包み込んでくれた。

展覧会のキュレーションというのは、非常に難しいものだと思う。質の高い作品が並んだからといって、展覧会が成功したとは言えない。なぜその展覧会をやる必要があったのかが問われる。
 この展覧会の位置づけは、これからの可能性を探っていくための出発点として理解することが正しいのかも知れない。

神戸ファッション美術館
http://www1.meshnet.or.jp/
kobe-mic/kipc/kfm/


会場風景
「AIR WEAR」原田大三郎
「JELLYFISH」津村耕佑
会場1


会場2


会場3


会場4


会場5


会場6


会場7
《THE AIR WARE/MODE MEETS MEDIA '98
――コンピュータグラフィックスと衣服のあいだの出来事》
会場:神戸ファッション美術館
会期:1998年7月16日〜9月1日
問い合わせ:TEL.078-858-0050

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