キュレーターズノート
リアス・アーク美術館と「N.E.アーティスト協会」/コレクションの力、青森の力/伊藤二子と八戸展 ほか
工藤健志(青森県立美術館)
2011年07月01日号
対象美術館
学芸員レポート
同じ東北地方ながら、私の勤務する青森県立美術館が位置する青森市は24時間ほど停電が続いた程度で幸いなことに地震による被害はほぼ皆無であった。しかし、燃料不足の懸念からしばらくのあいだ休館が決まり、続いて4月末からの開催を予定していた青木淳×杉戸洋展も資材調達などの問題から中止が決定。急遽、春の常設展を「コレクションの力、青森の力」と名付けて、企画展示室まで拡大して開催した。すべての展示室を使って開催するコレクション展は今回がはじめて。これまで未公開だった作品を含め、開館5周年を機に美術館の多彩なコレクションを一堂に紹介しようという試みである。「震災復興祈念」といった言葉は直接的に用いていないものの、小野忠弘、工藤哲巳、斎藤義重、沢田教一、寺山修司、奈良美智、成田亨、棟方志功など、青森ゆかりの作家の作品の、生命の根源から湧き出るかのようなエネルギーをとおして、青森、そして東北の力強さを伝えていきたいという願いを込めたつもりである。先にも記したように、コレクションは過去と現在をつなぎ、そして未来を志向する力となっていく。過去の作品からも学ぶべきことはまだまだたくさんあるはずだから。
さらに今回は青木×杉戸展で構想されていた空間の新しい活用法についても部分的に導入した。具体的にはこれまで分断されていた常設展示エリア(展示室H)とワークショップエリアをつないだこと。これにより館全体をひとつの動線で周遊できるようになり、建築的な魅力もより増したのではないかと考えている。そのため、展示室Hから抜けたワークショップエリアでは「プレイタイム・カフェ」(PLAY / PRAY TIME CAFE)を開催し、そのワンフロア上に位置するコミュニティギャラリーでは青森県内の被災地八戸市に在住する美術家・伊藤二子の個展と公開制作を実施するなど、館内の主要スペースすべてを活用することとした。
「プレイタイムカフェ」では会期中の土日限定で無料カフェをオープンし、同時に「EXPA EXPO」という展示と、ポータルミュージアムはっちとの連携ワークショップ「希望の光」(八戸市出身の美術家・松村泰三による指導)の成果展示を行なった。「EXPA EXPO」は仙台で被災した黒石市在住のプロダクトデザイナー佐藤謙行と、弘前市在住のグラフィックデザイナー山口潤の2名による、「拡張=EXPAND」をテーマとしたインスタレーションで、当初は「なにか震災復興支援的なイベントを」という県からの要請に沿って企画したイベントでもあった。
「復興支援」という冠をつけるだけならたやすいし、「がんばろう○○」のようなワンパターンの御為倒しも、なにより「わかりやすさ」と「多数の支持」が求められる現代社会においては有効かも知れないが、わざわざ美術館でやるべきことではないだろう。もちろん被災地への復興支援は各自治体が取り組むべき重要な課題であることに異論はないが、漠然と「復興支援」と言われても、そもそも美術館は誰に向けて何を発信し、あるいは誰をどう支援すべきなのか、いくら考えても良いアイデアなど僕には一切浮かんでこなかった。そもそも被災した地域の人々にも、そして幸運にも被災をまぬがれた地域の人々にも、けっして一括りにして語ることのできない震災をめぐるさまざまな「物語」があったはず。そう、「震災」をひとつの事件として想定することなど、本来は無意味なのだ。むしろ「個」の問題としてとらえ、被災した一人の作家の被災体験とその表現を紹介することのほうが少しは意味もあるのでは、という結論にやがて行き着いた。
「EXPA EXPO」を手がけた佐藤、山口の両名は現在当館のスタッフでもある。全国的に見てもめずらしいことだと思うが、青森県立美術館は専門的な技術を持つ若く優秀なスタッフが揃っており、企画展や常設展のポスター、ちらし、カタログのデザインから、パネル、キャプション、カッティングサインのデザインと施工、広報用の映像コンテンツの製作や簡単な造作まで、すべて自前で準備できる体制が整っている。つまり、彼ら技術スタッフが美術館運営の基礎的部分を支えてくれているのだが、みな「非常勤職員」ないし「臨時職員」という雇用形態であり、将来的な保証はおろか現状でも十全な待遇とは言いがたい。せめて美術館での勤務経験が次のステップにつながればという想いがつねにあるし、加えて、いまは仙台で被災し、当時在籍していたデザイン事務所が津波にのまれ、同僚の半数を亡くしたプロダクトデザイナーの佐藤がいる。とすれば、まずは彼らを支援すべきではないか。自らのスタッフを育てることのできない組織が、まちづくりや人づくりなど語れるはずもないのだから。
今回の展示でまず佐藤には、震災を想起させる直接的なイメージや、「支援」「祈り」といったメッセージ性は一切不要、日頃制作している作品をベースとしてインスタレーションを行なって欲しいとお願いをした。はたして被災体験が表現そのものに変化を与えるのか否か。与えるとすれば、それはどのような変化なのか……。なによりも僕自身が、震災と表現の関係について考えるきっかけが欲しかった。そして、来館者の方には復興支援のあり方についてほんのちょっとでも考えてもらえたら……。この企画がどのように受けとめられたのかは正確に把握できていないが、作品そのものの評判は上々で、展覧会を終えたばかりのいまは、それだけでも充分ではなかったかと考えている。もっと俯瞰的な視点から震災をテーマにした作品の展示を行なったり、ワークショップを開催するのはしばらく先でも遅くはないだろう。未曾有の大災害であったからこそ、日本の問題、東北の問題、青森の問題に先立って、まずは「青森県立美術館」の問題として受け止める必要があると思うし、しっかりと足元を固めたうえではじめて見えてくる青森の問題、東北の問題、そして日本の問題があるように思う。
そのことに関連して最後にもう一言。最近、東京では「反原発」のデモが盛んになってきていると聞く。デモという抗議手段の必要性は認めるものの、仮に福島第一原発事故の脅威が「東京」に及んでいなかったとすれば、彼らはどう考え、行動したのだろう。東京に暮らす人々は地方の原発依存体質を厳しく批判するが、その言動からは東京=日本という短絡的な認識が見え隠れして、申し訳ないがほとんど共感することはできない。中央と地方の関係、言い換えれば権力と従属という構造のもと、地方が中央に対しての絶対的服従の見返りとしての発展しか許されていないという事実を彼らは見落としてはいないか。原発というシステムに問題があることは言うまでもないことだが、一方でそうした構造そのものに立ち返っての議論をほぼ見かけないことは、東京の人々が自らの立場を客観視できないことの証でもあろう。
石母田正の『歴史と民族の発見』(1952、53)を例に挙げるまでもなく、近代化の過程のなかで意図的に「後進」「辺境」と貶められてきた東北地方。いかにこの国の「権力」が地方の犠牲にうえに成り立っていたのかを(地方を「日本のふるさと」などと理想化して語るのはその裏返しであろう)、今回の震災と原発事故をめぐる東京の動向によって、地方に暮らす人々はよりはっきりと自覚できたように思う。権力、権威の構造とその問題点を正しく認識し、それをもとに既存の価値へ異議申し立てを行なえるのは、他ならぬ「地方人」ではないのか。
ひっきょうアートの構造も同じい。リアス・アーク美術館の試みはその点からもさらなる評価が必要だと思うし、青森ゆかりの作家の特異性もそこに由来するものであるとすれば青森県立美術館の方向性もおのずと決まってくるだろう。震災後、特に強く僕はそう考えている。