キュレーターズノート
アーティスト・イン・レジデンスと美術館/シャルロット・ペリアン展、準備中
角奈緒子(広島市現代美術館)
2011年09月15日号
岡山県は倉敷市。現在、倉敷美観地区と呼ばれる町並み保存地区は、倉敷川を中心に栄えた商人の街。白壁の屋敷や古い民家、川沿いの柳並木など江戸時代の面影をいまに伝える、風情あるこの一帯は、1979年に伝統的建造物群保存地区に指定され、観光名所として全国的に知られている。
この地区に建つのが、エル・グレコやルノワール、ゴーギャンといった昔日の巨匠たちの作品が並ぶ、大原美術館。倉敷紡績などを経営する実業家の大原孫三郎が、社会貢献の一環として西洋美術を収集することを決め、画家、児島虎次郎の助言により優れた西洋美術コレクションを形成し、1930年に創設した。ギリシア、ローマのいにしえより美のカノンを受け継ぐ西洋美術の傑作が並ぶのにふさわしい白亜の神殿建築(本館)は、美観地区のなかでもひときわ目を引く。この大原美術館、観光名所という立地に甘んじることなく、レクチャーやコンサートといった魅力あるイベントを開催し、美術と触れ合う機会を積極的に提案している。また、大原美術館と言えば、「近代美術」の殿堂という印象をお持ちの方も多いと思うが、大原家別邸である有隣荘の特別公開時には、現代作家とのコラボレーションにより、伝統的な日本家屋を会場に現代美術の展覧会を開催するなど、いままさに新しく生み出されるアートの紹介にも力を入れている。さらに2005年からは、アーティスト・イン・レジデンス・プログラム、ARKO(Artist in Residence Kurashiki, Ohara)を開始していることをご存知だろうか。大原美術館の礎を築いた児島虎次郎の旧アトリエである、酒津無為村荘を活用し、滞在制作の機会を設けることで若手作家を支援、倉敷から新しいアートを発信しようというプログラムである。公募によって選ばれた若手作家は無為村荘での制作支援が約束され、完成された作品は大原美術館で公開される。なんとも素晴らしいプログラムである。しかもその主催者は、繰り返しになるが、現代アートを専門に取り扱う美術館ではなく、近代美術のコレクションで知られる大原美術館なのだ。
いまや国内でも全国的に見られるこのアーティスト・イン・レジデンスのプログラムには、規模の大小や支援の範囲の違いなど、さまざまな形態があるようだが、主催者は通常NPOであったり地方自治体の場合でもその事業に特化された団体や芸術センターといった施設であることが多く、いわゆる「美術館」からは切り離されている観がある。これは、すでに発表され、存在している作品を収蔵し、文化遺産を未来へと受け継ぐという、その成り立ちのときから美術館が担う基本的な役割を考えれば、うなずけないわけではない。しかし、レジデンス・プログラムが美術館の守備範囲外であるという歴史的背景だけのために、その役割を別の施設に委ねなければならないという実状に、正直なところしばしば歯がゆい思いを抱いている。もちろん、美術館でも類似の事業を別のやり方で、つまり「公開制作」とうたったプログラムや、公開こそされないものの展覧会に際して作家に作品制作を依頼し、新作を発表することは日常的に行なっている。しかしながら昨今の、作品購入費もなく、本来なすべき「収集」業務が滞ってしまっているような美術館においては、既存の作品を入手するのではない別の方法、例えば、作家という「人」を動かし、制作・発表の場を約束するプログラムというかたちで、未来へ受け継がれるまだ見ぬ傑作に投資するという支援のあり方を模索してもよいのではないだろうか。とはいえ、元来、「人」のレジデンス機能をもたない美術館においては、ハード面でクリアすべき課題も大きく、特に公立の美術館でレジデンス・プログラムを実現するには、現状ではまだまだハードルが高いと言えるだろう。その点においては、私立美術館はフレキシブルに動け(実状は定かではないが)、そのうえアトリエとして提供できる施設(建物)をすでに有しているというアドバンテージがあれば、実施の決定も早い。大原美術館にはぜひとも、今後の美術館のあり方に一石を投じる存在として、このレジデンス・プログラムを継続してもらいたい。
さて今回、その倉敷での滞在制作のチャンスを勝ち得たのは、花澤武夫である。花澤が選んだテーマは、歴史的に見ても西欧の画家たちを魅了し続けた《聖アントニウスの誘惑》である。親の死に際し、残された財産を貧しい人々に分け与え、自身はエジプトの砂漠に隠遁して長年にわたって孤独な生活を送ったこの聖人は、砂漠での禁欲的な生活のあいだ、恐ろしい悪魔たちの攻撃や性的な誘惑を含む生々しい幻影に襲われるがその苦しみに耐え、修道院制度の創始者と見なされている。画家が聖アントニウスに思いを馳せるとき、〈誘惑〉はなにに設定されるのだろうか。習作として思しき小さめのドローイングやペインティングには幻想的な風景や、どこかで見覚えのある得体の知れない生き物たちの姿が確認できる。《Let's groove》と題された大作に描かれているのは「ハリー・ポッター」や「スター・ウォーズ」といった誰もが知るハリウッド映画に登場するキャラクターたち。裸の女性がシャンペングラスを差し出す相手は、聖アントニウスにも、フォースを操り悪と闘うジェダイにも見えてくる。アメリカ映画の聖地に建つ世界一有名な看板を模した別の作品では、「ハリウッド」と「誘惑(Temptation)」が容易にリンクされ、笑いを誘う。もう一点の大作《Goldberg(View of Kurashiki)》で、トレドならぬ倉敷の風景──大原美術館本館や有隣荘、白壁の屋敷──を、山の頂に所狭しと詰め込んだ花澤は、巨匠エル・グレコのマスターピース《トレドの情景》を見事に新たなバージョンとして演奏して見せたと言えようか。
主題の選択や図像学的には過去の絵画に倣いながら、そこに時代の世相を反映させ普遍的な問題を投げかけるという方法は、過去の巨匠たちが取ってきた、けっして新しいスタイルではないものの、特に今回のように近代の名画を鑑賞した最後に花澤のこれらの作品を目にすると、作家のウィットだけでなく「誘惑」の実態をよりいっそう共有し易いという点で、同時代の作品であることを強く意識させられ、伝統的な制作スタイルのリバイバルだけではないなにか別の新しさが感じられた。大原美術館でのARKOともども、この作家の今後の制作に注目し続けたい。