キュレーターズノート

2012年3月後半の活動メモ

住友文彦(キュレーター)

2012年04月01日号

 今回は、少しいつもと違って、2012年3月後半の2週間の私の行動をなるべくそのままレポートすることにした。

3月17日(土)

 朝10時上野発の「スーパーひたち」で、いわき市へ向かう。映像作家の藤井光氏が監督した「プロジェクトFUKUSHIMA!」のドキュメンタリーが完成し、前日から福島市を皮切りに上映会が始まっていたので、なんとか福島県内で見たいと思った。あいにくの雨空だったが、駅前の商業ビルのレストランで彼と昼飯を食べながら制作の背景を詳しく聞く。その後、秋に前橋のアーティスト・イン・レジデンスで呼んでいた韓国人アーティスト、ペ・ヨンファンを連れてきたときにお世話になった森隆一郎さん(いわきアリオス マーケティング・マネージャー)に会うため、アリオスホールを訪れる。子どもが外で遊びづらくなったため、積極的に子ども向けのプログラムを館内で実施していると関いていたが、この日もワークショップがひと段落したところだった。彼は契約期限で、たまたまその日がアリオスホールで働く最終日だった。4月からは東京都の文化発信プロジェクト勤務になる。ヨンファンが沿岸部で撮影した映像が、現在ソウルで行なわれている個展に作品として出ていることを報告する。ライブハウスBurrowsで15時からの上映会に参加。震災直後に、自分の作品をつくるのか明確に決めないままカメラを回し続けた彼だからこそ撮れたシーンも多かったと思われる。画面に放射線量の測定値が、不定期に表示されるのが深い印象を残す。このプロジェクトに対する撮影者のある一定の距離感がそこには表われているのだろう。私はアフタートーク途中で退出せざるをえなかったが、いわき市在住者も加わり、福島第一原発の近くで生活している人がこのプロジェクトにおぼえる率直な違和感も語られ、作品が問いかけるものとのあいだにそうした対語が生まれていたことから考えるとトークを実施し続けることの意味は大きい気がした。
 郡山までバスに乗り、新幹線で仙台へ移動する。長内綾子が、自宅を一部開放して運営している「全部・穴・会館〈ホール〉」で、友人やメディアテークの映像アーカイヴに関わっている作家たちと食事をする。

3月18日(日)

 せんだいメディアテークで市民が撮った被災地の写真などを見たあと、1階のカフェで食事。オーストラリアから来たキュレーター、ヴィヴィアン・ジハール(Vivian Ziherl)、あいちトリエンナーレの武藤隆さんらと会う。13時からは志賀理江子さんが10回行なってきた連続トーク「考えるテーブル」の最終回。老若男女、おそらくアートに関心を持つ層を越えて多くの人たちが、被災の前と後に彼女が考えてきたことに高い集中力を持って耳を傾けていた。その話の内容はここで要約可能なものではないが、写真を撮ることで生じる対象者との関わりから、物質としてのイメージまで、写真をめぐってこれまで話られてきた数々の問題が、彼女の話を借りれば「体を掘るように」して考え抜かれてきたことに感動をおぼえる。
 その後は、東北大学で「3.11−東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」の展示を見る。実際にはなかなか知りえない数々の実現/非実現プロジェクトが集められていた。経済成長期に求められていた建築家の役割は、震災と原発事故によって社会の価値感と一緒に変化を余儀なくされていると思う。「みんなの家」がその応答なのか、それともまだ、ここにはその応答は現われていなかったのか。ファッション・ジャーナリストの西谷真理子さんと豊田市美術館の能勢陽子さんも加わって、近くのカフェでひとしきり感想などを話したのちに、帰りの途につく。


考えるテーブル:志賀理江子レクチャー風景(2012年3月18日)
提供=せんだいメディアテーク

3月20日(火・祝)

 来月からはじまる東京大学と多摩美術大学の授業の準備をする。私は専任教員ではないので、基本的には一方的に話すのではなく参加する学生のいろいろな考えを聞けるような場にしたいと思っている。作品が生まれる現場や、自分が関わる仕事が鑑賞者、歴史、同時代の批評とのあいだに論理的な一貫性には収めきれない複雑な関係性があることを知ってもらって、その面白さが感じられるといいと思いながらも、その実現はなかなか難しいのを毎年実感している。とにかく、過去に自分が考えたことではなく、現在自分が取り組んでいることをテーマにするほうが伝わると思うので、それなりに準備をしておかないといけない。
 午後からは、韓国の『Wolgan Misool(Monthly Art Korea=月刊美術)』が3.11以降の日本の美術に関する特集を組むらしく、そこに記載するといいプロジェクトの紹介を編集部に伝えて、自分の原稿を書き始める。夕方から、αMの林加奈子、XYZ Collectiveの竹内公太などの展示を都内で見て回る。

3月21日(水)

 美術館構想の見直しを掲げて当選した市長が迎えるはじめての前橋市議会の代表質問が行なわれた。さまざまな政治的な立場から「美術館」への考えが示された。これは本当に貴重な機会だった。今後日本の社会は文化政策と地域主権を重視していく傾向が間違いなく強まると思う。住民が地域の問題解決に関わるためには、その地域の歴史や他の地域との関係性を深く見つめる必要性が発生し、そこで文化がはたす役割が増していくのではないだろうか。そのときに、市民それぞれが考える「美術」や「美術館」の中身は、この日の議会のやりとりに見られるように固定的なものではない。したがって、山本市長が3月19日のブログに書いた「なぜ美術館見直しなのか? 文化政策に市民の主体的な活動から遊離した政治的な判断が優先するべきでは無いと考えるからです。」という考えは、きっと大きな意味を持つようになるのではないだろうか。
 「公立美術館」については、政治家ならずともこのサイトを見るような専門家も多くの人が問題意識を持っているはずだが、文化政策やアートマネージメントを語りたがる人だけが増えてなにも良い方向へ変わる兆しを感じられないのが現場でおぼえる印象だ。おおまかに言って、多くの政治家は、文化について世代を超えた持続的な見地から考えてこなかったし、専門家は明らかにステークホルダーへの説明を欠いてきたと感じる。

3月22日(木)

 震災のために中止になった分も含めるとこれまで16回実施した前橋の美術館準備のためのプレイベントをまとめた記録集を作っている。その編集作業が大詰めをむかえる。地元のNPOのスタッフが工夫を凝らして、イベントごとに特徴を反映させたレイアウトデザインにしてくれている。しかし、向こうもこうした仕事が初めてなら、こちらのスタッフも準備室としてここまでまとまった出版物をつくるのは初めてなのでで、表記の統一からすべて今後のことも考えて確認していくとけっこう手間がかかる。新しいことをはじめるのは時間も労力も必要だ。でも、それゆえの手作り感もあって、これまで取り組んできた軌跡がまさに手探りだったこととの相乗効果で、その分の体温が伝わるものになっているような気がする。

3月23日(金)

 工事の施工会社、設計事務所との定例会議。いろいろと美術館の計画見直し報道などによる混乱や影響を細かく確認しながら、材料の発注が心配なく進められるように話し合うことが中心になった。基本的に水谷俊博建築設計事務所に監理はお任せだが、ずっと使い続けるうえでメンテナンスや運営のことを中心に確認が必要な点は一緒に検討をする。大掛かりな改装工事なので、細かいところで図面通りにできず、現場で実情にあわせて調整しないといけないことが思いのほか多い。その分、工事も大変だと思うが、設計事務所も施工者もとても丁寧に確認作業などを行なってくれている。設計や施工段階から開館後の運営のことを考えて検討を重ねられるのは、当たり前のようでありながらまだそんなには多く実現してないはずで、その分、前橋市の美術館計画には先見性があると思う。

3月24日(土)

 自宅の近くで友人たちとフリーマーケットをする。アーティストとギャラリースタッフの夫婦、10年以上も前に私が関わった展覧会にボランティアで参加してその後も仕事やプライベートで付き合いが続いている友人たちが、たまたま引越しをするので行なったのだが、うちはたんに不用品を売るために便乗しただけ。雨混じりの天気だったが、暖かくなってきた陽気に誘われて思いのほか、たくさんのお客さんが来て、みんな大満足。

3月25日(日)

 別府の各プロジェクトが、まだ具体的な実施案まで思うように進んでいない。決まった展示スペースがないため、場所探しと魅力的なコンセプトの結びつきを作り上げていくのは、予想外の紆余曲折を経ることを余儀なくされる。でも、小沢剛さんからのメールを読んで、いま想定している場所と技術的にできることに対して、興味深いコンセプトを与えられそうな予感がした。さすが。時間も歴史も異なるもの同士をつなげて新しい想像力を喚起させる案だ。そのあと、クリスチャン・マークレーにも、彼が使おうとしている素材についてメールを出す。詳しい内容はまだここでは書けないが、彼がなにをやろうとしているかわからないまま要望に寄り添っている段階。しかし、これまで彼と一緒に仕事をしたなかで、いい芸術とは自己表現なのではなくて、小さな目立たないものに耳を澄ませ、そうした対象に注意を向けることによって生まれる、ということを教えてくれた人でもあり、そのことを思い出した。

3月27日(火)

 前橋市で今後の運営計画を検討する委員会の準備が始まる。専門家が中心になった基本計画が元になって進んできたので、今度は利用者や市民側の視点で意見交換をしようという目的が設定された。公募も含めて、どういう人に参加してもらえばいいのだろうか。当然、結論ありきの予定調和的なものになってはいけないし、かといって参加者が十分な情報を持たずに急いでやっても議論は深まらない。みんな考えが違うだろうから、それが具体的な方向性にまとまっていかないと、全国どこでもよくあるのは予算の削減など全体を薄めただけの結論になりがちで、参加者にも徒労感だけが残ってしまう。でも、いい意見交換ができれば、こういう機会が増えたことでいままでにないアイディアを提言として出してもらうことも可能だと思う。

3月29日(木)

 あいちトリエンナーレ2013の記者発表。共同キュレーターのルイス・ビッグスも来日して、準備のための会議も兼ねている。また、パフォーミングアーツ・チームも合同で臨んだので、企画者全員が顔を揃えた。まだ、スタッフも本番に向けてこれから増えていくような準備段階だが、アーティストの名前が追加で発表された。数から言えばまだほんの一部だが、少しは第1回との違いを意識してもらえるようなものになっただろうか。そのひとつは、東日本大震災を経験したことで価値観の大きな変動について現在の私たちが感じ、考えていることから企画を出発させようとしている点である。これは大地の揺れに限らず、歴史や民族、経済から科学、情報に至るまでさまざまな既成の価値観に対する揺らぎとして、日本以外の他の地域の人にも共有できるものとして、このメッセージを伝えられるようにしたいと思っている。それと、建築や都市との関わりも大きな特徴になるだろう。確か記者の質問としても出たが、美術において「建築的な要素」とはなにか。それは、形とかデザインといった問題よりも、人が周囲の環境と関わろうとするときの知覚方法や、その認識の方法として、非常に幅広くとらえていいと思っている。建築家よりも空間や重力、素材のことを考えているアーティストもいるし、コミュニティの関係性や見過ごされた場所を見つけ出すセンスに優れたアーティストもいる。また、空間の問題は政治や歴史と切り離しては考えられない。そうした社会の複雑な問題が持ち込まれる作品もあるだろう。
 それと前後して、候補作品や今後のスケジュールを確認する。もうそろそろ未決定の事項を潰していかないといけない時期に入ってきた。しかし、たんなる美術展ではなく、建築やパフォーミングアーツ、街との関わりまで取り込んでいく企画になりそうなのは非常に魅力的だ。


あいちトリエンナーレ2013記者発表


長者町スタジオ(青田真也+和田典子)。あいちトリエンナーレの会場となった地域で、空きビルを利用したアーティストのスタジオ運営を実験的に始めている