キュレーターズノート
水と土の芸術祭2012
伊藤匡(福島県立美術館)
2012年09月01日号
川が運ぶ水と土によって形成されてきた新潟という土地の環境、文化、歴史にアートの視点で光をあてようという趣旨で始まった「水と土の芸術祭」が、3年振りに開幕した。2009年の前回は、会場となる地域が非常に広いことと、会期が約5カ月と非常に長いことが特徴だった。
今回は、信濃川河口の魚の水揚げやせり市場として使われていた建物を主会場にして、効率よく作品を観ることができるようになった。ガイドブックに掲載されているアートプロジェクトは61点だが、そのうち15点は前回からの継続展示または場所を変えての再展示で、新作は46点である。71点の出品を数えた前回よりも点数としては少ない。一方で市民プロジェクトは150もあり、住民の参加を重視していることがうかがえる。
また、前回は美術館内に水分をたっぷり含んだ作品を展示してカビが生えるなど物議を醸したが、今回は美術館での展示はなく、総じて強引な手法は採っていない。芸術祭の常識的な形式に則っている印象を受ける。
芸術祭の成否に大きな意味を持つのが、会場である。個々の作品にとってもいえることだが、芸術祭全体としても、会場の雰囲気で印象がまったく違う。美術館のニュートラルな空間と違って、本来展示室ではない場所では、作品が場所を支配するよりも、場所が作品を生み、活かすことが多い。
その点、主会場の万代島旧水揚場は、新潟の芸術祭の会場にふさわしい立地、歴史、たたずまいをもっている場所だ。新潟の土地をつくってきた信濃川河口に面し、現代都市・新潟を象徴する高層ビル「朱鷺メッセ」の向かい側という絶好の場所である。建物は、魚の水揚場、せり市場として使われた長さ約70メートルの建物と、隣接する旧水産会館、その脇にある倉庫とプレハブ小屋が主会場の建物である。
今回のテーマは「転換点」。東日本大震災と原発事故で、現代社会のさまざまな問題が顕在化し、時代の転換点にあるという認識には同感である。情勢と関係のないテーマを掲げる芸術祭も散見されるなか、このテーマは、時節を踏まえている。しかし、作品からこのテーマについて深く考えさせるものは、多くはなかった。スーパーのレジ袋を吊して照明をあてるだけでは、価値の転換というメッセージとしては弱いのではないか。思うに、3.11以後の世界をどのようにとらえ、表現するかについて、アーティストたちもまだ模索の最中なのだ。
むしろ、この芸術祭の出発点である、新潟という土地をテーマにした作品に、力作が多かったように思う。
吉原悠博の《シビタ》は、信濃川の河口から源流までの流域の現状を20分ほどにまとめた映像作品である。サルベージ船による川底の浚渫や川の埋め立て工事、排水機場や分水場、ダムや堰堤、橋や鉄橋など、人間による川の加工の様子が、隅々までピントが合った力強い映像とほとんど現地採録の音だけで表現される。地域が川と共存するために不断の努力が続いていることを実感する反面、画面に映っているのが人間ではなく重機ばかりという現実を見ると、川との共存の範囲を超えて、征服というべき状態のようにも見える。アイヌの言葉で鮭の捕れる土地を表わすという《シビタ》という作品名からは、鮭を川の恵みとして受け取ってきたアイヌの人々の謙虚な気持ちを、現代人は忘れていないかというメッセージが込められているように思う。
KiKiKo(北郷崇広、北川拓未、小出真吾)のインスタレーション《汽水域》は、淡水と海水が混じり合う新潟の河口を、無数の釣糸を使って表現した、シンプルながら美しい作品である。最近の釣糸は青や黄など有色のものもあるので、見る位置や光の具合で色も変化する。惜しいことに、設置場所が事務室として使われていた部屋のため、事務室の白色蛍光灯の下で作品を見ることになり、水中にいるような幻想的な気分が削がれている。
主会場はずれのプレハブ小屋は、wah documentによって《おもしろ半分制作所》という名の隠れ家に改造された。外から見ると2階建ての建物は、中に入ると迷路のようになっていて、あちらこちらに階段あり扉あり、坪庭や温泉、植物園まである。さまざまなアイデアを全部むりやり詰め込んだ家だ。東京三鷹のジブリ美術館も同じように内部が迷路のようになっているが、あちらは計算され、堅牢につくられているのに対して、こちらは見るからに手作り、安普請で、そこがまた隠れ家、アジトの気分にさせてくれる。芸術祭のテーマとはあまり関係ないが、理屈抜きに楽しめる。
渡辺菊眞と高知工科大学渡辺研究室の《産泥神社 A Shrine in Chaos》は、2012個の土嚢を積み上げ、その上に屋根を掛けた建物である。土と水を混ぜた泥をつめた土嚢を建築材としている点で、この芸術祭にふさわしい作品だ。それだけではなく、設置されている場所が意味深い。信濃川に架かる柳都大橋の西のたもと、上下線に分かれた二本の橋のあいだに、それはあるのだ。橋を通る市民でも、そんな場所があることに気づかないような、隙間のような空間。橋が建設される以前にそこになにがあったのか、思い出せないような土地。都市にはそのような空間が意外に多いことに気づかされる。そこに作品が置かれることによって、場所を再発見し、その土地の記憶を蘇らせる契機となる。しかも古来、橋のたもとは異境や魔界への入口と信じられてきた。そこに置かれるのが神社というのは、日本人の心性に適っている。
芸術祭開催の目的のひとつは、アートによる地域振興である。具体的に言えば、観光客の増加等の経済効果である。この芸術祭が会期を長く採っているのは、経済効果への期待も大きいからだろう。もちろん、このような芸術祭が継続するためには、経済効果も重要な要素である。だからといって内容が乏しいのでは困るが、この芸術祭はそうではない。9月からは演劇やパフォーマンスなどのプロジェクトも数多く予定されているので、美術だけではなく演劇や音楽を目的に行くという楽しみ方もできそうである。