キュレーターズノート

古武家賢太郎展「Letters(レターズ)」

角奈緒子(広島市現代美術館)

2012年09月15日号

 瀬戸内海に面した風光明媚な街、広島県尾道市。かつては小津安二郎監督の『東京物語』が撮影され、また、大林宣彦監督の『転校生』や『時をかける少女』などもこの地で撮影されたことから、映画ファンにはよく知られた街ではないだろうか。平地が少なく、山腹の急勾配の坂にひしめくように古い家屋が立ち並ぶ、どこか懐かしさの漂うこの街を訪れた。

 今回の尾道訪問の目的は、先日までなかた美術館で開催されていた「古武家賢太郎展『レターズ』」である。この美術館は、船舶塗装業や海運事業等を展開する、株式会社ナカタ・マックコーポレーションが運営する私立美術館で、フランス現代具象画家のポール・アイズビリ、ピエール・クリスタンといった他ではあまり見ることのない特徴的な作品のほか、少数ながらもルノワール、ピカソ、ユトリロやローランサンなど、フランス近代絵画等をコレクションとして有する。本社ビルの一部を美術館としてオープンしているこぢんまりとした空間は、たいへん手入れの行き届いた、静かで落ち着いた雰囲気が漂う。

 古武家賢太郎は広島県出身、1975年生まれの比較的若い世代の作家である。1988年に桑沢デザイン研究所を卒業、その後ロンドンに渡り、チェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインで学ぶ。もともとデザインという分野の出身であることも手伝い、その活動は、いわゆる狭義のアートにとどまらず、書籍等の装画やファッションデザイナーとのコラボレーションなど、多岐にわたる。尾道との関わりは、2002年、尾道にある「やまねこカフェ」のロゴデザインを手がけたときに始まったという。会場には、作家としてのキャリアの比較的初期といえる2000年から最新の作品までが並ぶ。
 最初に目にするのは《Drawing #1-#30》と題された一連のポートレイトである。犬を抱えてこちらを向く人、ドラムを叩く人、水着姿で水辺に座る人など、街中や近辺で見かけたことのあるような人ばかりである。人物の表現は写実的ではないものの、各々のしぐさや格好が妙にリアルなためか親密さを漂わせるが、ここに描かれているのはすべて架空の人物のポートレイトだという。古武家の描く人物の顔つきの特徴──横長の目、さまざまな色を含んだ瞳、なにか言いたげな半開きの口元、異様に広い額などは、初期作品からすでに散見されている。そして特に切れ長の目は、極端なまでに強調されていき、顔の幅いっぱいに広がるまでになる。またある人物の鼻はピノキオのように前に突き出すように伸びる。身体のさまざまなパーツが次第にデフォルメされ、現実とのつながりを残していたポートレイトは徐々に、童話の世界から抜け出してきたかのような空想の人へと変貌していく。


なかた美術館での展示風景

 見ていると数年前までの作品には「無題」というタイトルが多いことに気づく。これはタイトルとなる言葉によるいかなる誘導をも避け、自由な解釈を鑑賞者に委ねたいという作家の希望だったという。しかし近年は、日本語をアルファベットで表記したタイトルがつけられる。とはいえそれらも、画面のなかで進行する物語を想起させる言葉ではなく、「四人の顔」「カップルズ」など、そこに描かれた対象を言及するだけの言葉であることが多いのだが、もっと踏み込んだ、なんらかの物語性を示唆するくらいのタイトルがあってもよいのではないだろうか。古武家の作品──細やかな装飾、当事者でありながらどこか他人事のような表情を浮かべ、どういった行為の最中にあるのかまったくわからないポーズを取る人物の姿など──は、19世紀の画家、ギュスターヴ・モローの作品を思い起こさせる。モローの描く、けだるい雰囲気を醸し出す人物の多くは無表情であり、喜怒哀楽、どの感情を抱いているのか伺い知ることは難しい。そのとき鑑賞者は、なによりもまず画面を覆う緻密なアラベスクときらびやかな装飾を通じて想像力を羽ばたかせ、そして作品に付されたタイトルを手がかりに、人物たちの状況を推し量ろうと試みる。つまり、言葉(=タイトル)は必ずしも視覚的表現の領域を犯す存在ではなく、相互に作用することで作品とのより深い対峙を可能にするはずなのだ。
 古武家の作品の特徴は、色鉛筆や木パネルといった素材や技法にも見られる。支持体に強くこすりつけるようにして生み出される色鉛筆の激しいストロークの痕跡は、鮮やかな色面と光沢とをももたらす反面、木材がもともともつ節と相俟って、一見愛らしく無邪気に見える人物に異様なオーラを帯びさせる。今回、古武家は、新たな素材として「封筒」を使用することにチャレンジし、複数の封筒や葉書を組み合わせた紙面に人物や風景を描く新シリーズ「レターズ」を発表している。封筒や葉書がもつ「伝える」という機能に着目したこのシリーズでは、本来ならば文字によるメッセージが抱かれる空白が、彼の織りなす物語を絵画で繰り広げ、伝えていくフィールドとなる。作家によれば、このシリーズの次回作は実際に送られた使用済みのレターを用いて、そこに書かれたメッセージの意味を汲んだ新たなストーリーが描かれる予定だという。またしても言葉と絵画の関係が浮上してくるわけである。いかなる関係が構築されるのか、今後の展開に期待したい。


会場で「レターズ」を制作する作家
すべて、photo by Kiyohito Mikami

古武家賢太郎展「Letters(レターズ)」

会期:2012年7月7日(土)〜9月9日(日)
会場:なかた美術館
広島県尾道市潮見町6番11号/Tel. 0848-20-1218