キュレーターズノート

國府理「ここから 何処かへ」、伊藤彩「猛スピードでははは」

中井康之(国立国際美術館)

2012年09月15日号

 それにしても暑い夏だった。夏が終わるころ、毎年そのような感を抱いていたかもしれないが、今夏の暑さをより一層不快に感じさせたのは、此の国を覆っているさまざまに困難な状況であることは疑いえない。去年の夏は、ことの重大さに対していまだ判断をするための情報を十分にえることができていなかったのか、あるいはあまりも偏った情報が過度に流されたために受容できる容量を大幅に超えたため無反応になっていたのか、今夏のように重苦しい不快な感覚を持つことはなかったように記憶している。これは、あくまでも個人の気分的な物言いにすぎないが……。

 此の国の政治における機能不全は、おそらくは構造的な問題なのであろう。それが表面的に見えてこなかったのは(見えないようにしてきたのは)、アメリカの(核の)傘に守られているという妄想と共に築き上げられてきた高度経済成長によるものなのだろう。日本が経済復興を遂げる足掛かりとなったのは朝鮮戦争だった。その後、ベトナム戦争が始まり、隣国中国は文化大革命という大失態によって少なくとも経済的に周囲の国々に影響を持ちうるような状態にはなかった。そのような状況下、アメリカは先端技術を日本に投入し、日本はそれを勤勉に学ぶことによって経済的な復興を遂げたという解釈を吉見俊哉が示していた(『朝日新聞』2012年9月4日「吉見俊哉さんに聞く──高度成長とアメリカ」)。政治はそれを妨げない努力をすればよかったのだろう。そのような蜜月ともいえる日米関係がはからずも露わになったのが「日米安全保障条約」なのである。はからずもと言ったのは、国民の多くがそのような協定が次なる紛争を生み出すと考えた故に、安保闘争のような大規模なデモを用意したからである。しかしながら、60年安保は所得倍増計画によって雲散霧消し、70年安保は大阪万博の陰に隠れてしまった。やはり、吉見の同記事によれば、万博の開会式にあわせて日本で最初の軽水炉型原子力発電である敦賀発電所1号機が営業運転を開始し、同会場では「原子力の灯がこの万博会場へ届いた」とアナウンスされたのだという。日本最初の原発を広島につくるというグロテスクな計画もあったらしいが、戦後アメリカが唱えた「平和のための核利用」というスローガンには、万博への送電というイベント感覚の行事のほうが、より狡猾でより効果的だった。われわれは、軍事的な核の傘という大きな動きに目を奪われて、電気というインフラストラクチャーに紛れた原子力が「人類の進歩と調和」というお題目で脚色されていた状況を甘受するしかなかった。その実態はまったく見えていなかったのである。

 前回取り上げた《水中エンジン》という現今の問題を正面から取り組んだ作品を発表していた國府理が、同じ京都で、大規模な個展を開催していた。「ここから何処かへ」というタイトルによって用意されたその展覧会は、夏休み企画ということもあり、前回の発表のような攻撃的な姿勢は表面的には見えない。それでも、國府の作品を再度取り上げようと考えたのは、第一義的にはもちろん作品に喚起されたからには違いないのであるが、もうひとつの理由がある。それは、一年前に起こった出来事というものが、冒頭で述べたような借りものの環境から、根源的に思考を重ねて身辺の環境を整えていく作法を日本人が身に付ける大きな起点になり得るのではないかと考えていた矢先に、ひとりの作家が目前の問題に集中して作品を作り上げることから遡り、作家自らの思考の痕跡を検証するような展覧会を行なっていることを自分自身の問題として考えなければならないと受けとめたからである。あるいは、《水中エンジン》のような直接的に問題を提起する方向性が、逆に、これまでの作品や今後の制作との繋がりを断ち切った一面があったと感じていたからかもしれない。
 じつは、当初、今回の展覧会になにかを期待していたわけではない。小学校跡を再利用した展示施設である今回の発表場所は、画廊空間よりは広いとはいえ、國府のこれまでの作品を十分に展開することは難しいと考えていた。会場入口で迎えてくれたのは過去の作品《セイル付きバイク》(2005)である。その美しい形状にはヴィークルに対する國府の素直な気持が表われていたし、動力源としての大きな帆の存在感が際立って美しい作品だ。
 そのようにして、最初の展示空間に導かれる。そこには、大きな円環状のレールを軌道にしながら軽トラックがゆっくりとした速度で動く《営みの輪》(2012)という作品が設置されていた。暗い展示空間のなかを、無限軌道を描くレールに沿いながら自走する軽トラックは、車に積み込まれたバッテリーによって駆動していた。その駆動手段に釈然としないものを感じながらも、しばらくその自走する軽トラックを眺めていると、ヘッドライト部分から映像が投射された。それは、ソーラーカーなどの國府の過去のプロジェクトを撮影した映像であり、それを投影している躯体が國府が過去の作品で用いた軽トラックであることも相乗してノスタルジックな雰囲気を生み出していた。その映像が常時映し出されるわけではなく、暗い部屋で運行を続ける軽トラックがおもむろに映像を投射するタイミングもしっかりと計算されていた。



國府理《営みの輪》(2012)
提供=京都芸術センター、撮影=表恒匡

 この展示施設は、庭(旧校庭)を挟んでもう1カ所展示空間が設けられている。グループ展であれば、なんらかの方法でその位置関係を利用することも可能かもしれないが、個展の場合には、この距離が問題であると思っていた。今回もその同じ轍を踏むのであろうかと考えながら展示空間を出て庭を横切ってもうひとつの展示室へ向かっていたときに、いつもとは違うなにかを感じて上を見上げると、その建物(旧校舎)の屋上に、セイルを利用した巨大な風車が回っていることに気付いた。おそらく國府もこの中断が最大の課題であると考え、このようなモニュメントを設置したのだろう。その風車には大きなセイル2つが上下に取り付けられ、涼やかに吹く風を受けて優雅に回っていた。その大きく回る風車を見ていたときに、先に見た《営みの輪》の円環運動と結びつき、わずかに気持ちが晴れたような気分になったことを述べておこう。さらに、その風車を見て気づいたのだが、おそらくはこれは風力発電であり、理念的には先に見た《営みの輪》は、この風力によって駆動するべきものなのだが、もちろん、この優雅に回る風車では、そのような動力は生まれないだろう。
 その電気は、もうひとつの展示室につながり、風車が回ると天井から吊り下げられた明りが灯るようになっていた。その下には高床状になった台に植物の種が蒔かれた土が盛られ、植物がクリーンなエネルギーによって育つという仕組みとなっていた。それは、《風の庭》(2012)という作品であり、タイトルからもわかるように風車を含めての作品なのである。当初は、それをとてもナイーヴで楽天的な仕事に過ぎないという印象を持ったのであるが、少し考えればわかるように、この作品が直接的に自然エネルギーの明るい未来などを示すことがないのは当然であり、芸術作品がそのような表面的なレベルで実社会と関係を持つ必要はないだろう。それでは、作者はこの装置でなにを発言しようとしているのだろう。いま関西圏内の電力は「原子力の灯」が可能性としては確実に入っている。これを拒否することはできないだろう。しかし、この《風の庭》で間欠的に灯される明りは、「原子力の灯」が含まれている比率は完全に0パーセントである。芸術作品はそこまで示せばいいだろう。そこから未来をどのように選択していくかは各個人の問題であり、どのような未来を実現していくのかは政治の問題なのである。


《風の庭》(2012)。屋外の巨大な風車
筆者撮影


《風の庭》(2012)。室内展示風景
提供=京都芸術センター、撮影=表恒匡

國府理「ここから 何処かへ」

会期:2012年7月28日(土)〜9月9日(日)
会場:京都芸術センター
京都市中京区室町通蛸薬師下ル山伏山町546-2/Tel. 075-213-1000

 もちろんイデオロギーの存否は美術作品の価値とはなんの関係もない。美術作品の存立については、その存在理由を自己の特質に問うようなメタ的な構造になったことは、近代以降の美術の特徴である。その系譜を連ねてきたのが、いわゆる現代美術のメインストリームと呼ぶべきものであったろう。前回、國府と共に取り上げた袴田京太朗の仕事はそのような動向に属するものであった。それでは、その他に美術作品が存在する場所はないのかと考えたときに、20世紀末頃からのイメージが復活してきた絵画群──そのイメージの多くは、マンガやアニメといったサブカルチャーに由来するものが多く見られた──だが、このような大局的な見方をした場合には伊藤彩の作品は、その一動向として看過されてしまうかもしれない。
 しかしながら、現代の個々の作家の仕事を見ていったときに、近代までに築き上げられてきた美術の語法を用いながらも、まだ歴史的に示されることのなかった表現を探求する者が少なくないこともまた事実なのである。特に、いたずらに過去のイメージを流用するようなことではなく、自らの創造する力を信じて、あるいは表現欲に駆られて沸き起こるように、イメージを紡ぎ出していく作家の仕事を見出したときには、これこそが、「美術」作品というものなのではないかと、これまでの歴史的な経緯などを捨て置きたくなるだろう。
 京都の画廊で開催していた伊藤彩の作品が、そのような作例に相当すると断言するものではないが、伊藤は展示空間に配した彫刻やオブジェが画面のなかで用いられるなど、絵画のなかで自己参照を行なうことによって、その作品の強度を高めるかのような行為を自然に繰り返すのである。じつは、これは彼女の制作手法に由来するものかもしれない。伊藤は、絵画のなかに描かれる人形(ひとがた)などの対象物を制作し、それを写真に撮るといったプロセスを経たうえで、絵画として再構成していくのである。そのような行為は、伊藤自身が発言しているように、「ペインティングでは、重力がない世界を描くなど、ペインティングにしかできないことをやりたい……」という思考の元に実施されている。
 近代以降の芸術の在り方は、メタ表現的な方向性に突き進んでいったのだが、例えば、絵画を絵画として成立させる条件付けを、そのような究極的で絶対的な思考の元に絶対化することに、はたして意味があるのだろうか。伊藤の作品が、絵画にしかできない表現というものを思考している作品であることを、今回の展覧会では確認することができた。



展示風景(Installation1,2)
提供=小山登美夫ギャラリー 京都
photo: Yasushi Ichikawa

伊藤彩「猛スピードでははは」

会期:2012年7月20日(金)〜9月1日(土)
会場:小山登美夫ギャラリー 京都
京都市下京区西側町483/Tel. 075-353-9994