キュレーターズノート
数寄者達──琳派以後の方法 2012、The Daegu Photo Biennale 2012、別府現代芸術フェスティバル2012「混浴温泉世界」
住友文彦(キュレーター)
2012年10月01日号
以前にもここで書いたことがある群馬県渋川市のコンセプトスペースが今年は30周年を迎えて、精力的に展覧会を行なっている。私はいま、前橋市の新しい美術館計画に関わっているので、同地域の活動を取り上げることに熱心なのだろうと思われるとやや不本意で、いろいろな展覧会に関心を持って足を運んでいるつもりだが、これは時流に流されず強い意志によって持続している活動としてあえて取り上げるべきと思う。
先日訪れたときは、明治17年に利根川沿いの敷地に迎賓館としてつくられた木造建築「臨江閣」を使って、コンセプトスペースを主宰する福田篤夫、マイケル・アッシャー、ロバート・ライマンらの作品と千利休や本阿弥光悦らの書をコロタイプ印刷で展示していた。この展覧会(数寄者達──琳派以後の方法2012)は、福田が日本美術のなかでも琳派に注目し、ミニマリズム、コンセプチュアリズムの作品と共鳴しあう部分を見出し、1990年から継続しているものである。
住宅よりもやや高く床が上がり、大きめの印象を与えるが、周りを廊下で囲まれた畳の大広間が広がる典型的な日本建築に、丁寧に考えられて配置された作品が並ぶ。畳や戸によるグリッド状の線と板張りの廊下と天井が生み出す反復のリズム。ガラス戸いっぱいに注ぐ外光がアクリルと澱粉糊でできた作品に偶然出来上がった有機的な素材感を浮かび上がらせる一方で、奥の床の間には光が届かず、暗がりのままの静かな佇まいになっている。そこに置かれたロジャー・アックリングの有機的でちゃめっけのある小さなオブジェは、部屋の守り神のようにも、じっと棲息する生き物のようにも見える。
私が気になるのは、これらの作品が終始鑑賞者の意識を高い集中力でひきつけることである。何かを見るというよりも、そこで意識が鋭敏になっていくような感覚をおぼえる。当然、作品のほとんどが解釈を拒むようなミニマルな形態ゆえに、私たちの視線は周囲を丁寧に眺めながら、そこにある空間と作品とをほぼ等価に眺めるだろう。人によっては作品と気づかないような場合もあるだろう。普段目を向けていない対象をじっくりと見ることで、意識が切り替わり、集中力が増しているように思える。けっして饒舌ではない作品ゆえに、自分自身が眺める行為によって見え方が変化することに気づく。
ミニマリズムが日本建築の形式に近いことはすでに多くの人が知っていることである。もちろんなんでも合うわけではなく、禁欲的で過剰な主張を抑えた印象の展示作品を選び抜き、見事に空間を使いこなさないとこのような緊張感は生まれない。こうしたローカルな文化が遠く地域を隔てた欧米の文化的土壌から生まれた作品とのあいだに、なにがしかの交換が生まれることに私たちはとても大きな魅力を感じ、それが異なる文化間の交渉と交流を重要な価値観のひとつとして積み上げてきた現代美術の核にあるのは間違いない。
しかし、あえてこの両者はベストの組み合わせとも必ずしも言えないとも考えてみたい。むしろ、装飾性の少ない日本建築だけでなく特異な特徴がある空間に置かれてもいいはずだ。しかし、私たちはこのような組み合わせにどこか「本質的なもの」が共鳴しあっていると感じる。むしろそれらが合致しているように見えるのは、私たちの過去の経験に遡って日常的な日本建築空間に置かれたなじみのあるかたちや色を思い描き、それと作品との比較をしているためだと思う。それは「日本建築」や「ミニマリズム」に対する個人の異なる経験を均質化してしまう可能性も孕んでいる。なぜわざわざそのような考えをしてみたかというと、どこか作品が持つ形式面だけに関心が向けられてしまうようにも感じたからである。私はむしろ、いつか冷めてしまうような熱狂や商品のような差別化が顕著な作品とは明らかに違う、静かな個人の意思のようなものを感じとれることに心を動かされる。それは、たしかにミニマルな形態がうみだすものであり、その表層に視線が注がれる時間のなかできっと静謐さを感じさせるだろう。だから作品の形式への関心から、意識が集中するような経験へ関心を移行させていくことを多くの人が感じてくれるといいと願う。
数寄者達──琳派以後の方法2012
コンセプトスペース
学芸員レポート
まず、前橋市の美術館構想は、地域住民中心の運営検討委員会の議論と提言の作成を含めた半年間の協議の結果、準備のための活動が再開する。重要なのは、美術にとどまらない他分野の芸術を扱うことと、透明で持続的な運営を実現するために市民参加組織を具体的にしていくことになったというふたつの点だと思う。もちろん収蔵庫と展示室を持つ中規模の美術館施設だが、私もこれまでダンスや音楽を展示空間で企画してきたので多分野の事業を実施するのはとても楽しみだし、なによりも地域の人が必要だと思える場所にしていくための具体的な動きが見え出したのは大きい。ちなみに、本当にまだ動き出したばかりの市民参加組織「前橋文化推進会議」のウェブサイトも稼動しだした。また、建物は今月竣工予定であり、プレイベントの実施や組織体制づくりも急ピッチで進めることになるので、また今後もお伝えしていきたい。
また、「写真」をテーマにした国際展の企画に関わった。今年で4回目のThe Daegu Photo Biennale 2012に「Dance on a Thin Line」という特別展の企画で参加した。これは、韓国での仕事をよく一緒にしている長内綾子さんと共同企画をして、すでに手一杯な私に代わって制作は彼女と多摩美術大学の学生イ・ユジョンさんが進めてくれた。写真は「客観的な事実」を伝えるツールとして私たちの世界認識を変えた。しかし、その役割はコンピュータやインターネットによって膨大な画像がやりとりされる時代になって変化しているように感じる。画像は言葉のように意味を誰もが同一のものとして受け止められないが、例えば画像コミュニケーションが増大していくと、それをどう眺めるか、どう読み取るかといった私たちが身につけるべきリテラシーも変わっていくのだろうか。そこに関心があった。とくに東日本大震災直後に大量の映像や写真を眺める経験においては、なにが伝えられているかが宙吊りになり、多くの人が怒りや悲しみや希望のような自分の感情を拠りどころにするしかなかった経験をした。世界でなにが起きているかを知るうえで、こうした感性の力について考えてみるような展覧会にしたいと思った。
インターネット上の画像コミュニケーションを題材にしていたのは、SECOND PLANET(宮川敬一+外田久雄)とBang & Lee(バン・ジャヨン&イ・ユンジュン)がいて、写真家の古屋和臣はGoogleマップのような写真でありながらカメラを見返す被写体がいる「ポートレート」を展示した。田んぼと新興住宅が混在し自宅がある郊外の風景が変わる様子を写真作品にした木暮伸也や、個人的な親密な物語を感じさせるリー・キットの作品は、震災で亡くなった友人との架空の対話を作品にした佐々瞬とも好対照だった。ほかに、失われていくかもしれない被災地の民話を記録した濱口竜介と酒井耕のポートレート的なドキュメンタリーと、福島第一原発の復旧作業に参加した指差し作業員と竹内公太の映像インスタレーションも震災と関連した秀逸な作品である。奥村雄樹は異文化間のコミュニケーションで重要な役割をはたす通訳の姿だけを撮影し、媒介役を中心に据える作品、一昨年のメディア・シティ・ソウルに続いて小泉明郎は盲目の特攻隊員の出撃前夜を描いた日本のナショナリズムと関わる作品を出した。国を背負う人々の体験に個人の感性で寄り添う作品としてジョン・ソジョンは、炭鉱で働くためにドイツに移民として渡った韓国人から聞いた話をもとにドローイングを描き制作した映像インスタレーションを展示した。
全体としては写真作品が多かったが、『現代写真論』(晶文社、2010)という書籍が和訳されているシャーロット・コットンのメイン展覧会をはじめ、写真の技法に意識的だったり、アイデンティティやジェンダーといった題材を扱う近年の写真の潮流を見て取ることで、あらためて議論の幅を確認できた気がした。まだ運営面で慣れない部分は多く見受けられたが、国際展が多発するなかで特徴のある切り口を据えているので、今後どのような展開をしていくことを考えているのか詳しく聞きたかった。個人的には、韓国や中国などで活動をする日本人の若い作家たちを身近に知ることができ、少し前にはそういう若手作家はあまりいなかったし、とても楽しみな気がした。
The Daegu Photo Biennale 2012
そして、いよいよ別府現代芸術フェスティバル2012「混浴温泉世界」。これはじつに個性的な芸術祭である。この街の魅力は言うまでもない。世界二位の温泉湧出量は、そこに行くだけで地球のエネルギーの圧倒的な力と私たちがプレートの縁で生きていることを感じられるような体験をもたらす。さらに戦争で焼けずに残った歓楽街の狭い横丁や進駐軍の影響を受けたアメリカ文化、そして商売の成功を夢見てやってきた移民たちと留学生が多い立命館アジア太平洋大学によって、日本では珍しい混交性の高い地域社会がある。そして、主催するのは行政や大企業ではなく、BEPPU PROJECTというNPO団体である。私は、アート部門のキュレーターとして、この味わい深い場所にうまく適合してくれそうな作品の方向性を話し合い、大都市でもない、グローバルなアートの地図に載ってもいない場所での企画への参加を作家にお願いした。作家は、メディアの注目や市場への影響と無縁であっても土地の魅力に惹かれたと思う。ほかにない特徴を持つ場所で作品をつくることに関心を持ってくれたのである。しかし、実際にはあらかじめ展示スペースがないプロジェクトなので、すべていちから場所を探し、持ち主と交渉し、展示プランをつくりあげるという過程を経る。もちろん、予定通りいかずに変更を余儀なくされることも多かった。私や作家は別府にいられないので、地域に根ざした活動を行なってきたBEPPU PROJECTのスタッフがそれらをほとんど行なう。その活動のなかで蓄積された地域に関する知識は、芸術祭を生み出すだけではない貴重な財産だと思う。
けっして大きな規模の芸術祭ではない。しかし、土地の魅力とアートの活動を続ける熱意に関して大規模な芸術祭を凌駕するものがあるはずだ。街づくりや地域活性化を旗印にするだけでなく、作品としてのユニークさを議論し実現させようとする点においても貴重な事業だと思う。こうしたモデルが継続し、地域の人々が芸術文化について自分たちの言葉で議論し、語りだすようになることを願っている。ぜひ、一風呂浴びに行ってください。