キュレーターズノート
国東半島アートプロジェクト2012 春、クリエイティブ・カフェ熊本
坂本顕子(熊本市現代美術館)
2013年04月15日号
九州は広い。たとえそこが自分の暮らす日常の場所と地続きであっても、「異界」へのドアはそこかしこに広がっている。アートを追って初めて訪れた国東半島で、そんな体験をした。
昨年、別府へは3回も行ったが、別府現代芸術フェスティバル2012「混浴温泉世界」と同時開催された「国東半島アートプロジェクト2012 秋」へは、結局足を延ばせず仕舞いであった。その心残りを晴らすべく、3月9日のコミッション・ワークの完成を待って、春期のプロジェクトを訪ねた。
私も九州に生まれ育ちながら初めて赴いたが、大分県の北東部に位置する国東半島は、九州から瀬戸内方面に“にゅっと”突き出た独特の地形から、大陸からの交易の要所となり、「六郷満山(ろくごうまんざん)」と呼ばれる神仏習合文化の発祥の地として、異なる宗教同士が認め合い共存する、独特の文化が土地の奥深くに根付いた特異な場所である。ほんの1日、この地を車で走り、集落を歩いただけであったが、田畑や町中に働き活動する人々の姿はあるにもかかわらず、不思議と生々しい気配が感じられなかったのが印象的だった。それは、多くの神仏や精霊のあいだに、人々がつつましやかに暮らす土地であるからだと考えるのは、少々言い過ぎだろうか。
春期は、旧香々地町役場での石川直樹の写真展「異人 the stranger」を中心に、長崎鼻リゾートキャンプ場に設置されたオノヨーコのコミッションワーク《見えないベンチ》と、チェ・ジョンファの《色色色》、公募による「国東半島フォトコンテスト」、秋期に展開されたノマド村による「集ういえ」の再オープンがプロジェクトの骨子となった。
石川の作品は、2階建ての町役場の内部をリノベーションした空間に展示され、元町長室とおぼしき重厚感ある設えの導入部でニヤリとさせられながら、国東半島を文字通り“神の目”となって空撮した作品に迎えられる。そして、その視線は地へと降り立ち、これまで秋田県の「ナマハゲ」や鹿児島県トカラ列島の「ボゼ」など、日本各地──とりわけ島や半島──に多くみられるという異形の神々を迎える儀礼としての奇祭を追った「異人」シリーズへと接続する。ここ国東では、岩倉社で行なわれる奇怪な面のケベスと白装束のトウバが争う火祭りの「ケベス祭」と、災払鬼、鎮鬼らがたいまつを持って寺院や集落をまわり五穀豊穣などを祈願する「修正鬼会(しゅじょうおにえ)」が撮り下ろされている。
また、菜の花やパンジー、桜など季節の花が咲き乱れる長崎鼻地区には、国東石のベンチに、オノヨーコの『グレープフルーツ』から抜粋したインストラクションが刻まれた石碑が13カ所のさまざまな景観のなかに配され、景色のなかに自らの身体をうずめ、一体化するような体験ができる。そして、それらの岬全体を見渡すような小高い丘の上に、いにしえの方形の墳墓のようなチェ・ジョンファの見晴らし台としてのアートワークがそびえ、今後季節を迎えるたびに植物により、訪れるたびにさまざまな景観を私たちに見せてくれることだろう。
石川が解説のなかで「最初に行ったときは、とりとめのない風景が広がっていて、少々とっつきにくいと感じましたが、通い続けるうちにいろいろな人に出会い、独特の文化とその根っこにある風土に触れて、写真が撮れるようになっていきました」と語っていたのは、非常にこのプロジェクトの本質を突いているように感じた。国東でのアートプロジェクトは、3年をかけて少しずつ成長を続け、石川もさらに国東の深部へと分け入っていく撮影を続けるという。海を挟んで向かいあう、瀬戸内の芸術祭は一度に数十万人を動員する壮大なものである一方、1000年の昔よりいまも変わらず続いてきた祭りに私たちが出会い、一対一で向かい合う方法としては、この国東のアートプロジェクトはとても適切な規模のように思える。今後、折にふれて滞在し、それぞれのアートに導かれながら、国東の自然や文化の一つひとつを自分の足で訪ねていくことのできる機会を、心から楽しみにしている。
国東半島アートプロジェクト2012 春
学芸員レポート
クリエイティブ・カフェ熊本
前回執筆した指定管理者制度見直しに関する記事に、ささやかな反響をいただいた。お問い合わせや励ましに、この場を借りて感謝したい。その過程で、横浜美術館の非公募化は、一朝一夕に決まったものではなく、複数年にわたる地道な事業努力、体質改善の積み重ねによる、満を持しての移行だったと聞いた。筆者の属する財団もこの4月1日より、遅ればせながら公益法人化し、新たなスタートを切ったが、美術館事業のパートナーたる行政に「円滑な運営には非公募が不可欠」と自信を持って言ってもらえるための実績作りとして、平成24年度に行なった事業についてご紹介したい。
昨年度の1年間をかけて、熊本市の企画課と熊本市美術文化振興財団が行なったのが、チャレンジ協働事業「みんなで創造都市を考えよう」である。チャレンジ協働事業とは、熊本市の各課が市民と協働することで課題解決や事業展開に新たな広がりを持たせようというもので、同年度で実施7年目、例年2テーマ程度の募集があり、平成24年度の同テーマには、熊本市内から4グループの応募があった。
創造都市に関しては、海外でいえばナントやボローニャ、国内では横浜や金沢、神戸などの事例があり、美術界隈においてはよく知られているところであるが、九州の地方都市においては、認知度は極めて低いというのが実情である。熊本市は平成24年4月に全国で20番目に政令指定都市に移行、また九州新幹線の全線開業という市政においてのエポックが続いたため、市の今後の文化行政のヴィジョンを示すにあたり、「創造都市という枠組みとは一体どういうもので、それは熊本市に本当に向いているか、市民とともに考える」ためにこのテーマが設定されたという背景がある。
はたして、熊本市が本当に創造都市に向いているのか。各地の美術関係者から漏れ聞く内容では、現在の「クールジャパン」に関する人々反応のように、なかなかしんどそうな事業であることは確かである。実際に、熊本市の企画課が事前に行なった基礎調査(熊本市『創造都市に関する調査等業務報告書』平成24年3月)では、HC(Human Capital)、SC(Social Capital)、EC(Environmental Capital)から熊本市の“強みと弱み”を分析し、そこで目指すべき都市像を「地域文化を見つめ直し、新たな“繋がり”をデザインするコミュニティデザイン都市」「市民のクリエイティビティを課題解決の力に代えるデザイン創造都市」という結果を導いている。この時点で、すでにユネスコが提唱するいわゆる“創造都市”という像ではなく、さしあたってそういう名称は冠しているが、最終的には、行政や文化施設、市民それぞれが「当事者」となって、熊本をどういう都市にしていきたいか、と考えるためのワークショップや講演会などを実施していくことを目標として定めた。それは、都市のデザインを考えるときに文化の力はきっと役立てることができ、それを日々考え続けている美術館や文化財団という組織は、そこで“なくてはならない”と市民に思っていただくチャンスとなると考えたからだ。
結果、正味9カ月の実施期間に、「クリエイティブ・カフェ」と名付けた本事業は、文化政策研究として4つの講演会[図1]、気軽にクリエイティブ活動に親しみ「日本一暮らしやすい政令市くまもと」を考えるワークショップ[図2]や創造都市先進地の視察バスツアー[図3]などを6本、有識者を招いて基礎調査を綿密に分析し、事業を総括する会議2回の、文化のスパルタ合宿のような計12事業を行なった。これらの事業に関わった行政、市民、文化関係者、アーティストなどは約500名に及び、熊本における文化政策をみんなで考えようという試みとして、一定の効果があったのではないかと感じる。
これらを実施するなかで、肌身に感じた熊本人の「文化観」としては、まず「シビック・プライドが非常に強い」「熊本が大好きで、郷土に自信と誇りを持っている」ことがあげられ、「地下水日本一、水の都」「自然が豊富で居住環境が抜群」「熊本城を始めとする歴史文化遺産に恵まれる」「市街地がコンパクトで活気がある」「医療水準が高く大学なども中心地に集まる」反面、「自分たちの良さをPRするのが下手」「大きな産業やプロのクリエイティブな人材が少ない」「車中心で交通網が未整備」といった問題点も同時に繰り返し浮上してきた。熊本の都市像としては、都市がコンパクトにバランスよくまとまっている反面、産業などで突出した個性が見いだせないという“強みと弱み”がワークショップ等によって洗い出され、共有できたように思う。次は、それらを、市民としての「私」が、誰とともに考え、解決、補完していくかということを実施していく番であり、それこそが、余所に誇れる「文化」のありようだと感じる。
「単なる箱もの」から「生きた箱もの」へ。美術館の主たる業務とされてきた、調査研究、収集保存、企画展示、教育普及の範囲からは、いささかはみ出た業務であり、それぞれの美術館の状況によって、定めるミッションやアイデンティティはさまざまだろう。しかし、“熊本市現代美術館ならではのあり方”を思い描くうえで、冒頭に述べた非公募化はあくまで「生きた箱もの」であるためのワンステップに過ぎない。他市の事例等も鑑みながら、熊本ならではの“文化の活きる道”をまさにいま、探っている最中にある。