キュレーターズノート
MINAMATAアートミーティング2013──世界に届け、わたしの水俣/若木くるみの制作道場──30日間七転八倒ほか
坂本顕子(熊本市現代美術館)
2013年10月15日号
水俣でアートプロジェクトがあると聞いた。熊本県の最南端、鹿児島に接する人口2万6千人の水俣市。水俣病の名を通して世界的に知られるが、実際に訪れると濃い緑の山々とおだやかに広がる不知火海に囲まれた、九州の小さな里である。
プロジェクトの名は「MINAMATAアートミーティング2013──世界に届け、わたしの水俣」。会期直前に目にしたフライヤーによると、インゴ・ギュンターの《ワールド・プロセッサー》展示のほか、水俣病患者で漁師の緒方正人とギュンターの対談、おおたか静流と藤本隆行による唄と光のパフォーマンスが行なわれるとあり、目立った現代アートの活動が行なわれているわけではないこの町でなぜ、と半信半疑で車を走らせた。
本プロジェクトの主催は、水俣病患者や支援者らでつくる「本願の会」である。国際的な水銀汚染による健康被害防止を目指す「水銀に関する水俣条約」外交会議がこの10月、熊本市、水俣市で行なわれることを受けたサブイベントとして実施された。そして、実際のプロジェクトの運営を行なうのがMAM企画室。紙漉き職人の金刺潤平を中心に、地元で暮らすボランティアの有志が集まったと言う。非常にタイトな日程で進められたと聞く本プロジェクトが成立しうるのも、この地域が病と引きかえに手にした、もやい直し(相互扶助)の精神なのか。
ギュンター作品の展示会場となったのは山あいの元小学校舎を利用した生涯学習センター。九州大学のユーザーサイエンス機構での企画など、独特のジャーナリスティックなアプローチで、日本国内での展示の機会は比較的多い作家だが、ちょうど今月で25周年を迎えたという《ワールド・プロセッサー》は、「水銀汚染」など今回初公開となる新作23点を含む56点とボリュームある構成。テレビニュースや新聞報道などで知った市民が多数訪れていた。
夕立のあと、大きな虹が湾いっぱいにかかった。日が落ちて恋路島を望む親水公園に波の音と虫の声が響く頃合いになると、不知火海のシンボル、うたせ船の帆をスクリーンに、土本典昭の『海とお月さまたち』の上映が始まった。本作は不知火海の魚の生態や漁師一家の暮らしを追った、童話のような味わいのドキュメンタリーである。土本は水俣を多く撮った作家として知られるが、作品のなかではとりたてて水俣の語を出してはいない。本作が撮られたのは1980年。いまだ偏見や差別も根強かった時代だからこそ、つましいなかに優しさと豊かさを感じさせる素朴な漁村の暮らしを、児童向けというかたちで撮ったのだろうか。
プロジェクトの白眉は、北川フラム司会による
それを受けて、緒方は「私ももう一人のチッソ」だと言う。読み書きを覚えるよりも早く、水銀による神経障害で狂死した父親の姿を見た子どもの一生は、公式確認から今年で56年となる水俣病の歴史とほぼそのまま重なる。長く患者救済運動を続けるなかで、自分が「彼ら(チッソ)と同じことをしなかったという根拠がなかった」という考えに至り、認定申請を取り下げた。北川は緒方が自らの存在を補償金や制度のなかで回収されることを拒み、水俣病を、その存在を語る〈声〉としての病だととらえていることを指摘する。そして緒方は、与えられた課題に応答する「〈表現〉としての水俣病」であると語る。病というプリズムを通してもう1度私たちの社会に光をあて、絶望のなかからそこに浮かび上がる小さなかけがえのない世界を照らし出すのだ。
ジャーナリストとしてのアーティストと、哲学者としての漁師。異なる世界を行き来するなかで言葉を獲得してきた二人だからこそ、語られえた対話だった。近くを通る夜汽車の汽笛にふと気づくころ、湾の中では5隻のうたせ船が静かに帆をあげ、光を受けながら音もなく行き交う。おおたか静流の歌声の上に広がる満天の星。これ以上の豊かさはあるだろうか。
MINAMATAアートミーティング2013──世界に届け、わたしの水俣
学芸員レポート
10月になっても台風が立て続けにやってきている九州だが、今年の夏も天候不順に泣かされ、断腸の思いで見逃さざるを得なかったプロジェクトがあった。そのひとつが、熊本の小国町の坂本善三美術館で夏に行なわれた「若木くるみの制作道場──30日間七転八倒」である。岡本太郎賞受賞という名誉を超えて、全国の過酷なマラソンレースに出場し、アスリート系アーティストとして活躍を続ける若木が、阿蘇の山あいの静かな美術館に滞在し、30日間1日1作品のペースで、学芸員に企画を出し続ける。日々渡されるお小遣いのような制作費を使って、町のなかで材料を調達し作品を発表するという肉体派の名にふさわしいプロジェクトである。
開始早々、代表作の《面》を登場させて退路を断ち、美術館の前で雨のなかかかしになって佇み、タコやイカになって墨で襖絵を描く様子が、学芸員の愛ある厳しいコメントとともに日々ブログにアップされる。畳敷きの閑静な展示室でこんなことして大丈夫なのかとか、善三先生は天国でお怒りになられないだろうか(仮に生きておいでだったら面白がって下さりそうな気もする)とか、お客様がドン引きしてないか、などとハラハラしながら更新を見つめていた。ブログは現在も閲覧可能でその30日間の軌跡を追体験できるが、読み始めると止まらない不思議な感動がある。ぜひ目を通して欲しい。幸い来館者や町の方々に好意的に受け止められ、次なる展開も検討中とも聞いた。その際はどんな大雨が降ろうとも駆けつけたい。
さて、熊本市現代美術館では「Welcome to the Jungle 熱々!東南アジアの現代美術」展がスタートしている。シンガポール美術館の現代美術のコレクションを中心とした構成だが、横浜美術館での開催時に比べ、熊本だけの特別企画として、福岡アジア美術館の所蔵品をほぼ同数展示し2倍の作品数になっているほか、九州国立博物館の「あじっぱ」の出張ワークショップを行なうなど、アジアとの関係性の強い九州ならではの利を生かした充実の構成になっている。そして、ギャラリーIIIでは、作家/建築家の坂口恭平も慕う熊本の鉄の怪人、ZUBE(ズベ)こと藤本髙廣による美術館のスケールを超えた物量の鉄のジャンクアート展「鉄魂ブギ──藤本髙廣のくず鉄魂」が開催されている。中央の美術史には記述されない、ローカル・アートの馬鹿力をどうぞこの機会に目にしていただければ幸いである。