キュレーターズノート

北海道の美術家レポート②竹岡羊子

岩﨑直人(札幌芸術の森美術館)

2013年11月01日号

 北海道にしっかと根を下ろして活動するアーティストは数多い。そのなかでキラッと光彩放つ実力者もまたあまたいるから、この地は興味深い。本連載では、年齢性別ジャンル等一切問わず、独断で、しかし、おおいに賛同を得られるであろう優れた作家とその作品を取り挙げ、紹介していきたい。

 2回目に挙げるのは、画家・竹岡羊子。その手になる画から立ち表われる世界は、躍動感に溢れ、熱気に満ち、じつに激烈である。竹岡は、その小さな体を優に超える150号や200号といった大型の画を専らとするが、その画布全体に走る筆は速度感があり、筆致は力強く、濃厚な色彩に迷いはない。観者がひとたび作品と向き合えば、これまでの長い画歴に裏打ちされた確固たる画技と堅固な芸術観に圧倒され、呑み込まれてしまいそうになる。そんな画家が脇目も振らず、ひたすら追い求めるテーマは世界各地のカーニバル。九州は太宰府に生まれ育った竹岡は、結婚を機に1955年に札幌に移り住み、北国での生活が落ち着き始めた1967年からほぼ隔年で、単身、世界各国に渡ってカーニバルを訪ね歩いた。以来、今日に至るまでおよそ半世紀にわたり、一途にカーニバルを描き続けている。


竹岡羊子《CARNAVAL=パレード》1969-70年

 各都市で発生し、多種多様に展開したカーニバルのなかでも最大級の規模を誇るのが南仏ニースのカーニバルである。竹岡が本格的にカーニバル取材を始めた地だ。その最大の呼び物は色彩豊かな巨大な山車の行進である。さまざまなキャラクターの張りぼての人形や花の山車が市内をパレードし、地中海に面したリゾート地らしく明るい雰囲気の都市型カーニバルである。夜のとばりが降りてもなお祭りは続き、そうなると人形や山車は電飾で彩られるため光のパレードとも称される。また、もうひとつの見所は花合戦と呼ばれるパレードで、華麗な衣装に身を包んだ美しい女性が山車の上から沿道に集まった観客に花を投げ、観客もまた花を投げ返すというものである。黄色い花が多く、とりわけこの一帯の特産品であるミモザが好んで選ばれる。それを踏まえ、竹岡のニースに取材した絵画を見返すと、やはりからっとした陽光に照らされたような明るい雰囲気の画が多い。また山車にも強く心奪われたようで、豪奢な山車の様子をそのままダイナミックに描き留めている。


竹岡羊子《華に寄せる想い》1991年

 ニースのほか、竹岡が好んで訪れる取材地にスイスのバーゼルがある。フランス、ドイツと国境を接し、ライン河が流れる工業地帯の街バーゼルのカーニバルはファスナハトと呼ばれ、スイス最大の規模を誇る。カトリックとプロテスタントが拮抗するところだが、このときばかりは宗派を問わず、町ぐるみのカーニバルが執り行なわれる。人々は森の精霊や魔女を思わせる土俗的な姿に変装し、独特のリズムの鼓笛隊の音につれて陽も昇らぬうちから夜遅くまで行進するのが特徴である。内陸、アルプス山間部の土地柄、全体的にニースのように陽光に満ちた派手さはなく、対称的にある種不気味な雰囲気が漂う。一方で、社会が抱える時事問題を反映、諷刺するような装いも忘れない。立ちこめるその異様な雰囲気を竹岡の絵画はきちんと伝えている。闇夜に浮遊する光、そしてパレードのうごめきにともないじりじりと揺れる色彩が確実にとらえられ、画面は全体的に重厚な空気感で包まれている。パレードがわずかに進み迫ったり退いたりする様子がリアリティをもって感じ取られ、あたかもその場にいるような錯覚さえ覚える。さらに、仮面を付けた人物たちが数多く入り乱れて描かれるなかで、赤や代赭の衣装を纏った人物や大きな旗などを一点強烈に布置することで、動線や視座が定まり、鑑賞の安定感が図られている。


竹岡羊子《夜のパレード》1980年

 ニース、バーゼルに続き、新たな取材地として竹岡が選んだのがイタリア、水の都ヴェネツィアである。サンマルコ広場を主会場とするこのカーニバルもまた世界的に名高い祭りのひとつである。華麗で端正な仮面を付けるのが特徴で、この仮装により、身分の別を問わず誰もがカーニバルを堪能することが許されたという歴史的背景を持つ。フリルやプリーツが細かくあしらわれた近世の貴族的服飾が多く好まれ、肌が露出されることはほとんどなく、全体的に華美で、瀟洒で、品がある。豪華絢爛で、芸術的な完成度も極めて高いカーニバルである。この地の取材を開始して間もない1987年、これまで独立展において数多くの受賞を重ねてきた竹岡は、会員に推挙されることとなる。これを機に150号、200号といった大型の絵画を手がけるようになった。


竹岡羊子《燦めくサンマルコ》2009年

 ほかにもウィーン、マドリード、バニュー、オーシュなどあちらこちらへと取材しているが、いずれにおいても竹岡のカーニバル取材で特徴的なのは、ただカーニバルを眺め、観察するだけでなく、できるだけ現地の人々との交流を試みていることだ。知己を得、その人と食事を共にしたり、さらに会話が弾めば自宅を訪問し、酒を酌み交わしたりもしている。その交流において、カーニバルが本来的に持つその地に住む人々の鬱憤や願望、つまりは内奥にも触れることができるのだという。彼女にとって、「ハレ」と「ケ」の両面を感受してこそ、初めてカーニバル取材は成立するのであり、その空気感を表現することで絵画は完成する。竹岡作品が、一過性の旅行者には触れえない祝祭の本義や、享楽の向こう側に迫るのは、それゆえであろう。
 竹岡の欧州歴訪は、北海道に移り住んだこととけっして無縁ではないように思う。太宰府の裕福な旧家に育った女性が、独り見知らぬ北辺の地にやってきて、その土地に馴染み、風土をその身に染み込ませようとした行為や思想は、さらにグローバルな方向へと容易に転換させたのではないかと推察される。しかし、画家は結論を見出すことを急いてはいない。幾度訪れても、人と地との交感に際限のないことを重々知っている。訪ねる度に気づくことがあり、何十年と暮らしていても発見はある。同じ主題の同じ構図の画を、画面のサイズを変え、ときに版画などに技法を変えて繰り返し描く執着は、そのことと無関係ではあるまい。ここ北の地についても、延いては故郷南方についても、遠巻きながら描くことを通してこれからも深く知っていくのであろう。


竹岡羊子《Lucienからの便り》1984年


竹岡羊子《井戸端会議San Marco》2005年

 ところで、その生まれ故郷で5年振りの個展が開催された(福岡市美術館)。今回の展覧会は、その5年間に描かれたタブローを中心としつつも、「旅のメモ」なる小作品もまた重要な要素として含まれている。これは、渡欧先で知り合った友人との書簡や記録文書などを巧みにコラージュし、その思い出を絵画として完成させたものである。足繁く現地に通い、丁寧に地元の人々と交流し、いわばその土地のなかへと全身で入っていくこと。そして、一見すると制作とは無関係にも思われるこうした過程にじっくりと時間をかけながら、たくわえた経験をキャンヴァスへと落とし込んでいくこと。こうした制作の流儀こそが、まさに竹岡作品の強度を根底で支えているのだとも言えそうだ。

竹岡羊子 展

会場:福岡市美術館[特別展示室B]
福岡県福岡市中央区大濠公園1-6/Tel. 092-714-6051
会期:2013年10月22日(火)〜10月27日(日)