キュレーターズノート
郷土の美術をみる・しる・まなぶ特別編「江上茂雄──風ノ影、絵ノ奥ノ光」展
川浪千鶴(高知県立美術館)
2013年11月01日号
NHK番組『プロフェッショナル──仕事の流儀』では、最後に「プロフェッショナルとは?」という質問が画面に現われ、登場人物が含蓄のある言葉で締めるのが定番になっている。ここでいうプロとは、熟練した生業の職能をもち、その道を極めたと自他とも認める達人であり、歴史や伝統を受け継ぐなど、試行錯誤の人生経験から感動的な成果を導き出した苦労人であり、かつ成功者たちを指している。凡庸で未熟で無名の、趣味・余技的なアマチュアとは対極にあると言い換えることもできる。
しかし、プロとアマチュアにはたして明確な線引きは可能なのだろうか。
アマチュア画家・江上茂雄
なぜこんな書き出しになったかといえば、無名のアマチュア、しかも101歳で現役の画家の画業を、約200点の作品と8,000点を超える画像で紹介した、とんでもない展覧会「江上茂雄──風ノ影、絵ノ奥ノ光」(2013年10月5日〜11月10日、福岡県立美術館)を見たからだ。
小さい頃から絵を描くことが大好きだった江上茂雄さんは、明治45(1912)年に福岡県山門郡瀬高町に生まれ、高等小学校を卒業と同時に15歳で三井三池鉱業所建築課に入社、以後太平洋戦争や三池争議など激動の時代を経て60歳まで会社員として勤めあげ、多いときには7人家族を養った。そして働きながら日曜日毎、風景や静物など身の回りのささやかな対象を主題に、おもにクレパス・クレヨン画を独学で45年間ひたすら描き続けた。「日曜画家」の時代と呼ばれるころのことだ。
退職後はいまも住む熊本県荒尾市に転居し、67歳頃から、今度は元旦と台風の日を除くほぼ毎日自宅から徒歩1、2時間のところに出かけては、目の前の風景を1枚の水彩画に仕上げて帰ってくる現場写生に没頭した。この「路傍の画家」と呼ばれた時代もなんと30年間続いた。
体力の衰えから屋外での写生を97歳で自粛したが、その後も独り暮らしを続けながら過去作の風景画をもとに室内で木版画制作に勤しみ、101歳の現在に至っている。
「時間」を味方に
くどいようだが「101歳」で「現役」の「アマチュア画家」である江上さんの画歴は驚きの約90年、ほぼ毎日描き続け、捨てることも優劣をつけることもなく自宅にストックしてきた作品群は、軽く2万点を超えている。
その圧倒的な、「時間」のリアリティ。
安価なクレパス・クレヨンを使って油絵具にはないマチエールを工夫し、水彩絵具を時には薄く、時には厚く塗ったり削り取ったりしながら、道端の草花や見慣れた風景を繰り返し描いては、「ああ、今日も1枚、絵ができた」と江上さんはつぶやく。絵を描くことは江上さんにとって呼吸や食事、睡眠とほぼ同意義であり、ささやかな日常の積み重さなりが、結果希有な画業を形作っている。
個々の作品がじんわりした親しみや描く喜びを素直に伝えてくれる一方で、その総体は、もはや余暇や趣味という言葉でかたづけることはできない尋常ならざる存在感を放っている。3年前に江上さんのお宅を調査訪問した私は、江上さんが制作に要した時間と結果としての作品、その量に圧倒されたことを覚えている。
「過去から現在、未来へと時間が一方向的に流れ去るのではなく、ほとんど渾然一体となりながら震えている。そんな時間の在り方があることを、私たちは戸惑いながら知ることになる。毎日のように風景の前に座り2、3時間で絵を1枚仕上げるという江上さんの実践は、1回毎を完了形として次々に過去へと流し去ることへの抵抗であり、すべての1回を未完結のままとめどなく現在化することで奇跡的な1回の到来を未来に持とうとする寡黙で果敢な闘いである」という、本展担当の竹口浩司学芸員の文章は、アマチュア画家の真髄を探り当てていて、極めて示唆的だ。
2万枚の江上作品はそのすべてが代表作であり、と同時に、いつか賜物のように立ち現われる理想の1点も、じつは「すでにそこにある」といえるかもしれない。
「個」として立つ
貧乏で無学歴、酒を飲まず人づきあいも苦手な江上さんは、アカデミックな美術教育を受けたことも、公募展に出品することも、絵の師匠や仲間を求めることもなく、画家としては常に独りでだった(定年後にひとりだけ画家の友人をつくったが)。暮らしと目の前の風景を併せ抱え込むように、黙々と創作を続け、発表も定年以降に10回ほど個展を開催しただけである。
美術教育を受けたことがないため、アール・ブリュット系の画家といわれることもあるが、竹口学芸員が図録に書いているように、江上さんの「孤立とは『個』として立つための一つの様態」であり、「自らの個性を周囲にアピールすることではなく、むしろ周囲に迎合せず、ひとり世界と向き合うこと」、つまり自ら選びとった画家としての態度だといえる。
初めてお目にかかったとき、当時98歳だった画家は、枯淡の境地に生きる仙人でも世捨て人でもなかった。いまに生きる絵描きとしての業を隠さず吐露する姿に、「生々しい」印象を受けた。
地域の美術館/地方の美術館
江上作品は、初見が大切ではないかと思っている。ぜひ他人の言葉を借りることなく、自分の眼と心でいつか実際に見てほしい。その貴重な機会である福岡県立美術館の「江上茂雄」展は、画家だけでなく、担当学芸員の態度にも注目が集まっている。
竹口学芸員は、展覧会準備にあたって、「路傍の画家」時代の水彩風景画約8,500点を1点1点撮影したという。3館共同の展覧会構成(福岡県立美術館、田川市美術館、大牟田市立三池カルタ・歴史資料館)、大量の作品画像や図版の公開を実現させたDVD上映とボックス型図録の制作、詩人や演劇関係者らと企画した関連イベントの実施等等。こうした努力の結果、今回約10,000点の作品を世に知らしめ、江上さんの(再)評価に大きく貢献している。
人に真摯に向き合い、地域と共に歩む地方美術館の矜持と可能性を示した好企画展としても、多くの人の記憶に長く留まることだろう。
『あまちゃん』再び
再びNHKネタを。人気連続テレビ小説『あまちゃん』の最終近くの放映で、玄人でも素人でもない、まさにアマチュアの成せる技という言葉がでてきた。主人公が自分はプロちゃんにはなれないし、なりたくない、あまちゃんがいいんだと語るシーンもあった。
タイトルの「あまちゃん」は、まだまだ半人前という意味でもあるのだが、その渾身の半端さ、健気な暴走、時に奇跡を呼び込む気合いに、脚本家はプロには真似できない希望を重ねていた。
展覧会場で101歳の画家の作品に触れた多くの人が、江上さんの作品群を通じて自分の人生への大きなエールをまさに実感している。また自分も絵が描きたくなり、何かしたくなるといったむずむずした衝動を感じる人も少なくない。展覧会の現場から鑑賞者の生活の現場へと流れ込み、にじむものから何が生まれくるのか、新たな物語に期待をつないでみたい。
[82歳]
郷土の美術をみる・しる・まなぶ特別編「江上茂雄──風ノ影、絵ノ奥ノ光」
学芸員レポート
さて、今年の夏から秋にかけて特に印象に残った3本の展覧会、「大竹伸朗──憶速」(高松市美術館)、「中原浩大──自己模倣」(岡山県立美術館)、そして「江上茂雄──風ノ影、絵ノ奥ノ光」(福岡県立美術館)には、図録がボックス型という共通点があった。
厚紙を折って成形したそれぞれの箱の中には、展覧会の章立てごと、または作品のシリーズや主題、時代ごとにまとめた、大小複数の図版編リーフレット、そこに作家や担当学芸員のテキスト集、年譜集などの資料編リーフレットやおまけも加わり、チョコのアソートボックスのような選びだす楽しさが特徴的である。
ボックス型図録は中身が紛失しやすく、書架に納めにくいなど保存性に難点はあるのだが、通常の冊子タイプの図録では得られない魅力がある。
まずは、作品図版を多種かつ大量にまとめ、リンクさせ、多様な解釈を可能にできること。世代もタイプも異なる3人がそれぞれが手がけてきた「過去から現在、未来へと時間が一方向的に流れ去るのではなく、ほとんど渾然一体となりながら震えている」作品群は、回顧式、編年式な紹介ではとうてい追いきれないものだから。
また、本の頁送りに縛られないボックス型には、「周囲に迎合せず、ひとり世界と向き合う」3作家の「個として立つ」創作態度と展覧会場の構成といった臨場感も色濃く反映されている。図録はもうひとつの展覧会だと考えていると以前このコラムで書いたが、ボックス型図録のオブジェ的な存在感と触感を通じて、作家や作品に対する新たな発見がここから生まれる予感もしている。