キュレーターズノート
福島県の文化財レスキュー
伊藤匡(福島県立美術館)
2014年03月01日号
東日本大震災から3年になるが、福島県ではいまも約14万人が避難生活を続けている。福島第一原発周辺には、住民のいない地域が広がり、貴重な文化財の多くが取り残されたままである。この文化財を救援する活動、いわゆる文化財レスキューについての現状を紹介する。
地震、津波に加えて福島第一原発の爆発事故による放射能汚染の災害に見舞われた福島県では、浜通り(海沿いの地域)の広い範囲にわたって立入りが制限された。このため文化財レスキューの活動も、2011年度は中通り(福島県中央部)が中心となった。2012年の夏から、立ち入りが制限されている区域内の双葉、大熊、富岡各町のミュージアムに保管されている資料を、区域外の相馬市内の廃校内に設けた一時保管場所に移送する作業が始まった。地震以来各ミュージアムの空調は停止したままのため、カビや乾燥等による資料劣化の心配があること、盗難や火災を避けるための措置である。
レスキュー活動は、県教育委員会が事務局となり、地元市町村の文化担当者のほか、県立博物館、県立美術館、県文化振興財団、福島大学、歴史資料保存ネットワーク等が参加している。2013年7月からは、文化庁も正式に関わって「福島県内被災文化財等救援事業」として活動を行なっている。日本博物館協会、全国美術館会議にも協力を要請し、加盟館の学芸員も参加することになった。
資料の内容は、土器、石器等の考古資料、歴史文書、生活用具、農具等の民俗資料が多い。美術工芸品は少ないが、富岡町の文化交流センターのホールに展示されていた絵画や陶芸作品なども含まれている。各ミュージアムの館内の放射線量は0.1μSv/h程度と低いが、屋外は線量が高い場所もあるため、タイベックススーツと呼ばれる不織布の上下一体型の服を着て作業をする。運び出す資料はすべて放射線量を計測して、1,300cpm以下のものに限定している。これまでの作業で、放射線量が高いために運び出すことができない資料は数点で、ほとんどの資料は全然問題ない数値であった。これまでに移送した資料は、60×44センチの平箱換算で、双葉、富岡それに12年度に移送が完了した大熊町の3町合計で約3,000箱。この移送作業は、双葉町の分がわずかに残っているものの、2013年1月でほぼ終了した。ミュージアムの資料以外では、浪江町の津波で2階まで浸水した地区の集会所にあった明治初期の村絵図、同じく浪江町の民家にあった衝立、富岡町の海岸に面していてやはり津波に襲われた観音堂の仏像や鈴などを救出して移送している。
移送には双葉、富岡町の給食搬送用のトラックを使用している。輸送会社はこの区域内の作業を引受けていないためだ。両町の学芸員が自ら運転して、約40キロ離れた相馬市内に運んでいる。許可車両以外入れない地域であるから、検問所で身分証明書を提示し、スクリーニングセンターで車と人の放射線量の測定を受け、その日使用したタイベックススーツやマスク等の処分を頼み、津波に呑まれた大型トラックが横転している脇を通って、相馬市内まで約1時間。震災で時が止まった地域から、人々が一応の日常生活を取り戻している地域までのドライブである。搬入した資料は、後日、白河市に設置した仮収蔵庫で保管することになっており、すでに2棟完成しているが、全部の資料を保管するにはスペースがまったく足りない。
文化財レスキューは現在も続いているが、このうち震災直後から2012年度末までの活動については『ふくしま再生と歴史・文化遺産』(阿部浩一、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター編、山川出版社、2013)にまとめられている。2013年2月に開かれたシンポジウムでの講演や報告をもとにまとめられた本書には、福島県内の文化財の震災被害の状況、須賀川市や飯舘村での文化財レスキューの報告、双葉、大熊、富岡の各町の学芸員による現状や今後の課題などが報告されている。
福島県の文化財レスキューは、まだ区切りがつかない。これまでの活動は、「とりあえずできることから」始めたといえる。この地域にはまだ多くの文化財が取り残されている。学校や公民館、社寺、そして個人宅の文化財がいまどうなっているのか。その調査もこれからであり、放射線量の高い地域での活動や、汚染されている資料の除染の問題も出てくるだろう。そして、最大の難問が、レスキューによって救出した資料を今後どこに保管し、どう活用するかという点である。
この点について、前掲書で重要な提言がされている(菊地芳朗「福島からの提言──震災ミュージアム(仮称)の設置に向けて」)。立入り制限区域外にミュージアムを新設するという案である。そこでは、文化財の保管、放射能汚染の除染方法の研究と除染の実施、修復のほかに、無形文化財の記録・保存、東日本大震災および原発事故に関する記録の収集、保管、展示、情報発信、さらに今後起こりうる他地域の大規模災害文化財の避難等への対応まで含めた多様な機能が想定されている。
文化財をつくり、守ってきた人と地域がなくなっている現況では、地域住民の結びつきやアイデンティティを確認する場が必要である。「震災ミュージアム」がそのような場として機能するのではないか。文化財レスキューの意義と今後について考えると、「震災ミュージアム」の必要性に行き着くのである。