キュレーターズノート
北海道の美術家レポート④端聡
岩﨑直人(札幌芸術の森美術館)
2014年05月01日号
対象美術館
北海道にしっかと根を下ろして活動するアーティストは数多い。そのなかでキラッと光彩放つ実力者もまたあまたいるから、この地は興味深い。本連載では、年齢性別ジャンル等一切問わず、独断で、しかし、おおいに賛同を得られるであろう優れた作家とその作品を取り挙げ、紹介していきたい。
4回目に挙げるのは、端聡(はた・さとし)。鉄を主材に無駄のない美しい構造体をつくり上げ、時にこれらを堅固に組み合わせて空間を鋭く裂き、そこに強烈な存在感を印象づける美術家である。一方、ここ札幌において、後進の指導、同世代の先導も引き受けながら、政財界への美術文化に対する理解の深まりをうながす活動も行なっている。さらに、いま、彼を忙しくさせているのは、この夏に始まる「札幌国際芸術祭2014」である。近代化によって喪失されたものたちを美術の観点から見つめ直そうという一大イベントで、北海道立近代美術館と我が札幌芸術の森美術館がメイン会場と位置づけられている。それぞれの立地する環境を活かし、前者では「都市」を、後者では「自然」をテーマに、いわゆる現代アートの粋が展開されることとなる。さらにイサム・ノグチ最大にして最後の作品《モエレ沼公園》や地下鉄の駅間を結ぶ公共空間など市内各所を会場として祭りは盛り立てられる。端は、そのなかで地域ディレクターという大きな任を負う。テーマの設定、それに基づいた地域作家の選定、作家との連絡・調整等を経て、開幕目前のいま、その総仕上げにきっと大わらわであるに違いない。
そんなさなかに、札幌芸術の森美術館は、昨年末から今年初めにかけて開催の自主企画展で彼に白羽の矢を立てた。「アクア-ライン」という展覧会である。気象条件や地形に応じて次々と姿を変えていく水と、その水が周囲との間につくり出すラインの美をテーマに、札幌、北海道を拠点に活躍する14人の作家たちの作品を紹介した。絵画、写真、彫刻、書、インスタレーションなど、さまざまな表現手法でとらえられた水を通じて、身近な水をめぐる想像力の可能性に迫るとともに、豊富な積雪とその雪解け水を前提条件としながら発展してきた都市・札幌や、四囲を水に取り巻かれた北海道の作家に焦点を絞ることにより、この地域の美術文化に通底している特性についても再考する機会となった展覧会である。端はこれに出品することに快諾してはくれたものの、当初、打合せの約束を取り付けるのもやっとで、彼の心は国際芸術祭に砕かれ切っていた。想定されていたこととは言え、依頼していたラフもなかなか上がってこない日々が過ぎ行くなか、やはり今回は見送るべきだったかと後悔することもあった。ところが、蓋を開けてみると、本展のためにいかに周到に準備がなされていたかが十分に窺われる作品が展示室の一角に繰り広げられた。端の造形に対する追求と、この十数年来、テーマとして掲げる水とが巧妙に織り交ぜられたじつに端正な作品である。
作品の外郭は、やはり鉄である。床より30センチの高さに幅70センチ、奥行き40センチの平べったい箱が16個、整然と並べられ、それらはホースで一続きとなっている。中には白濁した水が湛えられ、その水が留まることなく循環する仕組みだ。矩形に区切られた16の水面には、天井に固定されたプロジェクターから映像が投影される。
まずは、16面を一面としてとらえ、水が流れる映像から始まる。清涼感ある聞き心地のよい水の音をともないながら、画面は大ぶりなモザイクに転じつつ暗転。即座に緑色に発光する水の波形が現われ、「ミズ」と発するモールス信号音が繰り返し発せられる。波形は、激しい振幅を見せつつ、次第に16面個々に別々の水音を拾って示された波形に分かれ、再び、水の流れる映像が一面で現われる。モールス信号音は続く。激しい水流の映像は、その勢いに乗じて16面個別の映像に細分され、雲、水平線、水中微生物と水にまつわるさまざまが瞬時にランダムに切り替わる。すると、今度はビルディングが建ち並ぶ都市の風景に急転。これらがまた目まぐるしく変転し、速度をぐんぐんと増し、極まったところでモールス信号音は虚空に吸い込まれ、それと同時に、一面、雲を分け進む空撮映像へと転じる。耳には、日常的に水を享受する人々の声が折り重なって聞こえはじめる。ここから、抽象的な世界へと突入する。モールス信号音が復活し、DNA塩基を示すCGATの文字や数字が、ムーブインとアウトを繰り返し、次第に狂ったように明滅するなど瀟洒なデジタルエフェクトが続く。明滅の加速が頂点に達したところで、無音へと突入し、森の上空を爽快に滑る空撮映像が映し出される。最後は、16面すべてが無となり、真っ白となった各面から文意が通るように順に、しかし出現する面はランダムに英語文が浮かび、消える。例えば、「Water is / the driving force / in all nature」(レオナルド・ダ・ヴィンチ「水は万物の原動力である」)のように。
端は、本作について次のように語る。
「私が普段、水に対して感じている様々な事柄をエンターテインメントとして、私自身が水の存在に感じる美しさ、格好良さ、不思議さ、神秘さなどを映像と音で表現し、水面に投影することだけを考えました。私のイメージする水のエンターテインメントを水に楽しんでもらいたいと思ったからです。」
この4分40秒におよぶ映像には、端の水に対する謝意と敬意が詰め込まれている。さらに、端が近年心砕かれているのは、水の持つ記憶という側面。これについては、科学界でのさらなる研究成果を待たなければならないが、「水は以前そこに溶けていたものを覚えている」という説に想を得て、本作は手がけられている。水へのオマージュを水面に擦り込み、それを延々と流し渡らせることで、その循環による好変化が、延いては世にも行き渡ったならと望んでいるようでもある。
ややもすると制作以外の活動につい目が奪われがちな彼だが、それによって端の美術家としての魅力はなんら損なわれることはないことを、こうしてあらためて思い知らされた。