キュレーターズノート

金沢まちビル調査/「逃げ地図」ワークショップ

鷲田めるろ(金沢21世紀美術館)

2014年08月15日号

 11月1日より金沢21世紀美術館で始まる「3.11以後の建築」展に向け、いくつかのワークショップを行なった。ワークショップは、本展のゲスト・キュレーターである建築史家の五十嵐太郎とコミュニティデザイナーの山崎亮からの提案によるもので、その成果は展覧会のなかで紹介される。今回はその途中経過を一部ご紹介したい。

 ひとつは、大阪のBMC(ビルマニアカフェ)とともに行なった「金沢まちビル調査」である。BMCは、1950年代から70年代、高度経済成長期に建てられたビルの魅力を再発見し、イベントやリトルプレス、ウェブサイトなどで発信しているグループである。BMCが注目するこの時代のビルは、戦前のビルとは異なり、行政的な保存の対象とはなっておらず、また、ガイドブックに掲載されるような観光名所でもない。空きビルも多く、取り壊しや建て替えの時期を迎えている。金沢の建築というと、木造の伝統的な町家か、もしくは、金沢21世紀美術館や鈴木大拙館、金沢海みらい図書館など、最新の建築が注目されがちであるが、さまざまな時代の建築がモザイク状に残るのが金沢の街の特徴でもある。超高層ビル以前の、この時代のビルを「まちビル」と名付け、金沢在住の人を対象に「調査隊員」を公募し、調査を開始した。


金沢市片町のビル。窓の横の茶色いタイルと窓の上下の青い金属板の組み合わせが絶妙
以下、撮影はすべて筆者

 「まちビル」の特徴のひとつはタイルである。釉薬の斑が独特の味を見せるタイルが、水平に連続する窓の下の腰壁に貼られているタイプが多い。また、角を丸くした窓も特徴である。新幹線や当時普及し始めた自動車など、乗り物のデザインからの影響があるという。外壁への金属の使用も同様の理由からである。そして、高価だった大理石の代わりに左官仕上げでつくられたテラゾー。いまでは輸入大理石よりも左官の人件費のほうが高価になったため、用いられなくなったという。こうした特徴を持つビルは、普段歩き慣れた道にも、すぐに見つかった。BMCと一緒に街を歩き、BMCによる各ビルの解説を聞きながら、調査隊員たちは普段見えていなかったものの面白さに気づかされた。そのひとつは、金沢の人なら誰でも目にしてはいるであろう、片町スクランブルに面した北國銀行片町支店である。角地に建っているため、建物の角が切り取られ、切り取られた面が正面となり左右の対称性が強調されている。水平に連続する窓は、タイルが貼られた腰壁よりも奥に引っこんでおり、BMCの高岡伸一の解説によると、それが「陰影を生んでいる」という。さらに2階までは上階に比べて引っ込んでおり、3階以上の部分のボリュームのまとまりを生んでいる。BMCのメンバーは、「これだけのすばらしいビルは大阪にもない」と口を揃える。
 気づかなかった価値に気づくようになることは、それだけで快感である。調査隊の活動の目的のひとつはそのことにある。では、「価値を再発見する」ということは、建物の保存運動なのだろうか。その建物のデザインのすばらしさを知れば知るほど、その建物が長く残ってほしいと思うのは自然な心の動きではある。しかし、老朽化や耐震補強にかかるコスト、また、企業の統合などによって、建物自体が不要になるといった変化を考えると、取り壊しが合理的であることも理解できる。しかし、同じ取り壊すにしても、そのビルのデザインの丁寧さを理解したうえで取り壊すということが重要である。そのことによって、今後街に新しく建てられるビルが、経済的な合理性一辺倒なビルではなく、前にあったビルに負けないような、細部に至るまでデザイン的な配慮の行き届いたものとなることを期待したい。街並みの美しさは、デザインの統一性から生じるだけではなく、所有者や使用者が丁寧に愛情をもって建物や空間を扱っていることによって醸し出されるように思われる。過去のビルの魅力を再発見することは、かつてはあった丁寧さを、次の世代に引き継いでゆくということに繋がる。それがいま、過去のアノニマスなデザインを見直すことの意義ではないだろうか。


片町スクランブルに面して建つ北國銀行片町支店が入るビル

 もうひとつは、日建設計ボランティア部と行なっている「逃げ地図」である。津波時の道順と避難にかかる時間を地図に色分けして示すワークショップで、金沢市の沿岸部にある大野地区で、地域の人たちと実施した。大野地区は、街区よりも海岸に近い方向に高台がある。しかし、心理的に海の方向へ逃げるのは抵抗感があり、日常的に自動車を使用することが多いこともあって、陸のほうへ自動車で逃げがちである。ワークショップを通じて、冷静に海側の高台に徒歩で逃げることの重要性をあらためて認識できた。また、港周辺の海抜の低い地域では、老人介護施設などいくつかの3階建て以上のビルに津波時に避難させてもらえるようにしておくことが、避難にかかる時間を大きく短縮するという事実も明らかになった。
 日建設計は、東京ドームなど、1万人以上収容する施設を多く設計している。こうした大規模施設では非常時の避難計画が必要で、コンピュータによるシミュレーションを駆使して設計を行なっている。この経験を、津波時の避難に活かそうとした発想が秀逸である。また、このような発想が、被災地のリアリティに基づいていることにも共感を覚える。彼らは、東日本大震災発生後、なにか役立てることはないかと現地に向かった。しかし、そこで彼らが感じたのは、まだ、現地の人たちの気持ちが復興に向かってはおらず、続く余震のなかで、再び大きな揺れが来たときにどのように津波から避難するかということのほうに意識が向いているということであった。建築家としての専門性をシェルターや復興住宅をつくり出すことに活かすのではなく、逃げることをサポートするということに活かしたことは、建築家の職能の広がりを示している点で興味深い。建築家の役割は、広くリスクを予測し、それに対する手を打ち、人々の安全を守っていくことにあるということをあたらめて感じさせられた。「リスクに対応するという意味では、建築で消費するエネルギーを減らすことも、避難を考えることも自分たちにとっては同じです」というボランティア部のメンバー羽鳥達也の言葉が印象に残った。


「逃げ地図」ワークショップ( 2014年7月21日、もろみ蔵)

「3.11以後の建築」展

会期:2014年11月1日(土)〜2015年5月10日(日)
会場:金沢21世紀美術館
石川県金沢市広坂1-2-1/Tel. 076-220-2800

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