キュレーターズノート
アラフドアートアニュアル2014
伊藤匡(福島県立美術館)
2014年09月01日号
福島市郊外の土湯温泉町で、昨年から芸術祭が始まった。「アラフドアートアニュアル」という。アラフドは「新踏土」と書き、新雪を踏み固めて道筋をつくるという意味である。例えば、小学生の集団登校で、上級生が下級生のために新雪を踏んで道をつくることなどを指す。地域の人々のつながりを示す言葉だ。
芸術祭へ向けて動き始めたのは、土湯温泉の青年部だった。2011年3月11日の大震災で、土湯温泉も大きな影響を受けた。16軒あった旅館の三分の一が廃業した。震災の影響といっても、土湯は山間にあり津波の被害はない。地震による被害は多少あったものの、壊滅的というほどではなかった。原発事故による放射能汚染も、土湯周辺は当初から放射線量は低く、福島市中心部の数分の一であった。にもかかわらず、旅館の廃業が相次いだのは、客が来なくなったからである。年間25万人の観光客が、一時期は7万人にまで落ち込んだ。町の大半が温泉に関わる産業で生計を立てている土湯にとって、温泉客が来なくなることは死活問題である。土湯温泉町が活を求めたのが、ひとつは温泉の熱湯を利用した地熱発電、そしてもうひとつがアートによる町おこし、すなわちこのアラフドアートアニュアルである。1回目の昨年は予想以上の来訪者があったという。今年は福島市も共催に加わって市西部の観光施設などにも範囲を広げ、昨年の倍以上の3万人の誘客を目標に掲げている。
昨年からこの芸術祭の総合ディレクターを務めているのはアーティストのユミソンである。彼女はこの芸術祭を地域振興策とはとらえていないところが興味深い。芸術祭を催して町が活性化するほど、ことは簡単ではないと認識している。むしろ、質の高いアートを見てもらうことが重要だという考え方である。そのため、現代のアートとしての完成度と見る側への訴求度を基準として参加アーティスト候補を選び、実際に会って話をしたうえでこの芸術祭への参加を呼びかけている。ユミソンは「この芸術祭を通して、自分たちが何を知って何を知っていないか、何を見て何を見ていないのか、何を聞いて何を聞いていないのか、誰に触れて誰に触れていないのかを考えるきっかけにしてほしい」と語っている。水準の高いアーティストの選定、趣旨を理解してもらったうえでの参加は、ディレクターの役割としては当然である。当然ではあるが、誰彼かまわず声をかけたり、知り合いばかりに参加を呼びかけたりという芸術祭が散見される昨今、この基本に忠実な姿勢は貴重に見える。
今年の芸術祭には39名の作家や研究者が参加の予定だが、タレント並に有名な、あるいはいくつもの芸術祭を掛け持ちで飛び回っている売れっ子のアーティストは参加していない。可能な作家は現地を訪れ、場の空気を十分吸って制作の構想を練っている。芸術祭は9月5日から始まるが、取材した8月27日の時点で、何人かの制作展示が始まっていた。
北川貴好は、廃業した旅館の一フロアを使い、何枚ものブルーシートを垂直に張ってちょっとした迷路を作り上げた。半透明のブルーシートを通して差し込む光によって、床はコンクリートむきだし、窓ガラスもない殺風景な空間が幻想的な雰囲気に変わる。見る時間帯によって、空間の表情が大きく変わるだろう。エリア・パクは、3・11の津波で生じた膨大な堆積物のなかから拾った一冊のアルバムを中心にした展示を構想している。アルバムには娘の成長を撮った写真が収められている。プロの写真家であるパクの目には、この写真を撮った、おそらく父親であろう人は確かな腕前をもつアマチュア写真家と映る。一冊のアルバムをとおして、写真家同士の時空を越えた対話が生まれる。パクは、韓国での展示経験は豊富なものの、日本での展示は慎重に選んでいるという。この芸術祭に参加した理由を、福島での展示を通じてこのアルバムの持ち主や同じような境遇の人たちに対して、東北を撮影することで写真家としての姿勢が変わったことへの恩返しなのだという。
土湯温泉でいちばん大きな旅館の一室では、福島在住の建築家アサノ・コウタが、スタッフとともに柿渋を塗った割り箸を積み上げる作品を制作中だった。彼は割り箸を、福島の状況を象徴するものとして取り上げたという。福島県内では震災から3年半を経たいまも、仮設住宅で暮らす人は多い。「仮の」住まいが、仮ともいえないほど長くなっているのだ。住宅だけではない。震災後に「取りあえず、できることから」と始まった事業が、状況や人々のニーズが変化しても、相変わらず継続しているという事例が、福島県内では数多く見られる。ただし、アサノはこの状態をできるだけ前向きに受け止めようとしている。使い捨てが前提の割り箸が、柿渋を塗ることで日が経つにつれて美しい飴色に変わる。そこには「仮の」「取りあえずの」状況から生まれてきた物事も、積極的に意義づけようという作家の姿勢が見て取れる。
この芸術祭のテーマは「TOLERANCE 奇妙なあなたとの対話」。難解なメッセージだが強いて解読してみると、まずTOLERANCE(トレランス)は寛容。現代は世界各地の紛争や日本国内でのヘイトスピーチなどにみられるように、異質に見える他者を排除しようとする不寛容(イントレランス)の時代だ。アートの作品も、友人でも味方でもないが敵ともいえない、いわば異質で奇妙な他者のような存在である。そんな作品に対して、否定するのでもなく無視するのでもなくさまざまな問いかけを発すると、作品のほうでも語り出す。そのような作品との対話から始まり、アーティストとの対話、町の人たちとの対話、訪れる人同士の対話など、さまざまな対話が生まれることを、この芸術祭の主催者たちは期待しているようだ。