キュレーターズノート
これからの写真
能勢陽子(豊田市美術館)
2014年09月01日号
対象美術館
「これからの写真」は、「写真」というメディアを用いた表現を通して、その定義づけの困難さの中から、現在そしてこれからの「写真」の意義や可能性を改めて見定めようとするものである。新井卓、加納俊輔、川内倫子、木村友紀、鈴木崇、鷹野隆大、田代一倫、田村友一郎、畠山直哉ら、9名の写真家・作家が参加していた。
会場に足を踏み入れてまず驚いたのは、畠山直哉と鈴木崇の並びである。畠山の写真は、最近目にする機会の多かった、東日本大震災で甚大な被害を受けた陸前高田を写したものではなく、《Blast》シリーズが選ばれていた。石灰石の採掘現場で、発破により岩石が飛び散るまさにその瞬間を捉えた写真は、震災の前後に関わらず、自然の中、もしくは自然に対峙する人間というテーマをダイナミックに伝える、まさに傑作である。続く鈴木の展示室では、黒を背景に台所用スポンジを組み合わせた各8.5×11センチの小さな写真が、壁三面を覆っている。ドイツ語で「建物」を意味する《BAU》と名付けられたこのシリーズは、多様なスポンジの組み合わせがさまざまな建築物を想起させ、色鮮やかな色彩をともなって、リズミカルでユーモラスな諧調をつくりだす。しかし、隣り合った畠山と鈴木の写真は、動/静、自然/日用品、自然光/人工照明など、なにもかも正反対の印象を与える。展覧会はその後も、個々の作品に向き合うたびに、共通点を伺わせながらもそれまでのシークエンスを絶ち切り、予想を裏切るように続いていく。
続いて新井卓は、写真黎明期の技法であるダゲレオタイプを用いて、広島、長崎、第五福竜丸、ニューメキシコ、福島など、放射能被害を受けた土地や事件を、銀板上に刻印する。《百の太陽に灼かれて》のシリーズは、ノスタルジーの逆照射として、放射能汚染に関する過去や現在の記憶を物質化して、遥か未来に向けて凍結するようなイメージを与える。そして田代一倫は、被災地で出会った人々を撮影したシリーズを展示しているが、その手法は素朴に感じられるほどストレートである。《はまゆりの頃に》は、必ずしも背景に震災の光景を写し込んではいないが、そこに添えられた日付と撮影場所、その際に得た情報や印象の率直な記述から、そこに写っているのが被災地で出会った人々であることがわかる。田村の写真は、破滅的な場面を切り取る報道写真とは異なり、それでも続いていく人々の日常を、撮影者と被写体の邂逅の記録により伝える。両者の写真は、今回は選ばれなかった畠山の被災した故郷を写した写真や、収蔵品として展示されている志賀理江子の《螺旋階段》なども想起させつつ、災害の表象や当事者性という写真表現を巡る問題を改めて考えさせる。
さらに進んで白いカーテンをめくると、真っ白な空間の中に鷹野隆大の写真がある。鷹野も同じく人を撮っているが、その関係性はより密やかで親密なものになっている。そこに展示されているのは、被写体と撮影者が撮影後に裸体で肩を抱き合う姿を撮影した、「おれと」のシリーズである。鷹野は男性ヌードの写真で知られるが、ここではモデルは男性に限らず、女性も含まれている。被写体だけが裸体になるのではなく、撮影者も衣服を取り払いともに肩を組み合う姿は、「観る/観られる」という関係性から解き放たれた、性差を超えた共犯者のようにもみえる。展示室の入口に設けられたカーテンはゾーニングのためのものだが、撮影者とモデルが互いの信頼を基に、社会的属性のわからない裸体で写した写真は、極めて私的で一種純粋なものにもみえ、そのような閉じられた真っ白な空間のほうがむしろ似つかわしいと思われた。しかし今回、写真の中に男性器が映っているものが含まれていたため、通報により会期半ばで写真の一部を紙で覆う処置が取られることになった。この「おれと」のシリーズは、シャッターを押すことさえモデルに任せることがあり、ここでは写真家による厳密なフレーミングも、性器が映っているかどうかさえ、そんなに重要ではなかっただろう。しかし、結局作品が持っていたありのままの純粋さや親密さが奇妙なかたちで隠されたことは、やはり残念なことと思われた。
そこから先は、写真家なのか美術作家なのか、もはや明確にできない作家が続く。それでも、それらの作家たちが写真というメディアの使用に意識的であることは確かである。木村友紀は、家具を思わせるパーテーションで仮の室内空間をつくりだし、そこに無名の人々が撮影した室内写真を貼り付けて、写真の中と展示室の空間が頭の中で交差するインスタレーションを設置した。続く田村友一郎の作品は、写真から派生していながらも、そこからもっとも拡散した、具体的な写真をみつけにくいものである。田村は、写真愛好家として知られる尾張徳川家の藩主・徳川慶勝を起点に、物語や構造を複雑に増殖させ、慶勝が手掛けた《折り畳み茶室》を現代に翻案して、さらにそこにカメラ・オブ・スキュラを重ねた。茶室であり、カメラの内部でもあるその小さな空間に入ると、過去と現在が重なり合い、虚実の入り混じる多様な像が結ばれそうである。加納俊輔は、《layer of my labor》というタイトルの通り、大理石やベニヤ版の上にテープやシールを貼った表面を繰り返し撮影した後に、それを実物に貼りつけて、写真の像と実体を一体化させる。物質をともなった層が幾重にも重なっているはずなのにツルリとしたその表面は、写真の像と現実の表面という写真ならではの関係性を、このうえなくシンプルかつ明解に提示した、興味深いものであった。
最後に、川内倫子の写真と映像が展示されている。「写真」に対する自己言及的な要素を持つ上記の作家たちの後で、光を捉える術と現象をみつめる作家の感性がそのまま結実したかにみえる川内の写真は、じつに健やかで、少々違和感を感じる流れであった。正方形で捉えられた風景は、淡い光と色彩、そして瑞々しい生命感に満ちている。続いて写真集の見開きのように二つ並べて投影された映像は、静止画に時間が持ち込まれているとはいえ、対象は大きく動かず、むしろ川内の写真における静謐さや事象の循環を、相乗的、効果的にみせるものであった。
「これまでの写真」はそんなふうに、観る者の期待や予想を裏切りながら、それぞれの作品がばらばらのベクトルを示しつつ展示されているような印象を受けた。例えばこれが、畠山、川内、鷹野……と続き加納で終わっていたとしたら、違う受け取り方をしただろう。ただしこの展覧会が、そのようなありきたりな構成になっていなかったことに、むしろ興味を惹かれた。展覧会は、「これからの写真」を指し示す特定の方向に導くことはせず、企画者の偏愛も垣間見せずに、観る者をさまざまな写真の可能性のなかで宙吊りにする。おそらく展覧会だけでは、「これからの写真」はわからないだろう。しかしカタログには、1960年代の芸術写真とコンセプチュアルアートとしての写真の系譜に始まる企画者の論考から、「写真」を考えるのに必要な参考文献、1994年から2014年までの写真にまつわる主要年表を含めて、いま、そしてこれからの「写真」を改めて考えるための素材に満ちている。安易な解を求めず、それぞれが作品のあいだで手探りをしながら、「写真」について考えることを促されるような、そのような展覧会であった。