キュレーターズノート

倉地雅徳×五十嵐英之 Live with Drawing──人はなぜ「絵」を描き続けるのか

川浪千鶴(高知県立美術館)

2015年02月01日号

 ふたりの男性が机に向かい合わせに座り、背を丸め、サインペンを手に、それぞれになにかを一心に描いている。上の写真は2004年に、ほぼ同構図の下の写真は2014年に撮影された。2枚の写真のあいだに経過した10年という年月は、彼らの風貌を若干変化させてはいるが、その態度や場に流れる雰囲気は驚くほど変わっていない。


上=対面型・相互描画法(左=倉地雅徳/右=五十嵐英之)京都精華大学、2004
下=バトン・コレッジ(京都)、2014/撮影=木村羊一

絵のセッション

 写真向かって右は画家・五十嵐英之氏(1964年生まれ)、左は自閉症と知的障がいをもつ倉地雅徳氏(1979年生まれ)。23年前に京都市立の特別支援学校の教員と生徒として出会ったふたりは、言葉や表情、身振りでの意思疎通が困難ななか、描くことをふたりのあいだの特別なコミュニケーション手法に選び、「Live with Drawing」=「絵のセッション」と称して「描き合うこと、描き続けること」という独特の流儀を長きにわたってかたちづくってきた。
 使うのはB5サイズの裏面に色がついた紙、そしてボールペンとサインペン。五十嵐がきっかけとなる絵を描き、それを見た倉地が選んだ紙の上に自分の絵として展開させる。さらに五十嵐が倉地の作画に反応し、新たな刺激を加味した絵に発展させる……。以下、倉地の体調や様子をみながら、(卒業後は断続的ではあるが)いまも延々とこの掛け合いは続き、この20年間になんと5,000枚以上の作品が共同制作されている。
 「美術的な表現が障がいのある人とのコミュニケーションに役立つ」のではないかという五十嵐の気づきや研究的な試みとしてスタートした「絵のセッション」は、「自閉症者との絵画を仲立ちにした特別な対話のありかた」として、「相互描画法」(対面型や並列型)と名付けられ、その成果は精神分析学や発達心理学の分野からも注目されている(透明アクリル板をはさんでふたりが立ち、相手の視線や動きを見ながら同時に描く、よりライブ感や相互の関係性が強い「対面型・交叉・相互描画法」も試みられている)。


左=並列型・相互描画法(倉敷芸術科学大学、2011、撮影=木村羊一)
右=対面型・交叉・相互描画法(倉敷芸術科学大学、2011、撮影=木村羊一)

アール・ブリュット専門館の試みとして

 彼らのこうした膨大な作画群は、2004年に京都精華大学のギャラリーでまとめて公開されたことはあったが、2月25日から高知市内のアール・ブリュット美術館「藁工ミュージアム」にて、10年ぶり2回目の公開が予定されている。
 さて、アール・ブリュットの専門館が全国に増えるにつれ、障がい者が制作したアートの紹介にとどまらず、社会的マイノリティーの支持という態度を徹底している鞆の津ミュージアムのように独自性を打ち出した企画も増えている。藁工ミュージアムにおいても、最近は障がいをもつアーティストともたないアーティストを混在させたグループ展やテーマ展の企画が多い。
 本展は、藁工ミュージアムのそうした方向性のひとつといってもいいかもしれないが、教育、児童臨床、精神医学、発達心理学などの領域と積極的につながり、そこからアートを通じたコミュニケーションの可能性を拓こうとしている点が興味深い。と同時に、つながりだけでなく、徹底的に個/孤の領域から生まれる出ずるもの、そうした閉じたアートの意義に触れている点にも、私は関心をもっている。

描かれたものと描くこと

 昨年参加の機会があった五十嵐自身による展覧会の趣旨説明会や、著書『Live with Drawing──「描くこと」の意味:再考』(芸術キャリアデザインテキスト、2012)などをもとに、展覧会予告である今回は、「描く人」を中心に紹介してきたが、幸いにもファイリングされた作品の一部を事前に拝見することができたので、断片的ではあるが「描かれたもの」──作品の領域──からも一言付け加えておきたい。
 五十嵐も倉地も、ボールペンで描いたかたちをカラフルなサインペンでなぞり、時に塗りつぶしたりもしている。「かたち」に再現性はまったくないが、早い段階で線が閉じるように交差したかたちを倉地が好むことに気づいた五十嵐が、その点に考慮したかたちを選んでいるため、描かれたものには、どこか微生物や細胞、ミクロの有機体といった印象が漂う。完成形をけっして目指すことのない、偶然に近い産物=作品でありながらも、「いま・ここに(確かに)在る」という必然性や生命感。それが作品群を魅力的に生き生きと彩っていて、何度見ても既視感を覚えることがない。


相互描画法による描画作品(五十嵐→倉地の順で交互に)


相互描画法による描画作品(倉地→五十嵐の順で交互に)


相互描画法による描画作品(五十嵐→倉地の順で交互に)


左=相互描画法による描画作品 (五十嵐作)
右=相互描画法による描画作品 (五十嵐の作品をもとにした倉地の作品)

 倉地が一枚の絵にかける時間は短く、時に1分程度とのこと。双方かなりのスピードで描き合いが進行しているさまがうかがえる。まさにキャッチボール、対話そのものの姿。
 投げる、受け止める、投げ返すという往還の喜びは、五十嵐と倉地双方の絵から伝わってくる。そのやりとりや推移があたかも山脈のように、はっきりとした尾根の連なりとして目に映る一群もあれば、絵を見ても相手に合わせることなく自分のペースで好きにかたちづくり、何枚か先のふとした瞬間に過去との関係性が見えてきたり、といった地下水脈のようなつながりを感じさせる一群もある。
 そもそもこの作品は、1点においてもシリーズにおいても、相手がいることで初めて生まれ、初めて成立している。時に重なり、惹かれ、反発し、深まり、また分かれて、どこかにつながっていくといったコミュニケーションの痕跡は、細部にも全体にもはっきりと宿っている。とはいえ、コミュニケーションを重ねて理解を深めるのは、向き合った相手であると同時に自分自身。描き合い、描き続けることの意味は数々あるだろうが、そのひとつはここにあるといえるだろう。

 壁一面を埋め尽くすような、圧倒的な点数の作品による展示空間体験は、オープンを待たねばならない。そのとき、もはやどれが五十嵐の作品で、どれが倉地の作品かといった区別の必要性を見る人は感じないのではないかと推測している。ふたりの20年という時間をかけた無言の交流が成したものについて、行きつ戻りつしながら、引き続き会場で考えてみたい。


相互描画法による描画作品群


「イン・アウト/アウト・イン展」(京都精華大学ギャラリーフロール、2004、撮影=木村羊一)
画像提供すべて、藁工ミュージアム

倉地雅徳×五十嵐英之 Live with Drawing──人はなぜ「絵」を描き続けるのか

会期:2015年2月25日〜5月6日
会場:藁工ミュージアム
高知県高知市南金田28/Tel. 088-879-6800
公式Facebookページ:https://www.facebook.com/livewithdrawing.warakoh