キュレーターズノート
金沢市小中学校合同展(中学校美術)とドットアーキテクツ
鷲田めるろ(金沢21世紀美術館)
2015年02月01日号
対象美術館
これまでおよそ40年の人生で美術が好きではない時期があった。中学生の頃だった。小学生のように自由にのびのびと描くというだけでは気が済まない。だが、そこまで技術がある訳でもない。転換期で戸惑っていた。
昨年の夏、集中的に金沢市内の中学校をまわり、美術室を訪ねて美術の先生にお話を聞く機会を得た。現在開催中の「3.11以後の建築」展の一環で、大阪のドットアーキテクツが金沢市小中学校合同展の会場デザインを行なうことになったためである。「3.11以後の建築」展のゲスト・キュレーターである山崎亮の発案で、金沢21世紀美術館の市民ギャラリー使用団体と、若手の建築家3組がコラボレーションして会場構成を行なうことになり、その第2弾をドットアーキテクツに依頼した。お相手は、金沢市小中学校合同展。市内の小中学校の授業や部活で児童・生徒がつくった作品を一同に会して展示するもので、開館以来、毎年1月に市民ギャラリーで開催されている。このなかの中学校美術部門の展示に関わってもらうことになった。
ドットアーキテクツは、大阪を拠点に家成俊勝と赤代武志の二人が始めた建築家ユニットである。2013年の瀬戸内国際芸術祭に際しては、小豆島で「Umaki Camp」という仮設的なコミュニティスペースを住民とともにセルフビルドで施工し、運営にも関わっている。
まずドットアーキテクツは、市内に二十数校ある各中学校を一つひとつ訪ね、授業の内容、今年度合同展への出展を考えている作品、美術部の状況、合同展で改善すべき点などのヒアリングから始めた。その過程で見えてきたのは、中学校の美術が置かれている厳しい状況である。このことは、教育普及を担当する学芸員には常識なのかもしれないが、普段おもに展覧会の企画を担当している私には新鮮なことばかりであった。まず先生方はたいへん忙しいということ。美術の授業のほかに、クラスの担任を受け持ち、学校のさまざまな業務も分担している。小さい学校ほど教員数が少なく、分担する業務の負担も大きい。「美術にかけられる時間は全体の10分の1もありません」とおっしゃった先生もいたが、それが実感であろう。次に授業時数の少なさ。学年によっても異なるが、週に1.5時間もしくは1時間で、準備、片付け、説明を含めての時間である。1単位時間が50分であるため、制作時間は実質25分ほどにすぎない。さらには、行事などによって授業がなくなる週もある。合同展のなかには観客を強く惹きつける作品もあるが、全体としては学校での活動の報告の意味が強い展示となってしまうこともやむをえない。
当初は展示方法を変えることによって、観客によりよく伝える方法も含めて検討していたドットアーキテクツも、先生へのヒアリングを経て、見せ方だけに手を加えても、生徒の作品が変わらなければ展覧会を見応えのあるものにすることはできないと考えるようになった。だが、1年程度の関わりで生徒の作品を変えることはできない。もっと長期的に考えて出てきたアイディアが、授業での各先生のさまざまな工夫を展示するというものであった。短い授業時間、そして準備にかけられるわずかな時間のなかで、生徒に少しでも美術の楽しさや技法を伝え、また制作した作品をともに振り返るために、それぞれの地域の状況、各学年の状況、個別の生徒にあわせて、各先生方は独自の工夫を凝らしている。私も広い市域に及ぶ学校に足を運ぶことによって各地域の違いも少しは実感できたし、先生方からも「それは(文教地区である)○○中学校だからできること」「いまの3年生にはこの課題をやったが、その下の学年では、(危なくて)彫刻刀は使わせられない」といったお話も伺った。ドットアーキテクツは、先生方の工夫を約40件採集し、展覧会の会場内に六つの塔を制作し、展示した。
「先生の工夫」展示に至ったもうひとつの理由がある。それは、ヒアリングを通じて見えてきた先生方の孤立である。かつて生徒数が多かった時代には、美術の先生が2人いる中学校も多かった。その場合は、人事的な配慮でベテランの先生と若手の先生を組み合わせ、授業の内容やノウハウを日常的に相談し、引き継いでゆける体制を組むことができた。ところが現在、2人の先生がいる中学校は市内二十数校中わずか3校ほどに限られる。美術の先生方が学校を横断して集まる研究会も実施されているが、年に5回程度である。また、同じ大学、例えば金沢美術工芸大学や金沢大学教育学部で同時期に学んだ先生方のあいだには、非公式なつながりもあると伺ったが、すべての先生方ではない。さらに深刻なのは、これから「大量退職時代」を迎えることである。各校2人時代に多く採用されたベテランの先生が、次々と定年を迎える時期になる。これも人口動態にともなう問題だが、各先生の経験をいかに引き継いでゆくかという課題を市の中学校全体として抱えている。小中学校合同展を、先生方の工夫を共有する場にもしたいというドットアーキテクツの思いが「先生の工夫」展示に結びついた。
工夫を先生間で共有することをまずは目指したドットアーキテクツの展示であったが、一般の来場者にも学校の様子が少しは伝わったようだ。来場者のなかには生徒の家族も多く含まれるが、「今回の展示を通じて先生方の努力を感じることができ、子どもたちの作品の見え方も変わった」という旨の手紙を保護者から受け取った先生もいた。
制度自体を変えることは大仕事かもしれないが、その状況を教育行政、現場の先生、家族、美術館、そして広く一般に共有し、どのような美術教育を目指すのかをともに考え続けること、そして、日々、現場で生徒と向き合う先生を孤立させず、関係者が関心を向けることの大切さを感じたプロジェクトであった。私自身、毎年小中学校合同展を見てきたが、今年ほど、生徒の作品が生き生きと見えたことはなかった。「ああ、あれはなんとか間に合ったな」「美術部の作品に絞って、なかなか大胆だな」などと思いながら見て回った。各生徒の顔というところまでは至らないものの、作品を見ると、学校の校舎、周囲の風景、先生の顔、夏の暑い美術室が思い返された。展覧会の機能は、鑑賞者が作品を見るだけではない。とくに小中学校合同展のような展覧会の場合、さまざまな目的と関係者が入り組みあっている。その複雑さのなかに分け入って、なにが本当に大切かを考え、すべての学校に最低2回ずつは足をはこんで手間ひまを一切惜しまなかったドットアーキテクツの態度は、今後私が美術に向き合うときのひとつの指針となる。