2019年06月15日号
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キュレーターズノート

河原温「サイレンス」(On Kawara - Silence)

能勢陽子(豊田市美術館)

2015年03月01日号

 ニューヨークのグッゲンハイム美術館で、河原温の回顧展「サイレンス(On Kawara - Silence)」が開催されている。

 これまで数度グッゲンハイム美術館を訪れたことがあるけれど、そのたびに螺旋状に上昇する壁が、彫刻やインスタレーションだけでなく絵画の場合でも、使いにくいのではないかと思わされてきた。しかし本展では、その螺旋が50年近くにわたる作家の活動を貫きながら、一方向に等しく進む時間ではなく、ある場合は俯瞰的に、さまざまな時間の伸縮のなかで作品を眺めさせた。特徴ある建築空間が、これまで観たことのないような河原温の個展をつくり出していた[図1]


1──ON KAWARA—SILENCE
Installation view: On Kawara—Silence, Solomon R. Guggenheim Museum, New York, February 6 to May 3, 2015
Photo: David Heald © Solomon R. Guggenheim Foundation

 展覧会は、昨年夏に逝去した作家とキュレーターとのやり取りのなかで、章構成、出品作品などが決められていったという。代名詞でもある日付絵画「Today」シリーズ、絵葉書のシリーズ「I Got Up」、一日に出会った人々の名前をタイプした《I Met》、歩いた場所を地図上に記した《I Went》、過去編と未来編からなる100万年、《I Am Still Alive》の電報のシリーズなどよく知られた作品に加えて、日付絵画より以前に描かれた巨大な三連画やドローイングも展示されている。なかでも、《Paris - New York Drawings》(1964)は、その後極度にシステマティックで切り詰めた制作を行なっていく作家の、繊細な線で描かれたドローイング自体が魅力的だった[図2,3]。そして、EGGという言葉と生まれたばかりの赤ん坊、部屋の重力に関わりなく無数に取り付けられたバーと空間を埋める複雑な位相、言語や人間の関係性の布置など、言葉、空間と重力、関係性や位置といったその後の作品に繋がるテーマについてのさまざまな思索へと誘うものであった。


2──ON KAWARA—SILENCE
Installation view: On Kawara—Silence, Solomon R. Guggenheim Museum, New York, February 6 to May 3, 2015
Photo: David Heald © Solomon R. Guggenheim Foundation


3──ON KAWARA—SILENCE
Paris-New York Drawing no. 144, 1964
Graphite and colored pencil on paper, perforated top edge, 4 9/16 x 18 1/16 inches (37 x 46 cm)
Collection of the artist
Photo: Courtesy David Zwirner, New York/London

 展覧会全体を貫いているのは、やはり日付絵画である。1970年に3カ月にわたって毎日描かれた日付絵画が連なる《Everyday Meditation》(1971年にグッゲンハイム・インターナショナルで展示されている)、日曜日に描いた日付絵画ばかりを12年分集めた《Sunday Painting》、世界各地の幼稚園で1997年の1週間分の日付絵画を展示する《Pure Consciousness》など、時間の連なりや隔たりによって、日付絵画に複数の意味が生まれる。そして展示の最後には、「Today」シリーズを始めてから48年間分の日付絵画が、時間を遡るように並べられた《48 Years》がある。《Everyday Meditation》では、すべて同サイズのグレーの絵画を、その日の新聞記事も合わせて1日1日ていねいに観ていくが、対して《48 Years》は、サイズ、タイポグラフィ、色が移り変わる日付絵画を、高速で時間を遡りながら観ていくことになる[図4,5,6]。その体験は、螺旋の空間構造も手伝って、一人の作家の生と重なる制作を、まるでスロー・モーション、早送り、高速巻き戻しをするように、眩暈のするような時間・空間の圧縮と拡張のなかで観ているような気にさせる。最後に最上階の吹き抜けから階下を見渡すと、これまで観てきた、空を輸送される絵葉書、電波に乗って飛び交う言葉、地図に記された行動の軌跡など、この作家の活動全体が、俯瞰的な視点から観えてくる。それはまるで、移動とともにあった作家の生の軌跡が世界中に点在しているのを、地上を離れた遠くから眺めているようだ[図7,8]


4──ON KAWARA—SILENCE
Installation view: On Kawara—Silence, Solomon R. Guggenheim Museum, New York, February 6 to May 3, 2015
Photo: David Heald © Solomon R. Guggenheim Foundation


5──ON KAWARA—SILENCE
Installation view: On Kawara—Silence, Solomon R. Guggenheim Museum, New York, February 6 to May 3, 2015
Photo: David Heald © Solomon R. Guggenheim Foundation


6──ON KAWARA—SILENCE
Installation view: On Kawara—Silence, Solomon R. Guggenheim Museum, New York, February 6 to May 3, 2015
Photo: David Heald © Solomon R. Guggenheim Foundation


7──ON KAWARA—SILENCE
Installation view: On Kawara—Silence, Solomon R. Guggenheim Museum, New York, February 6 to May 3, 2015
Photo: David Heald © Solomon R. Guggenheim Foundation


8──ON KAWARA—SILENCE
JUN 10 1975
From I Got Up, 1968-79
Stamped ink on postcard, 3 1/2 x 5 1/2 inches (8.9 x 4 cm)
Collection of Keiji and Sawako Usami

 昨年の作家の死にあたって、その作品に対して特別な感情を差し挟むことは避けるべきだろう。意味内容や感覚的世界を超えようとしていた河原の作品に対しては、なおさらである。けれど、日付絵画がもはや1枚も描かれなくなったという事実は大きい。48年間描き続けられた日付絵画の前と後には、これまでとは違った「なにものか」が顔を覗かせるようになる。それを感得するなら、一人の作家の生の時間は、自らの生の時間も含めて、さらに人類全体を包み込むような時間にまで拡大するだろう。《100万年》の最初と最後に書かれた、「生き、そして死んだすべての人」、そして「最後の一人」のために、という言葉のように。展覧会のタイトル「Silence」について、企画者のジェフリー・ワイスがトーク・イベントで問われたとき、作家が考えたものとしか答えなかった。「沈黙は金」「秘すれば花」ともいうけれど、生前も人前に姿を現わさず、インタビューにも応じなかった作家の死後、その「沈黙」はより得体の知れない「なにものか」になる。この展覧会では、その「沈黙」に注意深く耳を傾けることが重要になるだろう。

付記:会場の展覧会タイトルには、最後に螺旋記号が付されている[図9]。この螺旋記号で思い出すのは、グッゲンハイム美術館からセントラルパークを挟んだ斜め下にある、アメリカ自然史博物館内の「地球・宇宙ローズセンター」である。このセンターの内部は、ビックバン後の宇宙の展開を、螺旋階段を下りながら辿れるようになっている。その宇宙の発展段階が、螺旋記号で示してある。13億年前のビッグバンに始まって、やっと人類が誕生したころには、洞窟壁画が掲げられている。説明には、「人間の歴史は、宇宙の歩みのなかでは髪の毛一本ほどの太さである」とある。河原にとって洞窟壁画は、時や人間の創造、存在についてのインスピレーションを一瞬にして与えたもので、本展でも作家の意向により南仏ショーヴェの洞窟壁画の資料がみられるようになっていた。この螺旋と洞窟壁画の符合には、人類の誕生とともに現れた芸術の創造、人間存在とその根源を照らすものとしての芸術が、知覚を超えるほどの時間の中で含意されているように思われた。


9──会場エントランス
筆者撮影

On Kawara - Silence

会期:2015年2月6日(金)〜5月3日(日)
会場:ソロモン・R・グッゲンハイム美術館
1071 Fifth Avenue (at 89th Street) New York, NY 10128-0173

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