キュレーターズノート

「繋ぐ術 田中忠三郎が伝える精神」/「成田亨 美術/特撮/怪獣」

工藤健志(青森県立美術館)

2015年04月01日号

 ある事柄、ある物、ある人に対する「評価」はけっして普遍的なものではない。それは時代とともに変化し、切り取る角度によってまた違った評価を生む。至極当たり前のことである。それは「価値観」と言い換えることもでき、ほんらい各人の思考のなかにそれぞれあるべきものなのだ。ゆえに議論が生じるし、時としてそれは戦争という悲劇にもつながっていく。ある評価に対して嫉妬の感情を抱いたり、主観的にしか過ぎない価値を絶対と信じて他者へ押しつけたりと、「評価」と「価値」は人によって異なるものだという基本的認識がなければ、それは対立や悪意を生む元凶となってしまう。だからといって評価を均質化させることは無意味であろう。それぞれの人間の思考、感情、態度の差異こそが世界を多様性のある豊かなものへと導いていくのだから。だからこそ、(吉田健一が言うように)周囲に流されず自らの判断による評価、価値を信じ、自らの生活を美しくしていく態度が肝要なのだ。

 ……と、十和田市現代美術館で開催された「繋ぐ術 田中忠三郎が伝える精神」展(2014年11月1日〜2015年2月15日)を見たあと、帰りの夜空に浮かんだとても美しい月を眺めながらぼんやりと考えた。一瞬、その過去から存在する美しい月は僕を眺め返してくれたようにも感じた。人間はさまざまな断絶を体験しながら生きているが、こうした客観的な視点をえることによって、自らの過去と現在のつながりに一貫性を見出していくことができる。つまり他者の視点を借りて、人生という偶然の連続から必然、つまり「私」という存在の意味を導き出せるのだ。民俗衣と現代美術=過去と現在=他者とわたし。振り返ってみると、この展覧会は、そのよりよき関係を築くための「術」を提示する試みであったようにも思えた。


十和田市現代美術館、外観

民俗学者・田中忠三郎の活動を辿る

 では展覧会の内容に沿って少し詳しく書いてみよう。まずは今回の展示のメインとなる田中忠三郎のこと。田中忠三郎は青森を拠点とし、考古、民俗、歴史資料の調査、研究、収集につとめた在野の研究者である。アチック・ミューゼアムを開設した民俗学者で日銀総裁や大蔵大臣を努めた渋沢敬三に傾倒、縄文遺跡の発掘調査からスタートし、1977年から布を中心とした民具へと関心の幅を広げ、積極的なフィールドワークを行ないながら江戸から昭和にかけての生活用品のコレクションを体系化していくとともに、オーラル・ヒストリーとしての著作も数多く手がけていく。忠三郎のコレクションは国の重要有形民俗文化財や青森県の有形民俗文化財に指定されているものも多く、国立歴史民俗博物館やアイヌ民族博物館、青森県立郷土館、日本の布文化と浮世絵を紹介するアミューズ ミュージアム(東京都台東区浅草)でそのコレクションの一部を見ることができる。近年、都築響一の編集による写真集『BORO』(アスペクト、2008)の発行と「田中忠三郎コレクション『BORO』」展の開催にともない忠三郎の仕事は全国的に広く知られるようになり、地元でも青森県立郷土館で「さしこ──田中忠三郎 着物コレクション」展(2012年12月22日〜2013年1月27日)が開催されるなど、評価の高まりをみせていたが、残念ながら忠三郎自身は2013年に没。しかし没後まもないこの時期にこうした展覧会が開かれることの意義は大きく、忠三郎の仕事がこれからもさまざまな角度から検証されていくひとつのきっかけとなることだろう。
 当然ながらこれまでも青森のなかで忠三郎の名を知らぬ文化関係者はいなかった。直接交流があった人も多いため、さまざまな噂を耳にすることも少なからずあった。ボロについてもその名の示すとおり、あくまでぼろ着であって本来は表に出すものではないという意見も根強くある。もしかすると筆者自身もそうした意見に染まり、無意識のうちに色眼鏡で忠三郎という人物を見ていたのかもしれない。しかし、他者の目を意識した(つまり表用の仕事着)である津軽のこぎん刺しや南部の菱刺し等の洗練された文様に比べ、ボロには衣類補強と保温効果を高めるという実用性のみを追い求めた、おそろしいまでの執拗な迫力があることを今回の展示で知る。そこには青森という土地の厳しさと、そこに生活の拠点をおく覚悟を決めた人々の強靱な意思が反映されている。「装飾」を放棄し、「美」や「デザイン」という軽々しい言葉などあっけなく跳ね返してしまう強烈なエネルギーがそこには認められた。
 もともと隠されるものには隠さなければならない理由がある。それらの多くは「性」「聖」「生」といった人間の本質、根源と密接に結び付くものであるから。しかし、それらを興味本位ではなく、どこまでも学究的な態度から(言葉は悪いけど)暴き出すことは、人間と文化、文明の考察と理解に大きく資することもまた確かである。なかなかに微妙な問題ではあるのだが、さまざまな問題を偽善で覆い隠そうとする風潮の強い現在において、その行為から学ぶべき点は多々あるように思う。さらに展示をとおして忠三郎には柳宗悦や白州正子らの「民芸」的視点に比べてより「俗」なものに対する偏愛が強くあったようにも感じた。忠三郎の仕事とその「目」については、これから機会を見つけて僕自身も考えてみたい。


「ドンジャ」
写真提供=アミューズ ミュージアム

美術館で民俗資料を扱うこと

 さらに「現代」を扱う美術館ならではの試みとして、先にも記したように、こうした民俗資料を現代に接続させる試みが、うまく機能していたことも特筆に値しよう。あらためて言うことでもないが、過去と現代を対比させ、その関係性を探るために美術という手段を用いることは有効である。今回は「縫う」「刺す」「繋ぐ」という三つのキーワードのもと、天羽やよい、泉山朗土、平田哲朗、伏木庸平、村山留里子、山下陽光、リトゥンアフターワーズが作品を出品。忠三郎や民俗衣そのものと正面から向き合うものから忠三郎に対するオマージュ的作品、そして伝統を受け継ぐ工芸的作品、染織や裁縫等の技法が共通する現代作品など、出品作は多彩であった。しかしそのギュッと圧縮された展示は、布をめぐるひとつ世界観を提示することには成功していたものの、作品個々がやや見えにくくなっており、その点は少々残念。まあこれはスペースの制約上、仕方のないことかもしれないが……。ともあれ、こちらのスペースにも限りがあるので、以下、印象に残った作品についていくつか触れておきたい。
 ドキュメントの手法によりいまの青森で刺し子、こぎん刺しを手がけながら生活する人々の姿を追った泉山朗土の映像は、周囲に配された民俗衣に、それをつくり、着て暮らした人々の意識を浮かび上がらせ、青森の歴史、風土に想いが巡る静謐な空間となっていた。また現在も草木染めした刺し糸を用いて南部菱刺しの制作を行なう天羽やよいは作品とともに、とても示唆的なテキストを添えていたので、その一部を紹介しておきたい。

──以前、ある方から「あなたはタイヘンなものを選んでしまいましたね。これは過去に完成されたものだから、いまこの仕事をするのはとても難しい」と、言われたことがありました。目の前に幕を下されてしまったような気持ちになって落ち込みましたが、いまになって考えてみるとこの方は「用を失くしたものをその精神を失わずに作ることはできないのだ」と、わたしに伝えたかったのかもしれません。
 (…中略…)考えた末、厳しい歴史をもっているもの、その原点である「着るもの・総刺し」のところへ還れば、進むべき道が見つかるかもしれない、刺しが教えてくれるかもしれないと思い、昔に還ってみようと恥しいことですが初めて歴史とそれを刺し継いできた南部女に向きあい、モノ作りの気持ちのまんなかに据えてみることにしました。
 (…中略…)よこ糸に添って毎段を糸で埋めていくだけのシンプルな仕事です。
 効率が優先されるいまの世の中ではその対極にあるような仕事かもしれません。でも、効率からは気付けないことをこの刺しは教えてくれているようです。よこ糸の間をまっすぐに刺していくだけ。
 フリーハンドではなく、右から左へ。布をかえしてまた右から左へ。
 横一線に針を運んでいくうちに、布の上に少しずつ模様が見えてきて、ゆっくり完成の形へ育っていく。刺し手はそのゆるやかな成長を見続ける。刺している間の時間は流れ去ることなく、布の上に確かなものとして定着していく。これを続けていると、言葉ではない言葉で刺しが大切な何かを伝えようとしていることが分かります。
 わたしたちの想像が及ばないほど苛酷な現実を生きていた女性たちは、きっとわたしなどが感じる以上の大きな何かを刺しからいたゞいて救われていただろうと思います。
 「刺す」という行為そのもののなかに、病気に苦しむ人、心が疲れてしまった人、人間関係に悩む人たちを引き受ける力、荷物をひととき棚上げにする力、とでもいうべき特質があると長年感じてきました。これは、保湿と補強に替わる、現代にふさわしい新しい「用」になり得るのではないかと、ひとりひそかに思ってみるのです。
 南部の女性たちが生まれて、生きて、死んでいったこの土地で、これからも刺しと一緒に暮らしていきたいと思っています。

 民芸的な「用の美」の視点を越え、行為そのものに現代的な意義を見出し、新しい価値の創造へと向かう強い意思の込もった一文である。例えば、物も人間も「過去」になれば無名の意識の集合体となっていくが、刺しという繰り返しの行為をとおして無数の個性のそれぞれを想うこと、それはかつて存在していた女性達の一人ひとりの生きた証を蘇らせ、そこから刺しの現代的意義を見出そうとする営みのようにも思えた。


展示風景
撮影=小山田邦哉

 それから、ちょっとびっくりしたのが《インターネット田中忠三郎》という山下陽光の作品。そのタイトルの脱力感に加え、布に田中忠三郎をめぐる他愛もない言葉がだらしなく、しまりのない印象の縫いで表現されたもの。そのあまりのくだらなさが(申し訳ない!)、むしろ不可思議な個性となっている作品であった。布に記されたテキストはいわゆるステイトメント。「街をガン見したのが寺山修司/テレビをガン見したのがナンシー関/生活をガン見したのが田中忠三郎」とオチをつけ、そうした「ガン見」の文化を青森の特徴とおき、ネット上に流れる膨大な情報を「ガン見」することでその処理の新しい可能性と、その可能性を切り拓く人間の登場に期待する。「あなたが知っていること調べます」というメッセージを発し、それに反応した人とのやり取りのなかで得た「追体験を追いかけて、未来の追体験」を手触りのある「物」として提示するプロジェクトである。きわめて現代的な問題をイマドキのゆるさで表現した作品であるが、そのコンセプトはさておくとしても、「残された物」を自らの思想表明のために引き寄せるといった小賢しさとは無縁の、そのあっけらかんとした爽快さがとても心地よく感じられた。
 以上のように、本展は、現代から過去のものを扱うときに陥りがちな危険性(単純な過去の美化、あるいは物の一側面の拡大解釈による強引な価値づけ等)をうまく回避しており、その点において見る者それぞれがさまざまな価値形成を行なえる理想的な展覧会であった。過去のもの、死んだものの匿名性から個を蘇生する術とでも言えようか。
 こうした取り組みを十和田現美に先を越されたことに少々悔しさを感じつつも、清々しい気持ちになったことを申し添えておく。


山下陽光《インターネット田中忠三郎》2014
撮影=小山田邦哉

繋ぐ術 田中忠三郎が伝える精神──東北の民俗衣コレクションと現代美術

会期:2014年11月1日(土)〜2015年2月15日(日)
会場:十和田市現代美術館
青森県十和田市西二番町10-9/Tel. 0176-20-1127

学芸員レポート

 ということで、最後にちょっと告知を。相も変わらず山口洋三氏と交互に書いている「成田亨美術/特撮/怪獣」展が、富山県立近代美術館福岡市美術館と巡回し、いよいよ最終会場の青森県立美術館で4月11日よりスタートする(5月31日まで)。前2会場の展示を参考にできるという最終会場の強みを活かし(笑)、展示方法や構成を少し変更しつつ青森県美の独特な空間にうまく溶け込むような展示にしたいと考えている。富山、福岡でご覧いただいた方でもまた新鮮な印象で楽しめるものになるはずなので、ぜひ足をお運びいただきたい。
 さらに同時期に開催される常設展も地元開催の強みを活かして成田亨関連展示とし、師匠である阿部合成と小坂圭二の作品に加え、成田デザインを立体化(着ぐるみ化)した高山良策の仕事を紹介。さらに成田と同様にさまざまなジャンルを横断しながら活動するスタイルを青森ゆかりの作家の特徴とおき、考現学の創始者であり建築家、デザイナーとしても活躍した今和次郎や、文学を活動の根底に据え、演劇、映像作品では無限に広がるイメージの世界を表現した寺山修司、明治期の異端の水墨画家として知られる野沢如洋、十和田湖の観光地化に奔走し、新郷村のキリストの墓の「発見」にも関与した異色の日本画家・鳥谷幡山、漫画家であり絵本『11ぴきのねこ』シリーズを手がけた馬場のぼる、そして話題のアニメ「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」の総監督をつとめる漫画家、アニメーターの安彦良和(なんと弘前大学に通っていた青森ゆかりの作家なのだ!)の作品を個展形式で紹介。青森ゆかりの作家以外でも、美術、漫画、デザイン、絵本といった各領域を無効にするような活動を行ったタイガー立石の作品や、映像作家、美術家としてのみならずメディア批評家としても活躍する伊藤隆介による成田亨オマージュ展示など盛りだくさんの内容でお届け。常設展だけでも充分お腹いっぱいになると思いますよ。


「成田亨 美術/特撮/怪獣」ポスター
デザイン=大西隆介(direction Q)

成田亨 美術/特撮/怪獣

会期:2015年4月11日(土)〜5月31日(日)
会場:青森県立美術館
青森県青森市安田字近野185/Tel. 017-783-3000

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