キュレーターズノート

「サイ トゥオンブリー×東洋の線と空間」『アーツ前橋 地域アートプロジェクト 2011-2015 ドキュメント』

住友文彦(アーツ前橋)

2015年07月01日号

 品川の原美術館は行ったことがあるが、群馬県渋川市にあるハラ ミュージアム アークにはまだ行ったことがない、という人には二館で開催中のサイ・トゥオンブリーの展覧会が初めて訪問してみる良い機会になるかもしれない。

 品川は旧個人邸で作品を親密な距離感で堪能できる個展だが、群馬では磯崎新が書院造を「引用」したと言われる照明を落とした静謐な空間「觀海庵(かんかいあん)」で古美術と一緒に展示され、まったく別の体験をすることになる。そもそも美術館規模の個展は今回が国内初という巨匠の展覧会というだけでも必見だが、さらに別館において原六郎の東洋古美術コレクションと一緒に見せるという試みに美術ファンなら関心を持たないはずがない。
 もちろん、はじめての方には伊香保温泉へ向かう傾斜面にある景観を活かした建築も見ものだろう。ハラ ミュージアム アークは1988年に開館し、2008年に「觀海庵」などを増築し現在のかたちになっている。ジャン=ミシェル・オトニエルのハートマーク型オブジェが来場者を出迎え、庭にはオラファー・エリアソンが太陽光を虹の輪に変えるドーム型の作品も置かれている。展覧会以外にも見どころは多い。
 とくに緑が濃いこの季節は「觀海庵」へ向かう廊下の奥に光が溢れ、美しいアプローチの空間を生み出している。そこを抜けると左右に直線が広がる縁側から庭を眺め渡すことができる。そのまま左に直進すると「觀海庵」の入り口であり、ドアの向こうにはアニッシュ・カプーアの作品が神秘的な深淵の口を開けて待ち受けている。


ハラ ミュージアム アーク外観とジャン=ミシェル・オトニエルのオブジェ
撮影=白久雄一


ハラ ミュージアム アーク内、觀海庵へ向かう通路
撮影=齋藤さだむ

 はじめに眼に入るトゥオンブリーの作品はお馴染みの黒板ドローイングだが、ワークス・オン・ペーパーはこじんまりとした空間とうまく合致して、紙の上を走る筆致を追うのには最適な鑑賞ができるのは嬉しい。これは比較的大きな美術館の展示空間に置かれたトゥオンブリー作品と相対するのとはかなり異なる体験である。作品数が多くなくても、いや多くないがゆえに、独特の膨らみを持って描かれている線をゆったりとした気持ちで追うことができる。
 その向かいには、部屋の奥へと延びるように一枚の巻物が置かれている。円山応挙が京都の伏見から大阪の天満橋まで、淀川の流れと両岸の景色をなんと約16メートルに渡り描いているものという。そして奥の壁には三つのトゥオンブリ—作品があり、アクリル絵具の鮮やかな色を持つ作品と、イタリア中部の保養地の地名が題名に付いた対の作品が待ち受けている。ハトロン紙のような薄い紙の上に色鉛筆で描かれた四角い形があちこちに点在し、そこにはさまざまな数字が散りばめられている。線は余白を残しながら動き回り、描きなぐられ、あちこちで擦れている。そのなかには円盤のようなものやファルスの落書きのように見える形も混じっている。


觀海庵展示風景
© Cy Twombly Foundation / Courtesy Cy Twombly Foundation
撮影=木奥惠三

 この踊るように線が点在する作品2点が黒漆喰の壁に掛けられていたのは、この空間ならではのとても面白い効果も生んでいたように思える。壁の微妙な凹凸に通常よりも抑えられた照明の光が反射しゆらゆら揺らぐように見えるため、紙の画面の上に描かれた無数の線の不安定な感覚と同調しているように感じられた。なぐり描きのような線の作品が、ホワイト・キューブではなく陰影のある日本的な空間にこれほどまでに合うとは思わなかった。
 そして、その向かい合わせの壁には狩野派の画家の手によって描かれた四幅の「蘭亭曲水宴」のうち三幅が掛けられている。これは展示第1期(7月5日まで)でしか見られないが★1、庭の小川に杯を浮かべて詩会を催す優雅な風景の絵である。川べりや木の枝などに顕著に現われる筆遣いは反復によって取得された線であり、トゥオンブリ—の自由に跳ね回るような線とは異なるが、全体的に奥行き感が乏しく、衣服の襞、樹木の枝、岩や土の盛り上がり、川の流れなどを描く線が、余白を多く残しながらあちこちに配置されているところや、それぞれ2点と3点の画面が組合わせられ、左上から中央下へ、そしてまた右上に上がる大きくVの字の構造が見えるところなどに対応関係を見いだせる。ちょうど彼が2011年に逝去したときにダルウィッチ・ピクチャー・ギャラリー(イギリス)で開催されていた展覧会が17世紀の画家ニコラ・プッサンとの二人展だった。フランス人でありながらトゥオンブリ—と同じく人生の大半をイタリアで過ごしたプッサンを好んだことは知られているが、もし彼がこの対置を見たらなんと言ったか興味をそそる。

★1──2015年7月6日〜17日の休館後、7月18日から第2期を開催(古美術作品の展示替えあり)

サイ トゥオンブリー×東洋の線と空間

会期:2015年5月29日(金)〜9月2日(水)
*2015年7月6日〜17日は休館
会場:ハラ ミュージアム アーク 特別展示室 觀海庵
群馬県渋川市金井2855-1/Tel. 0279-24-6585

学芸員レポート

 アーツ前橋は開館して1年半が経ったタイミングでこれまで館外で行なってきたアート・プロジェクトの記録集を発刊した。開館前から行なってきた滞在制作の事業やアーティストが地域の日常生活や自然と関わりながら2011年から2015年まで約4年のあいだに行なったことを一通り眺められるものになった。
 まず開館前からなるべく地域の人にどんな美術館になるのか伝えていくためのプレイベントを行なってきたが、それは必然的に街のなかのさまざまな場所を使うことになっていた。思い返すと、アーティストに協力してもらうための説明をするたびに管理者や近隣住民と話をしながら、美術館ができるということを直接伝えていく機会を重ねてきたわけである。そのなかには地域のアーティストたちも含まれ繰り返し美術や地域について語ってきたし、また前橋を訪れるアーティストの作品制作を手伝ったり交流することが、いまではまるで日常のように繰り返されている。
 2013年10月に美術館が開館してからは、建物の維持管理や運営、それから当然収蔵作品の管理や展覧会の実施が中心的な業務として始まった。それに合わせて、館外に出る事業は徐々に縮小していくつもりだった。しかし、実際にこれらのプロジェクトが美術館に与えてくれる地域とのつながりは、かなり重要な財産となっており、どのようにすれば館内の事業と並行して維持可能なのか再検討する必要が生まれ、現在もいまだに模索中である。
 ただ、再検討の理由はおそらくその点だけではない。アーティストの制作を通じて地域と関わることは芸術を振興するという美術館の基本的な目的をつねに地域の人の目線で考える機会を与えてくれる。つまりそれは館内で行なわれている事業も含めて、美術愛好家も美術館に積極的に足を運ばない人も同じように公立美術館の運営を支える基盤として見なす経験を私たちにもたらしているはずである。もちろん日本は議会制民主主義の国だから、実質的には選挙によって選ばれた議員が影響力を持つが、それよりもどのような言葉で地域の人と芸術について話をすることが可能かを考える場がいつもあることのほうが、美術館という器をどう運営するべきかという考えに影響を与えているのではないかと感じている。
 それはもしかしたらアーティストにとっても同じではないだろうか。私はどこかで聞いた議論のように芸術に「固有」の役割などないと思っている。表現は人と人のあいだにしか存在しない。だから、いつも変わり続けるし、もし「固有」なかたちを持ち始めていたらそれは変えられるべきではないだろうか。地域社会に出ていくアーティストたちは、そこで芸術の文脈を離れ、政治、経済、福祉、自然などありとあらゆる言説と向き合い交渉し、思考を重ねることになる。そうした知的で創造的なアートプロジェクトに魅力を感じ、積極的に身を通じているアーティストが多いことを、安易な芸術祭の乱立と同一視せず、これからの芸術表現の可能性として見ていくのも美術館の大きな役割であるはずだ。
 この記録集はアーツ前橋のウェブサイトから誰でも手に入るようになっている。http://www.artsmaebashi.jp/?p=5379

『アーツ前橋 地域アートプロジェクト 2011-2015 ドキュメント』

発行日:2015年3月31日
発行:アーツ前橋
編集・執筆:住友文彦+辻瑞生+小田久美子+家入健生(アーツ前橋)
執筆:片山真理、高橋匡太、永森志希乃、毛利嘉孝
編集協力:朝日印刷工業株式会社
デザイン:平野武(朝日印刷工業株式会社)
判型:B5判、92ページ
URL=http://www.artsmaebashi.jp/cms/wp-content/uploads/2015/05/ArtsMaebashiCommunityArtProjectDocument2011-2015.pdf

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